第六話 今後の方針はどうしますか?

 会議室は参加人数によって自動的に形状を変形する。壁材として使われているトトリバの木とその樹脂による機能であり、たまに雨季に誤作動する他は概ね正常に動き、職員達を満足させていた。

 今日は三角形の形状で職員を迎え入れたその部屋には、ベティが到着する時には既に半分の席が埋まっていた。


「あらぁ、ベティ」


 部屋に入るなり、ネトリとした声がベティに掛けられた。身長はベティの倍近くあり、長い髪はその身長を更に超えている。黒と緑と赤を混ぜ合わせた髪は、その女の声に合わせて四方にうねった。


「今日は早いのねぇ」


「丁度都合よく仕事が終わったの。アズラーこそ早いじゃない」


「早くないわよぉ。今日、非番だったんだもの」


 あーぁ、と大仰に嘆く同僚にベティは同情する。アズラーの執務室はベティの隣である。プライベートの付き合いはないものの、偶に美味しい紅茶やお菓子を交換する仲だった。


「でもぉ、協会のことは気になるしねぇ」


「そこを潰せば、こっちの仕事も楽になるかもしれないもの」


 その時、鈴の鳴る音が聞こえて、続けて爽やかな声がベティへと届いた。


「やぁ、ベティ。それにアリス」


 振り返ってその声の主を確認したベティは、素直に顔を顰めた。特注のスーツを身にまとい、妖精糸で織ったハンカチーフを胸元に飾った男は、丁寧すぎるほど丁寧に挨拶をする。両手に嵌めた腕輪から再び鈴の音が鳴った。

 アリスが黒い体を波打ちながらそれに応えると、男は頬を緩ませた。


「いつ聞いても美しい声だね、アリス。この前言ったことを覚えているかな? 君が好きそうなお店を見つけたんだ、よかったら……」


「ハロン」


 ベティは男の声を遮った。


「仕事中です。慎みなさい」


「……相変わらず堅いなぁ」


 男は一瞬だけ忌々しそうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻ってベティを見る。


「アリスのような魅力的な女の子を口説かないのは、僕の種族の流儀に反するんだよ」


「部下が困っているのを助けないのは、私の流儀に反します」


 ベティはアリスを背後に庇いながら言った。

 美人で聡明で器用なアリスを狙う者は、事務局にも多くいる。それは彼女の魅力をもってすれば当然のことだとベティも認めていた。だからこそ、このような軽薄な男を近づけるわけにはいかない。ベティには上流種族として、アリスの身の安全を保障する義務がある。心優しい彼女の両親にもそれは宣言済みだった。


「ハロンたら懲りないわねぇ。そーんなに口説きたいなら、うちの部下はいかが? 種族は同じよぉ?」


「お気持ちだけ受け取っておきますよ」


 アズラーはその答えに意地の悪い表情を浮かべると、腰を屈めてベティに耳打ちをした。


「アリスほど美人じゃないと嫌みたいねぇ」


「ドナだって十分可愛いじゃない。あの男は単に気が強い女が苦手なんでしょ。あ、人喰いパンプキンのキャンディ食べる?」


「あらいいのぉ? 今度、メタルウォーターあげるわね。トカゲ紅茶を淹れると最高なのよぉ」


 やがて審査官が全員揃うと、それを待っていたかのように一人の男が姿を現した。銀色の長い髪を束ね、晒した額の中央には線状の盛り上がりがある。琥珀色の美しい瞳の、片方にだけ極僅かな黒点が混じっているのが、却って魅力的だと言う者もいる。


 異世界調整事務局の局長である男は、皆からは「局長」あるいは「ランス」と呼ばれていた。本当の名前は本人すら辟易するほど長ったらしくて発音も面倒なため、誰も呼ばないし使わない。


「皆、仕事中に済まない」


 三角形の頂点に立ったランスはよく通る声で言った。

 ベティはランスが新しい局長として此処にやってきた時のことを思い出す。あの時から、事務局の方針は大きく転換した。


「異世界転移協会についてベティから報告が上がった後、皆にはそれぞれのやり方で調査を進めて貰っていた。その中間報告を行おうと思う」


「わざわざ皆を集める意味は?」


 ハロンが口を挟む。先ほどのベティとのやり取りが尾を引いているのか、どこか不機嫌な様子だった。


「あとから通達では駄目なのですか。皆忙しいのに」


「通知で事足りればそれでも良いが、このような調査の場合は報告する段階まで到達していない、仔細なことも情報となりうる。勿論、君が一人で協会のことを調べ上げてくれるなら話は別だけどね?」


 出来ないだろう、と言外に込めた言い方に対して、ハロンは口を閉ざす。それが何よりの回答だった。ランスは気を取り直すように、右手で髪を掻き上げながら皆を見回す。


「皆の報告は全て目を通した。どうやら協会は一定の場所ではなく、あらゆる都市を転々としているらしい。皆が集めてくれた協会のチラシは、紙質やインクがそれぞれ微妙に異なる」


 ランスは何もない宙に右手を上げると、指で虚空を引っ掻く仕草をした。その動きに合わせて空間に裂け目が生じ、別の場所へと連結される。ランスの手が裂け目の中へ入ったと思うと、チラシの束を掴みだした。


「このチラシを見ると、異世界転移に対する絶妙な煽り文句がついているが、協会の場所や連絡先の記載はない。要するに、協会の存在だけを知らせるチラシではないかと思われる」


 ベティは靴の踵で床を二度蹴り、発言の許可を求めた。ランスは爪先を床に叩きつけて許可を示す。


「私が集めた情報に因れば、協会の人間はチラシを配り、興味を示した人間を「セミナー」に連れて行ったようです。撒き餌のような役割ではないかと思います」


「私も同意見だ。つまり協会は手当たり次第ではなく、ある程度選んだ上で異世界転移を持ち掛けているのだろう。ベティ、君は協会の主催者が異世界の住人だと考えるか?」


「いえ。基本的に異世界の人間たちは転移者を望んでいませんし、今までの傾向からして、転移希望者の年齢や性別、職業、転移希望先はバラバラでした。異世界の人間が、自分たちに都合の良い者を引き入れたいのなら、もっと統一されるはずです」


「では現実世界かな?」


「協会は金品と引き換えに転移方法を伝授していたそうですから、金儲けをしている点だけ見れば有り得るかと。でも現実世界の住民が転移方法を知っているのは奇妙です。だって私たちは昔から、「転移した者の帰還を認めていない」。絶対に転移出来る方法を知っている現実世界の住民がいるわけがないんです」


「まぁ、もしかしたら現実世界へ転移した異世界の住人に聞いたのかもしれないが……それなら自分が使えば良いだけだ。わざわざ人に教えて、金を貰って、一体何がしたいのか」


 局長の何か含むような言い方に、職員達の間に戸惑いが生じる。皆、彼が何を言いたいのかを朧気ながら理解したためだった。

 ベティは再び床を鳴らそうとしたが、それより先にアズラーが発言権を得た。


「局長はぁ、こう言いたいのですか? 私たちと同じ「狭間の世界」の住人の仕業ではないか、とぉ」


 戸惑いはどよめきに代わり、部屋を駆け巡る。

 ベティはアリスが怯えたように体を変形させるのを見て、落ち着かせるために体を撫でた。生来、お淑やかなアリスはこういう空気には弱い。


 ベティ達は世界と世界を繋げるための、所謂インターフェースとして機能する存在である。「狭間の世界」が無ければ、世界は連結もしないし、また分離もしない。ベティ達は生き物であって生き物でなく、物体であって物体ではない。

 狭間の世界に生きる者は、その特性により各世界を自由に行き来することが出来るし、その方法も知っている。他の世界の住人達と比べて、積極的に他の世界を蹂躙したり破壊したりしない限りは罪に問われにくい。


「あの人だ」


「あの人の仕業だ」


 そんな言葉が飛び交う中で、ベティはランスへと視線を向ける。

 かつて、そこにいたのは別の者だった。ランスによってその地位を追われた後、どこかへ姿をくらませたままの前局長。

 主催者が女だという情報を得た時に気付くべきだった、とベティは内心で歯噛みする。無意識のうちに、慣れ親しんだ存在を除外してしまった。


 部屋の中で何度も靴を鳴らす音がする。誰もが、自分たちの考えを口にしたくて仕方がない。そう思わせる光景だった。

 ランスは皆を見回した後に、靴裏全体で大きな音を鳴らす。全員の発言を却下するためのものであるが、滅多に使われることはない。皆、それに驚いて一様に挙動を止めた。


「まだ疑惑に過ぎない。「彼女」が異世界協会を作り、此処に人を送り込んでいるとするならば、一体それは何のためか突き止める必要がある。念のために、彼女以外が関わっている可能性も考慮しつつ、引き続き調査を行って欲しい。何か重要な情報を入手した際にはすぐに報告するように。……では、解散!」


 ランスはそれだけ言うと、すぐに部屋を出て行った。後に残された審査官達は、困惑した表情や声で左右の者を見る。


「前局長だとしたらぁ、とても厄介よ」


 アズラーが髪をうねらせながら言う。そんなことはわかりきってはいるが、言わずにはいられない。そんな感情が覗いていた。


「あの人を断罪するようなことはしたくないわぁ。そうでしょう、ベティ?」


「……もうあの人は局長じゃないでしょ」


「でも狭間の世界が他の世界から一目置かれるようになったのは、あの人のおかげだものぉ。それを自分の弟に奪われたんだから、怒るのも無理はないけど」


 ベティは「そうだね」と返したものの、自分がどうすべきかは既に決めていた。前局長に世話になったのは事実だし、感謝の気持ちもある。だが、今の局長の方針に反するのであれば話は別だった。

 感謝と温情は同じではない。


「戻るよ、アリスちゃん」


 ベティはアリスと共に立ち上がり、部屋の外へ向かう。

 今のベティにとって大事なのは、仕事が終わった後のプライベートの時間だった。


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