第十話 勇者としての技能がありますか?
勇者というのはそんなに魅力的な職業なのか。
ベティは見飽きた「希望職業」を見て、内心首を傾げる。
「勇者が公務員のように扱われる世界があるのでしょう? そこでは異世界からの転移者が多く活躍していると聞きました」
髪を綺麗に整え、髭のない顎を上下に動かしながら若い男は言う。
その年にしては高価な時計と靴を身に着けているところを見ると、随分と良い会社に勤めているようだった。眼鏡だけ二級品なのは、就職する前から愛用しているためだろう。あれだけは高級品だからと簡単に買い替えるわけにはいかない。ベティは自分の黒縁眼鏡の弦を、無意識に指で撫でた。
「そこでは身分も給与も保障されている。安定した地位と、それとは異なるスリリングな仕事。正しく自分にピッタリだと考えたんですよ」
「スリリングな仕事をしたいのですか?」
「こう見えて、度胸はあるんです」
男は得意げに笑いながら言った。
「退屈な仕事にはうんざりしていましてね。自分の能力を最大限生かしたいと日々考えているんです。しかし自分の最大限をどうやって知るか? やはり我々が生き物である以上、生死の狭間に身を置いてこそ、その真価を発揮できると思うんです」
「はい?」
「火事場の馬鹿力とか言うでしょう。人間、ピンチの時には思ってもいない力が出る。でもそれは不意に現れたものではなく、潜在的にその人に備わっていたものです。身の回りにあふれる様々なゲームを見てもわかる」
自分で自分を高揚させるタイプなのか、男は次第に饒舌になっていく。こういうタイプこそ、異世界転移者に多い。自分に自信のない人間は、まず慣れ親しんだスペースから出ようとはしない。自分に自信を持っているからこそ、そして現実世界にある程度の見切りを付けているからこそ、異世界に憧れる。
「ゲームやアニメでは、主人公がピンチの際に力を発揮するシーンが多い。あれはデフォルト化された表現ではなく、古代から実際にそういう事例が多かったことを示している。そう思いませんか」
「……昔から慣れ親しまれてきた表現なのでは」
ベティの控えめな否定は、生憎と相手には届かなかった。というよりも、男の中では既に結論があって、疑問を投げかけるのも実際に問いかけているわけではなく、対話者を納得させたいだけのようだった。
「限界を知りたいんです。今の世界では、まずそれは叶わない。命の危機に瀕することが殆どありませんからね」
「内戦地にでも行けばよろしいのでは」
「渡航制限が掛かっています」
「異世界も制限が掛かっているのですが」
「審査を通れば問題ないのでしょう?」
男は自信満々だった。これまで挫折したことがなく、自己評価が生まれつき高いタイプだとベティは分析する。別にそれが悪いわけではない。原始時代はネガティブな方が生存競争には有利であったが、現代社会ではポジティブのほうが生き延びられる。
「良いところにお勤めのようですが、それを捨てることは出来ますか?」
「問題ありませんよ。今朝方、辞表を提出しました」
予想外の答えに、ベティは目を瞬かせる。
「辞めて来たんですか?」
「その方が審査に通りやすいと思いましてね。住んでいるアパートも引き払いましたし、家族は海外で暮らしていますから、すぐに何か起こるわけでもない。念のために手紙は出しましたけどね」
「異世界に行くと?」
「正直で良いでしょう。虚偽はよくありませんから」
行けるかもわからないうちに思い切った行動に出た男に、ベティは少し感心した。時として人間は、思いもよらないことをする。マレッタの崖がピンパールによって青一色に塗られた事件ほどではないにせよ、多少の驚きをベティに与えたのは事実だった。
「自分の覚悟の表明になるかと思いましてね。どうです? これほどの覚悟を持って来た人間はいないのでは?」
男は舞台にでも立っているかのような、大仰な身振りで手を広げる。自らが此処に来るまで行ったことを、ベティに評価してほしい。そんな願望が透けて見えた。自己主張が強いのは良いことであるし、勇者を目指すならそのぐらいの気骨は必要だろう。
男の巧みなことは、声の強弱にあった。自由に喋っているようでいて、自分が主張したいところは敢えて少し声のトーンを下げる。それにより落ち着いた印象を相手に与える。ともすれば、口ごもっているかのように聞こえるテクニックであるが、男はスムーズな喋り方により、それをカバーしていた。
「勇者になるには基礎体力は欠かせませんが」
「身体は鍛えています。居合を嗜んだこともありましてね。剣の扱いは、まぁその辺の連中よりは上手いと思いますよ」
「ではテストを行っても?」
「勿論です」
男は洒落たステッチを施したジャケットを脱いで立ち上がる。無駄のない体つきは、今の言葉が口だけでないのを証明していた。ベティは近くに置いてあった多角形の本を手に取ると、銀色に輝く表紙に中指を置く。流れるような仕草でそこに一つの紋様を描くと、唐突に剣の柄が突き出した。
「人型用の剣でいいですね?」
ベティはその柄を掴んで、本から引きずり出した。長い柄を中心として幅広の刃を備えた剣は、ベティから見れば酷く原始的で効率の悪い形をしている。だが人間にとってはこの形状が最も親しみやすいらしい。
男はそれを受け取ると、何度かその場で振るってみせる。少々演技がかってはいるが、基礎はきちんと備わっているように見えた。少なくとも、数年前に異世界に渡った勇者希望の高校生よりはマシであるとベティは好意的に判断する。
「なるほど。期待は出来そうですね。それでは手始めに、小型モンスターを倒して頂きます」
「望むところです」
ベティは再び、今度は別の紋様を描いた。表紙が光り、モンスターが一匹召還されたことを示す音が鳴る。本をひっくり返して表紙を下に向けると、一匹の毛むくじゃらのモンスターが床に落ちた。
男はそれを見るや否や、驚いた表情で立ちすくむ。
「はい、どうぞ。これを斬ってください。一撃で仕留められる程度の魔物です」
しかし男は、剣を構えたまま動かない。視線は魔物とベティの間を忙しなく彷徨っていたが、何かを探しているのではなく、魔物を直視することを恐れているかのようだった。ベティがそれを急かすように声を掛けると、男は顎を突き出すようにして、その口腔内に溜まった唾液を飲み込んだ。
「こ、これは……チワワですか?」
「チワワ? これは畑を荒らす害獣のロカーシマです」
小さな体に大きな耳、零れ落ちそうな瞳を持った魔物は、小さく震えながら男を見上げる。男は先程までの自信に満ちた態度を失い、握りしめた剣を振り上げることも下ろすことも出来ない様子だった。
「それぐらい倒せないと話になりませんが。もしかして、犬や猫に似た魔物は倒せないとでも?」
「い、いえ。そういうわけでは。しかし……畑を荒らすだけで人に危害は加えないのでしょう?」
「間接的に危害は与えています。害獣ですので。貴方が希望する異世界では、勇者の仕事は「公務」にあたります。市民からの要請を受けて、害獣駆除やその被害の防止をすることも十分に有り得るわけです」
従って、とベティは淡々と続けた。
「貴方がこの魔物に対して特別な感情を抱くのは不適切です」
魔物は媚びるかのように尻尾を振り、小首を傾げる。男はどうすべきかと悩んでいるのか、冷汗を垂らしながら何度も瞬きをしていた。
恐らくは「犬好き」なのだろう、とベティは推測する。だからと言って同情はしない。世界が変われば常識が変わるのは至極当然のことである。同じ見た目の生き物が、同じ扱いを受けるとは限らない。
勇者、剣士、戦士。それらの希望者の大半が、魔物を殺すということを甘く見すぎている。魔物は自分の価値観通りの姿をした「化け物」であり、殺してしまっても罪悪感など湧かないと思い込んでいる。
だが、命は命である。
粘土や氷を斬るように、何の躊躇いもなく行える人間は数少ない。何故なら、自分で獣を殺さなくても良いような環境にいるためである。そして、だからこそ「魔物」が犬や猫と同じく、生き物であることを忘れてしまう。
「殺さないんですか」
ベティは静かに尋ねた。
「それとも、殺せないのですか」
「す、少し心の準備を……」
「貴方は畑が荒らされて困り果てている牧場主の前で「心の準備をするので待ってください」と言うつもりですか? 速攻で役所に連絡が入って、減給処分になりますよ」
「それは実務、これは試験でしょう。試験には準備期間が与えられるはずです」
「一理ありますね。では特別に準備の時間を与えましょう」
そう告げると、男は明らかに安堵したようだった。
足元にいる魔物は、特に暴れるでもなければ逃げるでもなく、尻尾を揺らしながら座っている。人間たちにはあれが可愛らしく見えるようだが、ベティには理解出来なかった。
男が一度剣を下ろそうとしたのを見計らい、ベティはまるで今思い出したかのように、ワントーン高い声を上げる。
「準備で思い出しました。袋はこちらで用意しますので」
「袋?」
男はきょとんとして問い返す。ベティは負けじと、不思議そうな顔をして返した。
「死骸回収用の袋です。殺した後に入れてもらう必要があります」
「え? 俺がやるんですか?」
「当然でしょう。これもテストの一つです。異世界のルールに則し、死骸を処分して頂きます。骨と肉を分解、内臓は抜き出して別の容器に。本来は土を一メートル掘って埋葬してもらうところまでやらなければいけませんが、特別に免除しましょう」
「死骸を勇者が片づけるなんて、聞いたことがありません」
「今言いました。まさか、殺した魔物が水蒸気みたいに消えて無くなるとでも思っているのですか? それとも誰かが片づけてくれるとでも?」
ベティは苦笑いを浮かべて見せた。
「生き物を殺して放置してはいけない。どの異世界でも常識です。殺害後の処理が不適切で、近隣住民から異臭などの苦情が出るケースが後を絶たないんですよ。ゴミの捨て方も知らないのか、とお怒りの人も多いと聞きます」
「でも……死体を片づけるなんて」
男は完全に怖気づいていた。もうその剣が振られることはない、とベティは判断する。自信家は、自分の世界が壊されない限りは強いが、その根底が揺らぐと簡単に陥落する。自信を持つべきものが、信用できなくなるからである。
「ゲームみたいに倒した魔物が消えるなんて幻想は捨ててください。死体を作るのは貴方です。貴方が作った死体を、貴方が片づけるのは当然のことです」
自分で殺した獣の毛皮を剥ぎ、肉と骨を分離し、内臓を抉る。
勿論、代わりに死体を片づける業者も存在はする。しかし、その業者たちは片づけた魔物の質量で、国から補助金を受け取ることになっている。当然ながら、一日に数匹しか倒さないような勇者とは契約を結ばない。
自分で死骸を片づけたくないのなら、只管殺し続けるしかない。何度も何度も殺して、それを人に処理をさせ、顧みることもなく突き進む。それぐらいの気概がなければ、勇者として大成は出来ない。
「出来ないのなら、お帰り下さい」
最初の堂々とした態度を、どこかに忘れてきてしまったかのように男は静かだった。
「スリリングな仕事以前に、異世界の常識に適さない方は不要です」
ベティは小さな魔物を拾い上げると、大きな瞳を覗き込んだ。
「斬りつけられなくてよかった。たまーに自棄になるのがいるもんね」
害獣は鼻をひくつかせて小さな声を出す。
ロカーシマは体が小さい代わりに、体内に自爆機構を有している。一撃で殺さなければ、自爆を起こしてベティの執務室ぐらいは簡単に吹き飛ばしてしまう。ベティとしては、部屋が多少吹き飛んでも構わないのだが、始末書を書くのも面倒だった。
先程とは逆の手順で剣と害獣を本に戻したベティは、テーブルの隅にそれを置いた。勇者希望の者には、今日のような手段を何度も用いてきた。問題は呼び出すロカーシマが段々と人慣れしてきたことだが、実際その方が希望者へのダメージが大きい。
少しすると、床下からアリスの声が聞こえて蓋が開いた。黒々したアリスの体の一部が盛り上がり、紫や緑の瞳が瞬きをする。今日はいつもよりも目の数が多い、とベティはあまり意味のないことを考えた。
「お疲れ様。今、翡翠茶を淹れるからね」
アリスは少し疲れているようだった。無理もない、とベティは申し訳ない気持ちになる。自分がこの執務室を離れることが出来ないために、代わりに他の審査官の偵察を頼んでいるのだが、優しくて繊細なアリスには少々荷が重いことは否めない。
「それで、どうだった?」
カップに鮮やかな緑色をした紅茶を注ぐ。少し温度を上げすぎたのか、途中でカップの中から黄色い蝶が羽ばたいて天井裏へと消えていった。翡翠茶は少々特殊な淹れ方をするため、一発で成功することは少ない。だが金剛茶と違って、失敗しても十分に美味しいのが幸いだった。
アリスは身体をうねらせながら、自分が集めて来た情報をベティに伝える。相変わらずその報告は整っていて、無駄がない上に聞き取りやすい。お陰でベティは二杯目を慎重に淹れながらも、報告内容を理解することが出来た。
「なるほどね。想像通り……だけど、これ以上探るのは厳しいかな?」
アリスが掴んできた情報は、ベティがある程度予期していたものだった。
しかし、相手とて無能ではない。ベティがこうして探りをかけてくるのも、予想している筈である。ベティはアリスを不必要に危険な目に合わせるつもりはない。彼女には此処で手を引かせるのが良いと考えていた。
「アリスちゃん、最後にもう一つだけお願いしてもいい?」
その言葉にアリスは何かを感じとって、反対する素振りをした。自分をもっと頼るようにと訴える姿にベティは一瞬心が揺らぎかける。しかし、それでも強い心でベティはその申し出を断った。
「もしアリスちゃんに何かあったら、パパとママに七回謝罪しなきゃいけないもの。これ以上危険なことはさせられない。でも、「異世界転移協会」のことはちゃんと解決するから安心して」
心配そうに目を瞬かせるアリスを、ベティは優しく指先で撫でた。
アリスの赤い瞳に、ベティの笑みが映りこんでいる。
「向こうはどういう手で来るかなー、っと」
異世界調整事務局の一室は、今日も穏やかに残業中である。
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