第十二話 嘘を吐いていないですか?

 トトリバの木は何度も蠢きながら部屋の形を変えていた。今日は雨と花が交互に降っており、そのせいで誤作動を起こしているようだった。動くたびにその壁から半透明の樹液が染み出して、トカゲや蛇になって床の隙間に吸い込まれていく。ベティは組んだ足の右の爪先にちょこんと乗っかった、尻尾の太いトカゲを見ていたが、名前を呼ばれて顔を上げた。


「何故呼ばれたかわかるかな?」


 向かい合わせに並んだ椅子の片方に腰を下ろした男は、優しい口調でそう言った。


「さぁ、見当も付きません」


「聡明な君にしては、あまりよくない返答だ」


 局長のランスは悲しそうな表情で言いながら、何もない空間に爪を立てて切れ目を作った。その中に手を入れて、一枚の書類を引っ張り出す。


「これは君の業務報告書だ。処理済案件七十二件、うち六十件が異世界転移希望、十二件が現世帰還希望。全て却下済み。これに間違いはないかな?」


「ありません」


「それはおかしい。君は一度、転移ゲートを開いている。勿論、君にはその権利があるし、方法も適切だった。しかし、報告書にはそれに該当するものが記載されていない」


 ベティは脳裏に、数日前に来た希望者のことを思い浮かべる。「行く」ことのみを目的とした少女は、見事にその望みを果たした。


「もう一度確認する。此処に記載されている件数について修正の必要はあるかな?」


 自身に向けられた言葉を咀嚼するように、ベティは一度顎を引く。そして、しっかりと相手を見据えたまま答えを返した。


「ありません」


 その答えに、ランスは額を指で掻く。そこにある線状の盛り上がりが動いて左右に開き、中に隠れていた白い眼を曝け出した。その下にある琥珀の双眸と異なり、白い眼は落ち着きなく四方を見回し、ベティに不躾な眼差しを送る。


「非常に残念だ。ベティ、君のように優秀な審査官が不正を行うなど。まぁ気持ちはわかる。君はあまりに完璧すぎた。だからこそ、唯一の過ちを認められない」


 ベティは何も言わずに黙り込む。ランスは肯定と受け取って、口元に笑みを浮かべた。


「しかし、君には失敗は似合わない。皆の士気を上げるのに、「無敗」の称号は必要だからだ」


「そんな称号、持った覚えはありません。私は仕事をしているだけです」


「そうだろうね。君は今後も、同じように仕事をしてくれればいい。君の過ちは私の胸の内に収めておく。それでいいかな?」


 部屋の壁がうねり、樹液が落ちる。その音に驚いたか、爪先にしがみついていたトカゲは床に落ちてしまった。沈黙と緊張が部屋を満たす中、ベティは自分のピンクと黄色の混じった髪を指で掻き上げる。


「そうやって恩を売り、私を支配下に置きたいのですか」


「どういう意味かな」


「ハロンやイディグレイやサンのように、都合のいい手駒にしたいのですか」


 ランスは黙り込んだが、表情は変わらなかった。おかしなことを言い出した部下を咎めるような、あるいは心配するかのような目を向けている。額の白い目だけは天井辺りを見て、左右に激しく揺れていた。


「ちょっとわからないな。興奮しているのなら、落ち着いたほうがいい」


「ランス。貴方はとても巧みです。人の状態を決めつけ、煙に巻き、そして不安を煽り、親切を装う。でも私にはその手は通用しません」


「君は何か勘違いをしているようだ」


「もう一度言います。私にその手は通用しない。お姉様の前局長に教えてもらわなかったのですか?」


 白い瞳が、ぐりんと動いてベティを凝視する。その視線に焼かれるような錯覚を得ながら、ベティは髪を掻き上げた。長く尖った耳が露わになり、癖のある髪がそこに緩く巻き付く。


「マロード前局長とは最近いつ連絡をお取りに?」


「もう長いこと会っていないよ。姉が此処を去ってからはね」


「嘘を吐いていないですか? 貴方はマロードに連絡を取っています」


 ランスは何か言おうとしたが、ベティは右手を前に突き出すと、中指を曲げた状態で手首から先を左右に振った。優先発言権を得るための仕草にランスは黙り込む。


「以前、奇妙なことを言った転移希望者がいました。彼女は転移協会の者にこう言われたそうです。「審査官がベティなら諦めろ」と。どういう意味でしょうか」


「それは君の転移阻止率が非常に高かったからだろう」


「そうではありません。我々審査官が転移阻止を目標として掲げたのは、彼女が此処を去ってからです。それまでは私たちは転移者の元の世界に発生する不整合や、転移後の生活の補助などを行っていました。だから彼女が私の阻止率を知っているわけがない。誰かが教えでもしない限り」


 足を組み替えたベティは、上半身を前に傾けてランスを見据える。


「そう思いませんか?」


「君の噂をどこかで聞いたんじゃないかな」


「そうでしょうか。貴方はハロン達に、書類上の阻止率を上げるために便宜を図っていた。私はこの前まで、皆の業務成績を書類上でしか把握していなかった。もし第三者の噂を彼女が聞きつけたなら、私を名指ししたりしない。要するに彼女は正確な阻止率を知っていたということです」


 全ての報告は局長の元に集められる。その日に発生した件数も、成功した件数も、失敗した件数も。ランスだけが、皆の正しい業務成績を知っていて、だからこそハロン達を懐柔することが出来た。


「狭間の世界は、他の全ての世界を結合することが出来る。どちらでもあり、どちらでもないからこそ、異世界に干渉することが可能です。貴方がた姉弟はこの特性に目を付けて、異世界調整事務局を悪用しようとした。違いますか」


「悪用?」


「本来、ある世界の住人は他の世界の物に接触は出来ない。例え、その世界にとって救世主となりうるような物質であっても、他の世界に属する以上は持ってくることは不可能です。でも、我々ならそれが出来る」


 他の世界にある薬草で疫病を鎮め、他の世界から来た勇者により竜を倒し、他の世界から持ってきた技術で文明を発展させる。それが出来るのであれば、どの世界も諸手を上げて賛成するだろうし、それを担う者たちは特別な存在となり得る。


「それはつまり、全ての世界を手に入れるのと同義です。どの世界も、どんな者も、思いのままに操れますからね。ランス、貴方はそれが欲しかった」


「君は存外、ユーモアのセンスがあるね」


「異世界転移希望者を増やせば、我々は疲弊する。ミスも多くなる。貴方はそこに付け込んで、自分の言うことを聞く部下を沢山手元に置きたかった。マロードを追い出したのも、恐らくはお芝居。あそこまで派手な姉弟喧嘩をすれば、貴方がたが繋がっていることなど誰も思いつかないでしょうから」


 淀みなく言うベティに対して、ランスは薄笑いを浮かべたままだった。いつの間にか額の目は細く閉じられて、その隙間から白い眼が憐れむようにベティを見ている。


「証拠がないよ、ベティ」


「いいえ。ハロン達に聞けば貴方が彼らを操ろうとしたことはすぐにわかります。それに貴方の部屋からは、マロードに連絡を取った痕跡も見つかるはずです。私たちは局長に対して、一定以上の合意を得れば情報開示を請求することが出来る」


「それを誰が指揮するのかな?」

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