渋谷連続刺殺事件

水乃流

最終話 誰がためのルール

「どうぞ」

「や、すまんね」

「いただきます」

 目の前に出された茶碗を取り、警視庁捜査一課の伊藤警部補と佐藤刑事は、やや温めの茶を思い思いに啜った。


「それで、本庁の刑事さんがわざわざ派出所に何の御用でしょう?」

 平日でも人の切れ間がない渋谷の派出所は、暇な時間というものがほとんどない。しかし、わざわざ本庁から足を運んだ刑事たちを無碍にもできない。できれば、役割を同僚に変わって欲しかったが、まぁ、用事が済めばすぐに帰るだろうと、交番勤務三年目の津田山巡査は考えた。

「ほら、ここいらで発生している連続刺殺事件で、地元に詳しい君らに話を聞きたくてさ」

 強面なのに、どこか愛嬌のある伊藤警部補は、手にした茶碗を机に置きながら言った。

「えっと、これが資料です」

 佐藤刑事が津田山の前に、束になった紙を置いた。資料を見なくても、よく知っている。何しろ、今渋谷を騒がせている連続殺人事件だ。

「犯行は決まって雨の日。被害者ガイシャは、半グレだのヤクザだの、いわゆる反社会的人物ばかりだから、『レインマン』なんて呼んで讃える奴もいるらしいな」

「えぇ。知ってますよ。被害者ガイシャ渋谷ここいらじゃ有名な奴らですよ。一人目の鮫島は半グレ連中のカシラですし、二人目の宇佐山は銀竜会の若頭、蛭田は悪徳金融、山根は無免許で美容クリニックを運営、四人目のウーはたしか新興の中国マフィアでしたね」

「おう、さすがだな。で、昨日の夜、五人目のヤマがあった」

「そうなんですか?」

「えぇ、マスコミには箝口令を敷いて公表を遅らせてるんですよ」

「そりゃまた、なんでです?」

「実は被害者ガイシャがまだ生きて――」

「佐藤、バカ野郎!……悪ィな。こいつは本部の秘匿事項だ。忘れてくれ」

「えぇ」


 机の上においた資料を、津田山はパラパラとめくる。被害者の顔写真と住所などの個人情報、所属している組織、係累などが事細かに書かれている。津田山が、知っている連中ばかりだ。資料の最後の方、五人目の被害者は渋谷中央署の刑事だった。ヤクザから金をもらって情報を流している悪徳警官。署内じゃ有名だが、親戚が本庁のお偉いさんだとかで、誰も何も言わない。こいつも殺されて当然の奴だが、しぶとく生き残ったのか。悪運は強いらしい。


「全員同じ手口なんですね」

 津田山は、資料に目を通し終わると、伊藤警部補に訪ねた。

「あぁ、腎臓をナイフでひと突き、その後内股の動脈をすっぱりだ」

「捜査本部は一時期ホシは医療関係者じゃないかって。でも、今時、人の殺し方なんてネットを見れば誰でも調べられますからね」

「まったく、面倒くさい世の中になったもんだよ」

 伊藤警部補は、ベテランだけあって話は上手いが、時代の変化に追いつけていないようだ。一方の佐藤刑事は、今時の若者らしくどこか軽い。こんなんでも刑事になれるのか、と津田山は下唇を軽く噛んだ。

「監視カメラはどうです? 渋谷は都内でもカメラの設置台数が多い場所ですよ」

「それがなぁ。それらしい人物が映ってねぇんだよ。警戒を強めているから、パトカーや警官の姿はそこら中に映ってんだがよ」

犯人ホシは、監視カメラの位置を把握している奴ってことですね。すごいな」

「犯罪者に感心してどうすんだ」


「でも、被害者たちこいつらがいなくなって、街の治安は良くなりましたよ」

「ほぅ、そう思うかい?」

「えぇ。本当は、きちんと法律で裁ければいいんですがね、こいつらみんな法の網の目を掻い潜って、悪いことしながらのうのうと生きてたんですから。こういっちゃなんですが、死んで当然の奴らですよ」

「おいおい、警官がそれを言っちゃいかんだろう。たとえ思っていてもさ」

「でもね、伊藤警部補。世の中のルールに外れている奴らを正すためには、ルールを曲げるか自分もルールの外にでるしかないでしょう?」

「おぃおぃ、津田山巡査、それ以上は……」

「何が悪いんです? 街の人たちはみんな思ってますよ、警察が頼りにならないって。僕も悔しくて仕方ないんですよ」


「へぇ……だから」

 伊藤警部補は、グッと身を前に乗り出した。津田山の目を覗き込む瞳は、獲物を見つけた鷹のようだった。

「だから、


 派出所の部屋が、沈黙で支配される。


「やだなぁ、急に何を言い出すんです?」

「五人目の被害者ガイシャ、お前もよく知っている渋谷中央の遠藤刑事が言ってたんだよ、犯人ホシは警官の格好をしていたって。それで油断したってよ」

「……」

「警官なら怪しまれないし、監視カメラに映っていても当然だよなぁ」

「そんなもの、遠藤の妄想でしょ?」

「お前の勤務状況も調べさせてもらったよ。犯行があった時間、現場近くにいたよな」

「たまたまですよ」

「雨の日を選んだのは、返り血を流すためかい?」

「津田山巡査、もう寮の方には家宅捜索ガサも入っているんだ。話してくれないか?」


「……にが……」

「ん?」

「あんたらに何がわかる? こっちは毎日毎日一般市民の生活を守るために、どれだけ必死で働いていると思ってるんだ? 少しでも安全な街にしようと、それでもこいつらみたいな悪党が、次から次へと沸いてきて、何の罪もない人々を悲しませているんだ」


 だから、俺が殺しヤッた。法律というルールで裁けないのなら、奴らと同じルールに従って裁けばいい。


「俺は……俺は間違ってない」

「いや、間違っている。法律というルールから外れちゃいかんのだ。特に我々警察官は」

「それで? 証拠を集めて逮捕する? どんだけ時間がかかるんだよ! 逮捕されたからって不起訴になったり、裁判で無罪になったりしたらどうすんだよ! また悲しむ人が増えるだけじゃないか」

「津田山巡査! 相手と同じところに墜ちてどうする! しっかりしろ! 今ならまだ間に合う。罪を償うんだ。これ以上、罪を重ねるな」

「いいや、奴らと同じところになんかいませんよ? 俺はね、俺のルールに従っているんですよ。だから」

 津田山の手は、すでにホルスターの留め金を外していた。銃把に手を掛け、ゆっくりと持ち上げる。

「やめろ! 津田山っ!」

「まだまだ途中だけど、こうなったら仕方ない。あなたたちが悪いんですからね。責任持って悪を正してくださいね」

 そういって、津田山巡査はトリガーをやさしく引いた。



「それにしても、いつ津田山巡査の拳銃から弾を抜いたんです?」

「ちったぁ自分で考えろ」

「吝臭いこと言わないでくださいよ、警部補。バディじゃないですか」

「何だよ、バディって。気持ち悪ぃな。あっちいけ、シッシッ」

「非道いなぁ。もういいですよ。まぁ、津田山巡査が死ななかっただけでも良しとします」

「お前、いつも変なところで上から目線だな。まぁいい。これで一件落着だ」

「ですね」

 捜査一課の部屋は、夕陽で赤く染まりつつあった。周囲は喧噪に包まれていたが、事件を解決できたという満足感からか、ふたりの周りだけゆっくりとした時間がながれていた。

「警部補……ルールってなんでしょうね? もちろん津田山みたいにルールを外れるのはまずいですが、縛られて身動きできなくなるのも、ねぇ」

「バカ野郎。小難しいことを考えるんじゃないよ。俺たちは、法律って決められたルールの中で悪党を捕まえていけばいいんだよ」

「そんなもんですか」

「そんなもんだよ。それで世の中回ってんだ」


 ゆっくりと、夜が訪れようとしていた。

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