第二話 柳生の梟雄(三)

 無様な剣だった。

 あんな見え見えの刺突を大袈裟に躱す必要がどこにあったのか。その後の小手打ちはまあ良しとしよう。だがあの胴薙ぎ、あれはもう無様としか言いようがない。

 棒立ちの相手に打ち込んでおいて、腹部、胸部への斬撃はいずれも致命傷には至らず、結局喉を裂いて絶命せしめた。一太刀で事足りるところを、三手も要したのだ。胴を払う際、躊躇いがあったのがいけなかった。

 あの骸は町奉行の屋敷に送られ、斬り口を改められるだろう。

(あんな未熟な斬り口を衆目に晒すなんて、嫌だな)

 夜半、馴染みのない衾褥きんじょくに包まれながら、七郎はそんな事を考えている。汗の染みたしとねはぐっしょりと濡れていた。

 無様と言えば、こちらもそうだ。

 隣で眠るお志津しずの裸身に目をやって、七郎は先ほどまでの痴態を思い返していた。


 身丈六尺の大男を、五尺に満たない小柄なお志津が組み伏せる。身じろぎしたが、お志津の薄い唇が肌の上を撫でると、甘やかな疼きが七郎の身体の自由を奪った。耳朶を這う女の舌が、くすぐるように囁く。

「七郎さまはそのままで。私にすべて委ねられませ」

 褥の上に横たわった男の上に跨がり、お志津はありとあらゆる手管を用いて悦ばせる。身体に巻きついたふくよかな裸身が揺れ、七郎の昂りは限界を迎えた。

 七郎は淫靡なお志津の動きにただただ翻弄されるばかりで、押し寄せる快楽の波に何度も精を放ち、獣のような咆哮を上げて果ててしまった。


 そのまま一刻ほど気を失っていただろうか、目醒めた七郎は中間相手に繰り出した技の不出来を恥じ、床の上で女の愛撫に失神させられた不覚を恥じた。

 かなり大きな声を上げてしまったが、家の者に聞かれなかっただろうか。

 それにしても、である。

女子おなごとはこれほど凄まじい生き物であったか」

 七郎は独り言ちた。辺りには淫らな気配の残り香が、依然として揺蕩っている。

 自然と、お志津の乳房に手が伸びた。やわやわと揉みしだけば芯の部分が固くなる。それを指先で弄ぶと、お志津の腕が首に巻きついてきた。

「初めてでしたの?」

 いつから起きていたのか、お志津が七郎の瞳を覗き込む。

「ああ、初めてじゃ」

 正直に答えると、お志津は胸に顔を埋めてきた。

「嬉しゅうございます」

「極楽が見えたわ。このまま死ぬかと思うた。逢うた事のない爺様が、賽の河原で手を振っておった」

「まあ」

 七郎が戯けて言うと、お志津はころころと笑った。

 唇を重ねて黙らせ、強く吸うと、お志津の腕がさらに首に絡まる。七郎はそのまま覆い被さり、肌に手を這わせた。下腹に辿り着くと、そこはすでに湿り気を帯びている。

 むくむくと漲った一物をあてがい、貫くと、七郎は初めて自ら腰を振った。雫が女の首元に落ちていく。互いの汗が混じり合った部位を舌で舐め取った。

「あっ、あっ、あっ、あっ……」

 子猫が甘えるようなお志津の喘ぎ声を聞いた時、七郎はなんとも言えない充足感を得た。強く抱けば壊れてしまいそうな小さな躰を抱えながら、幾度も絶頂に達して果てた。


 七郎が斬った中間は、名を喜兵衛きへえという。口入れ屋を介し、ひと月前に奉公に来たばかりだとお志津は言っていた。

 夜明け前に人目を忍んで柳生屋敷に帰り着いた七郎は、喜兵衛を斬るに至ったあらましを書に認め、下男に持たせて南町奉行、島田弾正だんじょう邸に届け出た。証拠品として、喜兵衛を斬った脇差も添えておく。

 代わりの脇差を見繕い、そのまま登城の支度を済ませて出仕する。父とは顔を合わさなかった。


「本日よりしばらく、余は見取り稽古じゃ。余の良き手本となるように、励めよ」

 御稽古場に平服のままやって来た家光は、開口一番そう言った。次郎右衛門に打たれた手首は腫れ上がり、熱を持っていた。

 上座に座った家光は、近習らが稽古に励む様子を見ながら、傍らに控える又右衛門にあれこれ質問をし、回答を受けては相槌を打っている。

 七郎は稽古に身が入らず、お志津の事を考えて茫然としていた。

「七郎! なんじゃその惚けた態度は。そんな様で、上様の身辺をお守りする覚悟があるのか!」

 又右衛門の一喝が御稽古場に鳴り響く。稽古に打ち込んでいた者らの手が止まり、場内は静まり返った。

「なにを考えておった? 言え」

「父上には言いそびれておりましたが、昨夜、人を斬り殺しました。町奉行には今朝届け出ております」

 七郎は咄嗟に嘘をついた。女の事を考えていた、とは言えるはずがない。それが道ならぬ恋なら尚更言えぬ。

「なに」

 さすがの又右衛門も予想外だったらしく、一瞬狼狽の色が見えた。周りの小姓らもざわついている。

「その話、詳しく申してみよ」

 上座から家光も興味津々といった様子で訊ねてくる。

 七郎は、黐木坂に通りがかった辺りから喜兵衛を斬ったところまでを、搔い摘んで陳述した。聞き終えたところで、又右衛門が訊ねる。

「その、襲われておったというのは、どういう身分の者なのだ?」

「旗本の内儀と伺っております。提灯には抱沢瀉の家紋がありました。ひどく怯えておったので、それがしが屋敷まで送り届けました。場所は分かるのでござるが、名を訊くのをうっかり忘れてしまい……」

 七郎はあえて仔細を知らない振りをした。

「抱沢瀉……、旗本……。屋敷は黐木坂を上がった辺りか?」

「左様でございます」

「ならばそこは書院番方、後藤主馬しゅめ殿の屋敷であろう」

 これだけの情報と僅かな時間でぴたりと言い当てた又右衛門に、七郎は内心で舌を巻いた。改めて父の事を恐ろしいと思う。この人の頭の中には、旗本八万騎のすべてが網羅されているのではなかろうか。

 又右衛門が家光の御前に畏まり、言上した。

「畏れながら申し上げまする。下人が主人の奥方に懸想するなど以ての外。あまつさえ、襲いかかるなど、もはや畜生に等しき行為と心得まする。これを許しては、武家の権威は地に墜ちる事でしょう。此度、七郎は梧桐殿とその奥方の名誉を守っただけではなく、武家の名誉を守ったのでございます。一人の悪を斬ることで、普く武家を生かす。これぞ一殺多生の理かと存じまする」

「さすがは又右衛門、余も同じ考えじゃ」

 家光は満足げに首肯する。

「何卒、寛大なご処置を」

「うむ。弾正の手を煩わせるまでもない。沙汰なしとする。七郎、大儀であった」

「ははあ、ありがとうございまする」

 又右衛門と七郎の親子は、揃って家光に平伏した。しかしこの時、又右衛門には、七郎に対する疑義が芽生え始めていた。

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水夢花神傳 @shibachu

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