第七話 伝説を作ることが出来ますか?

 月が啼いていた。

 この時期になると、五つの角を持った月は空を混ぜるために転がり始める。その時に角が空気を割くので、まるで啼いているように聞こえる。ベティはその音を聞きながら、球体型の「公平の書」に視線を向けていた。


「一応、決まりですので要望がある場合には該当する異世界の情報を開示いたします。しかし、入国審査とは関係ありませんので、ご承知下さい」


「それで、あるんですか。ないんですか」


 苛々した様子で、痩せぎすの男は言った。白いシャツの襟元は洗いすぎたために伸びきっていて、胸元のブランドのロゴは日焼けして色落ちしていた。


「ありますよ、一つだけ」


 ベティは何でもない様子で相手の疑問に肯定を返した。


「「伝説の武器」を専門に作る異世界が」


「あるんですね」


「えぇ、まぁ」


 ベティのやる気のない口調と逆に、男は興奮した声を出す。座っている椅子をガタつかせながら、拳を握りしめて天井を仰いだ。


「伝説の剣っていうのを作ってみたいんですよ。どんなゲームをしたって、絶対出てきますからね。あれを誰が作っているか、気になって仕方なかった。それで思ったんです。自分で作ればいいんじゃないかって」


「だから武器職人になりたい、と」


「そこの職人に弟子入りして、「竜殺し」とか「スタースレイヤー」とか、そういうかっこいい武器を作りたいんです。それで、別の世界の岩山かなんかに突き刺して、勇者に抜かせれば壮大な物語の始まり! 素晴らしいと思いませんか」


「少なくともネーミングセンスは悪いですね」


 用の済んだ書物を傍らに置いたベティは、ハイヒールの爪先を揺らすようにしながら足を組む。小さな足に合うように作られたその靴は、背が低いことを気にしているベティにとっては必需品でもあった。とはいえ、分厚く作られた靴底を重く感じことも多い。


「武器を作ったことはありますか?」


「まさか。でも名のある刀匠に弟子入りをして、腕を磨けば良い。これでも根性はあるんですよ」


「そんなに都合よく刀匠なんていませんが」


「だから」


 男は、わかっていないと言いたげに口を尖らせた。


「伝説の武器を作る異世界がいいんじゃないですか。そこなら、腕の良い職人なんてごまんといる。弟子の育成だって慣れているはずです。何の経験もないのに、武器を作る地盤もない異世界に行こうと思うほど、俺は愚かじゃない」


 ベティはその言葉を聞く一方で、油断なく相手の履いているジーパンに目をつけていた。洗いすぎて色が斑になったジーパンのポケットに、見慣れたチラシが押し込められている。この男も「異世界転移協会」の手引きで此処まで来たことは明らかだった。


「ところで、ご職業は」


「無職です。まさか職がないと転移出来ないとか言わないですよね」


「えぇ、職業差別はいたしません」


「国家試験に挑戦していたんですよ。親もそれでいいと言いましたからね。でも二十八になって諦めました。それと同時に、アルバイトをする気力もなくなってしまいましたよ。この年で、この職歴でしょう。俺が一発逆転するには、現実世界より異世界のほうがいいと思ったんです」


「一発逆転、ですか」


 よく聞く言葉に、ベティは眉間に皺を寄せた。


「そういう気持ちで来る人は迷惑です。第一、弟子入りする方に失礼だとは思いませんか」


 諭すように言われた男は、自分の失言に気が付いたのか、決まり悪そうに視線を反らした。新しい仕事をする時や、新しいコミュニティに参加する時に「今までのところでは成功しなかったけど、此処なら出来ると思います」と言って入ってくる者はまずいない。いたとしたら大顰蹙を買う。要するに「此処は前いたところより下だ」と言っているようなものだ。


「別に口に出して言ったりしませんよ。ただ、俺の夢を叶えるのに必要な世界と必要な人々というだけで」


「異世界やそこに住む人は、貴方の自尊心を満たすための便利ツールではありません」


 言葉を遮るようにしてベティが言うと、男は不満そうな顔をして黙り込んだ。

 人は多かれ少なかれ、自分の望みを叶えるために何かを利用する。そこに悪意があるとは言い切れないし、間違っていることでもない。利用できるものは何でも利用して、自分の夢を叶えるのは、ある意味とても効率的とも言える。

 従ってベティが彼らの言葉尻や無理解を利用して、正論を叩きつけて異世界転移を阻止するのも、非常に理に適っていた。


「それに貴方が今から武器職人になったとして、伝説の武器を作ることは殆ど不可能だと思います」


「何故ですか。俺は十分にやる気もあるし、体力もある。少々のことでは挫けませんよ」


「その世界が「武器を作る」という目的で構成されている世界だからです。伝説の剣を作るというのは、ただ綺麗なものを作ればよいだけではありません。特定の条件を満たさないと抜けない、魔法によって変質する、握るだけで攻撃力が上がる……などの特殊な力が必要なわけです」


 それについては異論はないのか、男は黙って頷いた。ベティは流れるような口調で続ける。


「剣にどうやってそのような力を与えるのか、想像出来ますか?」


「それがわからないからこそ、俺は」


「熱意はもう伝わってますから結構です。言わばそのような技術は門外不出の秘術。彼らはそれを一子相伝の術として継承しています」


 ベティの言葉が何を意味するのか、男は数秒間考え込む。

 だが次第にその顔に落胆の色が滲み始め、見る間に肩が重力に負けるかのように下がっていった。


「要するに……部外者には教えない?」


「そうですね。彼らは武器職人の子供として生まれて、小さい頃から修行を始めます。貴方ぐらいの年齢で武器職人になるのは……そうですね、ハッキリ言えば遅すぎます」


 伝説の武器の作り方。それはただ武器職人になった程度で教えられるものではない。

 そんなことをすれば、似たような武器が量産されてしまい、結果として何の価値もなくなってしまう。だからこそ、伝説の剣を作る異世界は一つしかないし、更にその中でも技術に応じて「流派」のようなものが分かれている。


「それに貴方は今まで武器を作ったことはないんですよね? 適性があるかもわからないまま、遅すぎる新人として、自分よりも年下の「先輩」にこき使われる。失礼ながら、貴方がそういう環境に耐えられるとは思いません」


「……だったら、別の異世界でも」


「伝説の武器を作りたいんでしょう? なんでそこで他の異世界が出てくるんですか?」


 男は不安そうに、床を見たり天井を見たりと視線を忙しく動かせる。

 ベティはその様子を見て確信をした。この男は単に、異世界に行きたいだけである。異世界転移協会に仕込まれた「模範応答」から一歩踏み外してしまえば、こうしてすぐに化けの皮が剥がれる。

 伝説の武器とやらも、恐らくこの男が一番流暢に話せる話題だったというだけだろう、とベティは見抜いていた。同時に、こんな真似が出来るのは自分の元上司ぐらいだということも。


「志望動機に虚偽があると判断しました。減点三です」


「ち、違います。今のは、他の武器を作れる世界を……」


「伝説の武器が作れるのは、そこの異世界のみです。ご説明したはずですが」


 語尾に強く力を込めて言うと、男は唇を噛んで黙り込んだ。

 静かになった部屋に、月の啼く声が響く。窓ガラスがビリビリと振動して、表面に止まっていたインク虫が慌てて何処かに飛んで行った。そこにいても、ベティの使っているペンに詰め込まれてインクの補充に使われるだけだったので、ある意味幸いとも言える。


「一つ、貴方に伺いたいことがあります。五体満足で元の世界に返してほしければ、素直にお答えください」


 ベティの只ならぬ口調と眼差しに、男は喉仏を上下させた。だが、拒絶はなかったため、そのままベティは質問を続ける。実際には、審査員からの質問は任意回答なので、断ることも出来る。だが、殆どの志望者は転移ゲートを通り抜ける時の「規約書」を読み込んではいない。


「貴方に志望動機や、此処にくる方法を教えたのは、異世界転移協会ですね?」


「……そうです」


「そこに女性がいませんでしたか? 貴方に、志望動機の指導などを行った女性が」


 男は「あぁ」と気の抜けたような声を出しながら頷いた。


「いました。えぇ、主催者という話でした」


「名前を憶えていますか?」


 ベティは出来るだけ穏やかに尋ねた。ここで警戒されては元も子もない。

 相手が犯罪者であれば、アリスに手伝ってもらって強引な手段に出ることも出来る。だが転移を望むのが合法である以上、ベティ達も合法的に接する必要があった。

 男は少し悩んだ後に、口を開く。それと同時に月が一際大きな音を立てて、窓の外を横切って行った。轟音が部屋を満たす中で、ベティは確かにその名前を聞き取った。






 カップの中で、小さな鯉が跳ねた。

 適温になったことをそれで確認したベティは、アリスのいる床穴の前へそれを持っていく。匂いに誘われて、アリスが穴の中から姿を現した。


「赤白の鯉と金色の鯉だったよ。アリスちゃんはどっちがいい?」


 黒くてぬめりのある触手が、金色の鯉が入った紅茶を掴む。いつも通り慎み深いアリスに感謝しながら、ベティは好物の赤白鯉を手に取った。


「前局長の名前だったね」


 ベティがそう言うと、アリスは悲しそうな声を出した。


「どうして、私たちを困らせるのかって? それはわからない。局長の座を奪われた腹いせだって皆は言ってるけど、そんなに単純じゃないと思うんだよね」


 単なる嫌がらせであれば、もっと他に手段はある。

 それに異世界転移協会という如何にも胡散臭いものを作らなくても、「彼女」であれば人間を信じ込ませることなど容易な筈だった。それに、その存在をベティ達に気付かせないことも。


「もう少し、調べてみようかな。アリスちゃんも手伝ってくれる?」


 穴の中から同意を示す声が返ってくる。ベティは満面の笑みを浮かべると、「ありがとう」と言った。


「でも、とりあえず今日は帰ろうか。月がそろそろ沈みそうだもの。こんな時間まで残業なんて、本当に勘弁してほしいよね」


 異世界調整事務局の超過労働問題は、今のところまだ解消されていない。

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