罰
木下たま
お題「ルール」
+ +
――やめてくださいっ、もう、許してくださいっ
絞り出すような苦痛に満ちた呻き声が聞こえてくる。
亜里沙から生の反応がなくなると、衣擦れの集団は次の檻の扉を開けた。
――あんたたちっ、いったい、なにっ。なんでこんなことするのっ。亜里沙になにをしたのっ
石壁に囲まれた古い馬舎はそれぞれが独立していて、囚われた者達には自分の番が来るまでそのひとつひとつで何が行われているのか判らない。ただ、友人たちの悲鳴や、それを飲み込むいくつもの鈍器の重い音から想像することは容易い。
一美の声は徐々に呻き声だけになって、やがて細い声すら聞こえなくなると、厳つい声が言った。
「おまえはルールを犯した。我々はその裁きを与えている」
馬舎のひとつがまた静かになり、衣擦れの音が次の檻へ向かっていった。
蹲りガタガタと震えながら両耳を塞いでいる。ガチャン、と檻が鳴り翔子が弾かれたように叫んだ。
――こわいこわいこわい、たすけてたすけて、たすけてください、だれか、だれかたすけて
衣擦れの集団は全身黒尽くめで頭にもすっぽりとフードを被っていた。ただの影のようにも見えるそれらの手には、斧や鎌や金槌が握られていた。
那月は泣きながら歯を食いしばり、瞳をぎゅうっと瞑った。
……翔子、
仲間内でも一番おとなしくて優しい子だった。聞き上手で、その場に翔子がいるだけで安心感があった。その翔子も無慈悲に嬲り殺しにされた。
仲間たちの声も気配も、空間からなくなった。
辺りに静寂が広がり、衣擦れの集団が遠ざかっていくのを、那月は息を詰めて祈るように待った。
じりじりと、暑さが戻ってきた。
さっきまであまりの緊張と恐怖から夏の暑さを忘れていた。那月は少しずつ足を、手や腕を地面に付けて、馬舎を背に這うような恰好になった。みんなが心配だったが絶望しかなかった。仲間たちを見る勇気はとても持てなかった。
――ごめん、みんな。ごめん。
那月は泣きながら、這って草の中を進んだ。
三時間ほど前まで、那月たちはキャンプ施設にいた。
社会に出てから二度目の夏だった。親しかった仲間たちと会うのはひさしぶりだったが、大学時代のような言葉の掛け合いはすぐにお互いの唇から出てきた。施設には那月たち以外のグループは誰もいなかった。夏の休日なのにおかしいと、頭のどこかで思いながらも、時間が巻き戻ったような感覚に、皆がはしゃいでいた。
「
「そうだよね、でも土日休めないからしょうがないよ」
「じゃあ今度はお正月休みに会おうよ」
「賛成!」
仲間内でひとりだけサービス業に就いた琴子には、お土産を買って帰ろうということになった。
キャンプ場の隣に観光地にもなっている牧場がある。そこならなにか売っているかもしれないと誰かが提案し、バーベキューを楽しんだ後に皆で向かった。
「またお揃いのもの買おうよ」
誰かが言った。那月も「いいね!」と同調したが、琴子は受け取らないような気がした。
……那月は、琴子にバーベキューに誘ったときのことを、恐怖に痺れる頭の中で思い返した。
琴子は「私はいかないよ」ときっぱりと言った。
仕事上の理由ではなく、琴子が断ることを那月は分かっていたような気がする。それでも誘ったのは、もしかしたら、「私の分も楽しんできてね」という言葉を期待していたのかもしれない。
「――ねえ、本当に四人だけで集まるの?」
琴子は用心深く聞いてきた。声はひっそり、沼の底のように沈んでいた。
「行くよ! だってもう二年だもの。みんなとも会いたいし。私たち、あんなに気の合う仲間だったんだよ。琴子は会いたくないの?」
問題を摩り替えて質問すると、琴子は黙った。
最初に「集まろう」と声を上げたのは亜里沙だった。
次に「いいね!」と積極的に乗ったのは一美だった。
翔子は昔と同じように皆に同調した。
那月は、「琴子に聞いてみるね」と逃げた。
だが那月の答えは決まっていた。
純粋に、あの楽しく濃い大学時代を共に過ごした気の合う仲間たちに会いたかった。社会に出て新しいコミュニティにも属してそこそこ楽しくやっているけれど、あの仲間たち以上に心を許せる関係にはなれない。
一生涯、ずっとずっと仲良く年を重ねていこうと約束した最高の仲間だった。
那月たちはルールを決めた。
・大学を卒業してもずっと友達でいること!
・必ず六人一緒に集まること!
久しぶりに会った仲間たちは二年の歳月を感じさせなかった。まるで時間が止まっているかのように、途切れた時間をあっという間に追い越した。だが今思えば、誰もが暗い影を意識していた。それでも口に出さないように、慎重になっていたような気がする。
キャンプへ行く前日、そう昨日のことだ。
琴子から電話が入った。
いつもはメールだから珍しいと思いながら通話ボタンを押した。
「那月、ひろみのことは誘ったの?」
「……」
すぐには言葉が出なかった。
「悪いことは言わない、誘ってないなら今からでも誘っておいで。それが私たちのルールだったでしょう」
「……」
そんなの、意味あるかな、と思った。けれど那月は家を出て、年に一度訪れる寺へと向かった。
大学卒業を目前にして、仲間のひとりだったひろみは交通事故に巻き込まれこの世を去った。未だにどこか信じられないような気持ちでいる。
線香と花束を手向け、墓石に話しかけた。
「ひろみ、明日みんなでキャンプに行くよ。よかったら一緒に行こう」
夏なのに冷たい風が吹いて、那月の頬を撫でた。
+ +
――琴子、ありがとう。教えてくれてありがとう。
那月は泣きながら、唇の中で呟いた。
牧場へと向かった那月たちは、その牧場が何年も前に閉鎖されていることを知り、入口で引き返した。――はずだった。
そこからの記憶がまったくなく、次に意識が戻った時、那月は草むらにひとり残され、仲間たちは馬舎へ入れられていた。
――私は、助かったのだ。
琴子の言うとおり、ひろみを誘ったから、私だけ助けてくれたのだ。
みんなはルールを破ったから、だから。
那月は何度も躓きながら、牧場の入り口へと辿り着いた。
ここまでくれば安心できる。
涙と汗でぐちゃぐちゃになった顔を手の甲で拭い、すぐ目の前に停まっている車へと駆けた。――――が、そこから記憶がなくなった。
意識を取り戻した那月が目にしたのは、湿った苔と土と錆びた檻だった。衣擦れの音が近づいてくる。
那月のスマホがメールを受信した。
琴子からだった。
――キャンプはどうだった? ひろみのお母さんから連絡があって、みんながひろみを誘いに来てくれたって感謝してたよ。那月がみんなに声を掛けてくれたんでしょう、ありがとう。
ひろみは正義感が人一倍強かったし、約束を破るとか許さないタイプだったしさ。
絶望の極限で、カクカクと首を動かしてメールの本文を流し見た。
頭の隅で、忘れかけていた記憶が蘇る。
あのルール、
作ったのは誰だっただろう?
あれは、たしか、あれは――――
そうだ、あれは、淋しがり屋の琴子が発案者だ。
次のメッセージが画面に広がった。
――私が行けてればルールを破ったことにはならなかったのかな、ごめんね。
那月がスマホ画面を見ることは、もうない。
罰 木下たま @773tama
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