第八話 チート能力で生き延びれますか?

 どうしてこうも、「チート能力」を求めるものが多いのだろう。

 ベティは書類を見ながら眉間に皺を寄せる。少し蒸し暑い日だったため、平素は下ろしている髪を、シニヨンにして首後ろでまとめていた。ピンク色と黄色の髪が丸められると、益々アイスクリームのように見える。この世界で流行中の「リボンイチゴと球体メロンのアイス」が似たような色合いであるが、ベティはまだ食べたことがない。


「最強の治癒師になりたい、ですか」


 言うだけで倦怠感が押し寄せるベティとは対照的に、デスクを挟んで座った女は明るい表情で頷いた。年のころは二十代前半。足元に置かれたバッグは真新しいブランドもので、手首に光る華奢な腕時計も同じだった。化粧品も髪も服も、どれも派手にならないようにしているが、見る者が見れば高級品を使っているとすぐにわかる。


「お金を積めば、能力をいただけるんですよね? 「生存措置法」によって」


「よくご存じですね」


 異世界転移がまだ盛んだった頃、「生存措置法」は頻繁に使用されていた。簡単に言えば「異世界で生活するためのスキルを与える」もので、それにより平凡な主婦が海賊になったり、六歳児が伝説の竜騎士になったり、疲れ切ったサラリーマンが火炎魔法の天才になったりした。

 要するに「チート能力」である。

 その法律は、既に異世界に転移してしまった人間たちのために残しているが、今後の適用については非推奨とされていた。


「お金ならあります」


 女はベティが黙り込んだのを別の意味に解釈したのか、少し口調を強めて言った。


「私を必要としてくれる世界に行きたいんです。今の仕事に不満はありませんが、周りは父の肩書を含めてしか私を見ない。私自身を必要とし、その仕事を評価してくれる人がいないんです」


「だから、異世界で治癒師になって、皆に感謝されたいんですね?」


 女は何度も頷いた。ほっそりとした首にかかった一粒真珠のネックレスが、その動きに合わせて揺れる。

 ベティはその真珠の軌道を目で追いながら言った。


「治癒師の他にも異世界での職業は多々あります。何故、わざわざそれを選択したのですか?」


「人を治療して元気にする。医者や看護師にも通じる素晴らしい仕事でしょう」


「じゃあ医者や看護師になればいいのでは」


 その返しを予期していたのか、女は苦笑交じりに首を左右に揺らした。


「それは時間がかかりすぎます。私はすぐに人を治し、癒したい」


「そして感謝されたい」


 混ぜ返すようにベティは言ったが、女はそれに軽い同意を示しただけだった。嘘はついていないようだったが、それにしても身勝手が過ぎる。努力はしたくないし、苦労もしたくない。ただ優れた能力のみが欲しい。そんな連中は今までも多くいた。去年までに送り出した「チート能力者」は百人ほど。彼らは事務局の監視対象になっていて、いつでも現状を確認することが出来る。


「貴女の望みはわかりました。しかし、貴女がその能力に見合う素質があるか確認しなければいけません。簡単な質疑応答を行いますが、よろしいですか?」


「それは免除されないのですか?」


「されません」


 女は一瞬不満そうな顔をした。

 だがベティはそれに構わず、質問を開始する。


「治癒師が活躍できる世界はいくつかあります。大雑把に分けてその生活は二種類に分類されます。「冒険」と「定住」のどちらを選択しますか?」


 その分類は文字通り、勇者などのパーティに混じって冒険を行って生計を立てるか、あるいは何処かに居を構えて生計を立てるか、という意味だった。


「定住です」


 女は迷いもせずに答えた。ベティは少し困ったように眉を寄せ、悩む仕草をして見せる。


「……武道の心得はありますか?」


「はぁ?」


「定住だと、町には住めないことになっていますので、山奥などで生活をしてもらうことになります。武道の心得は必須かと」


「どうしてですか? 何故街には住めないと?」


「当然でしょう。最強の治癒師なんですから」


 ベティは寧ろ相手の言動が不可解だと言わんばかりの表情を浮かべる。手元に引き寄せた「生存措置法適用者リスト」の中には治癒師または白魔導士のチートが何人かいる。いずれも冒険中か、または人里離れた場所に住んでいた。


「通常、薬や施術を用いて時間を要して治すものを、治癒師は一瞬で終わらせてしまう。大変魅力的な能力です。……それは人間以外から見た時も」


 治癒師が必要とされて活躍するような世界には、多くの魔物が存在する。彼らは独自のコミュニティを作り、一部では人間社会を凌駕するほどの技術力を誇っている。


「ある世界では、ゴブリンが最も強い勢力を持っており、技術力も高い。しかし数年前までは人間とゴブリンの力は拮抗していました。とあるチート能力を手に入れた人間が転移するまでは」


「どういう意味ですか?」


「ゴブリンはその世界に転移されるチート能力者を片っ端から誘拐して奴隷にしました。転移早々に得意げに能力を見せびらかしていたのだから当然ですね。彼らはゴブリン達の命令のままに、魔法を使い、薬を作り、服を縫い、武器を作った。お陰で今やその世界は人間が人間の作ったものによりゴミのように殺されています」


 チート能力者を町に置かない。それは転移者が増えた異世界が少し前に決断したことだった。彼らをおいておけば、その力が欲しい他種族が襲い掛かってくる。どこの誰とも知らない人間のために、自分達の町が破壊される。そんな理不尽な話は無い。

 その決まりごとは別の異世界でも次々と適用された。彼らにとってチート能力者は崇め奉る存在ではない。忌み嫌うべき災厄だった。


「勿論、貴女を守ってくれる人はいませんので、早めにオークなどに投降したほうがいいと思います。毎日毎日、彼らに襲われる状況に怯えて暮らすのも一興かもしれませんが」


「守ってくれないって……そんな状況を放置しているということですか?」


 責めるような口調で女が言う。ベティは右頬に落ちて来た髪の一束を指で掬い上げた。


「私たちが彼らを助ける選択肢はありません。彼らは望み通りに力を得て、望み通り、その能力を異世界で発揮しています。これ以上何をすればいいのでしょう?」


 転移する人々は、自分の活躍の場までは指定しなかった。尤も、指定していたとしても異世界調整事務局は彼らの運命までは関与しない。彼らだけを特別に扱うのは、即ち異世界の住人たちを蔑ろにすることにも繋がる。


「だ、だったら冒険は?」


「変えますか。まぁ良いでしょう。冒険では少なくとも勇者たちが守ってくれるでしょう。何故なら貴女は彼らの生命線とも言える存在です。死なれたり、誘拐されてしまっては困る。しかし貴女が足手まといになってしまってはいけません。基礎体力は勿論ついているでしょうね?」


 ベティはわざとらしく尋ねた。女の体つきや傷一つない手足を見れば、箱入り状態で育ったことは明白だった。指先ではピンク色のネイルジェルが照明を反射して輝いていて、少しの損傷も見当たらない。


「冒険はシビアな世界です。皆、自分の命が最優先ですから、貴女がいくら優れた治癒師でも足手まといは捨てていかれますし、そもそもパーティにすら入れてもらえない可能性もある。こんな話はご存知ですか?」


 相手が何も言えないでいる間に、ベティは淡々と言葉を紡いでいく。

 今のところ、何も嘘は言っていない。チート能力者の殆どは快適とは言えない人生を送っているし、城の地下に呪術と鎖でつながれて「帰りたい」とだけ呟き続けている者も、液体の中に脳だけで生きている者もいる。一方で大成功している者もいるが、それは一握りのことであり、「成功」というよりは「幸運」が正しい。


「雪山を登っていると、どこからか人の声がすることがあります。それはクレバスに落ちた人や、どこか崖の途中で動けなくなってしまっている人です。でも誰も彼らを助けることは出来ない。どんなに健康だろうと、どんなに明確に声が届こうと、例え血を分けた肉親でも、もはや彼らはそこには「いない」のです。助けにいけば、自分の命も危ない。もし貴方が彼らの旅の妨げになったとしたら……「いない」者になるかもしれませんね」


 女が細く息を飲む音が聞こえた。何を想像したのかは確かめるまでもない。

 どんなに優れた才能があっても、体力のない者は旅には不要である。だったら多少無理をしてでも路銀を稼ぎ、薬や包帯などを買ったほうが良い。それが冒険者たち共通の考え方だった。


 いつだったかチート能力を持って勇者になった者は、現実世界で生きて来たが故の甘さを捨てることが出来なかった。助ける必要のない者を助けに行き、パーティ全員を遭難させ、最後は仲間に殺された。

 所詮、平和な世界で夢と希望を語るものに、シビアな世界を生き延びることは出来ない。


「もう一度確認しますが、転移しますか? 個人的には全くお勧めしませんし、貴女にチート能力を使う適性はないと思います」


 女はうつむいたまま、暫く黙っていた。だが、やがて力なく首を左右に振る。

 ベティはいつも通り、書類に印を刻もうとした。だがその手は、女が呟いた声に遮られた。


「貴女は「ベティ」ですか?」


「どうしてそれを?」


「私に転移の方法を教えてくれた人が言いました。「ベティに当たったら諦めなさい。あの子は突破出来ない」と」


 ベティの尖った耳が一瞬震えた。

 女の言葉に、記憶の中の声が重なる。かつての局長なら言いそうなことだった。優しく、諦観したような目で、しかし一切の迷いもなく。


「突破」


 その単語を繰り返したベティは、違和感を覚えた。


「そう言いましたか、彼女は」


「はい」


「転移出来なかったら報告しろ、などと言われましたか?」


 女は首を縦に振る。ベティの中の違和感がますます大きく膨れ上がった。

 前局長の目的が自分たちへの「嫌がらせ」だとすれば、そもそも転移の結果は気にしない筈である。何故なら転移ゲートをくぐった者は、例外なく審査に掛けられることになっているので、転移が認められる人数が増減しても、ベティ達の仕事量は変わらない。

 それに「ベティだったら諦めろ」というのも妙だった。方針転換から今まで、異世界に転移した人間は殆どいない。そのいずれもが初期の頃で、まだ人間をどうやって追い返すべきか全員が模索していた頃だった。

 今は転移者は発生していない。ベティは時間花の開花期にまとめられる報告書には全て目を通している。転移成功例はゼロ件。それがもう何度も続いている。五回で寿命の尽きる時間花が二回変えられた今も。


「……では、後ろの扉からお帰り下さい」


 ベティは女に退室を促した。仕事の面接でもしていたかのように、女は椅子の傍に立って深々とお辞儀をすると、逃げるように部屋を後にした。

 書類をまとめながらベティは考え込んでいたが、床穴からアリスが出て来たのに気が付くと顔を上げた。黒い体の表面にいくつか目が浮かんでいる。どれも完璧なまでに美しく可憐だった。並大抵の男なら、アリスに声を掛けられて悪い気はしない。


「アリスちゃん、ハロンに食事に誘われていたよね? 今度行ってきてくれない?」


 アリスは一瞬、拒絶しかけた。だが、ベティの口調に何か引っかかるものを感じたのか、理由を問う。そういう察しの良いところもベティは尊敬していた。


「ちょっと気になることがあるの。お膳立てはこっちでしてあげるから、お願い。報酬は……アリスちゃんのママが欲しがっていた最新の裁断機でどう?」


 異世界調整事務局の転移阻止率は百パーセントである。

 ただしそれは、書類上の話だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る