第五話 二十四時間働けますか?
不老不死の異世界に行きたい。
少女はそう言いながら、花の綻ぶような笑みを見せる。身にまとった制服は綺麗に手入れされているが、肩の縫い目あたりを見ると日に焼けて色落ちしているのがわかる。
ワンレングスの黒髪は艶があり、白く整った肌は血の色が透けてピンク色を帯びている。星の滑るような鼻梁の下にある口角の上がった小さな唇は、愛らしいの一言に尽きた。「美少女」という呼び方が相応しいだろう、とベティは書類を見ながら考える。
「私、普通って嫌なの」
少女は鈴の転がるような声で切り出した。
「普通の友達とか、普通の生活とか、普通の趣味とか、考えただけで気持ち悪いもの。人と同じことなんてしたくない」
「貴女は普通ではないのですか?」
「そうだよ。私、皆とは違うの」
そんなのは当たり前じゃないか、とベティは喉元までこみ上げた言葉を飲み込む。誰かと同じ人間なんて存在しないのは、考えるまでもなく明らかである。
大体にして「普通」とは統計情報に過ぎない。例えば何かの食べ物が好きか嫌いかのアンケートを取り、多かったほうを「普通の好み」と判断する。それだけのことだ。その統計の枠に収まらなかった程度で鼻高々になる人間を、ベティはあまり好きではない。
「皆はこのままこの世界で老いて、普通にオバサンになって、普通にオバアサンになって死んでいくのを受け入れてるけど、私はそうじゃない。いつまでも生きていたいの」
少女は自分が美しいことを十分自覚しているようだった。その自信が更に自らを輝かせていることも。
「だから、不老不死の異世界へ行きたいと」
不老不死、不老長寿の世界も確かに存在はする。
まだ方針が変わる前、異世界転移が容易だったころ、ベティも何人かをその世界に送り出した。皆、転移ゲートを通る時には嬉しそうにしていた。
「だってオバサンになるの嫌だもん。不老不死の国に行けば、いつまでも若くいられるし、ずっと遊んでいられるでしょ」
「別に今でなくてもいいのでは? そんなすぐに老いるわけでもないんですから」
「でも二十五歳超えたらオバサンでしょ。価値ないじゃない。この前も二十八歳のオバサン女優が必死こいて若作りしていたけど、痛々しいよね」
「……まぁそう思うのは個人の自由ですが」
十分若いだろう、とその年齢を遥かに越しているベティは考える。
どうやら少女にとっては今の自分が最高であり、以後の人生は「老いるだけの価値のない時間」と見做しているようだった。ベティにはそれがさっぱり理解出来ない。
「皆言ってるもん。二十五超えたらオバサンだって」
「皆さんが言ってるんですか」
「うん」
「なるほど、貴女も普通の意見の持ち主ということですね」
ベティの言葉に、少女の頬が赤くなる。だがその口からは何の反論もなかった。所詮「普通でない自分」は「普通」がいなければ成立しない。それを少女が悟ったかどうかは別だが、ベティは淡々と次の段階へ進む。
「学校の退学手続きはお済みですか?」
「それ、自分でしなきゃいけないの?」
「ご自分の都合で異世界に行くのですから、当然ですね。誰かが尻拭いをしてくれることを期待するような人は、異世界では生きていけません。親御さんにもきちんと説明をしてください。娘さんが突然学校を辞めていなくなったら、パニックになります」
書類に文字を書き込みながらベティが言うと、少女は面倒そうに眉を寄せた。元の顔が美しいので、そんな仕草も愁いを帯びた色っぽさを出す。
「まぁ仮にそれらの手続きが全て完了したとしましょう。貴女、向こうで何をするんですか?」
「だから、そこで暮らすの。不老不死なんだもん。楽しまなきゃ損じゃない」
「そのお金はどうするんですか?」
「それはアルバイトとかして。前に異世界に行った人とかもそうしてたって聞いたし」
「働く意欲があるのは結構です。何しろ二十四時間働く必要がありますからね」
ベティの言葉に、少女は呆気に取られた表情になる。異次元の言葉を捩じ込まれたように、口を半開きにしていた。
「どういうこと?」
「先に言っておきますが、不老不死の世界では、恋愛、結婚、出産のいずれも禁止です。人が増える一方ですからね。勿論、出産に繋がる行為の全ても禁止事項に入っています」
一応相手が未成年なので、ベティは直接的な表現を避けた。
礼儀正しく冷静に。それが入国審査官に求められているスキルである。
「また、皆が不老不死ですので、各企業はどんどんと発展しています。過労死などがないから楽なんですよ。働くほうも、働かせるほうも。娯楽設備などは充実していますが、そこで遊ぶには大金が必要です。だから皆、遊ぶ金欲しさに必死に働く。貴女も向こうで遊びたいなら必死に働いてください」
「恋愛も禁止なの?」
「厳密に言うと禁止ではありませんが、意味がないので皆やりません。ビジネス抜きで異性と娯楽施設に行く人は大層な変わり者です。あ、同性愛は推奨されていますし、寛容ですよ。何しろ子供は生まれませんから」
遊ぶために馬車馬のように働く世界。
不老不死などと聞くと、桃仙郷で仙人が呑気に碁でも打っているような世界観を持つ者が多い。だがあれば住む人間全てが所謂「人格者」だから成立しているのであって、実際には人間は欲望に忠実である。
何世代か前、その世界は見事に崩壊した。
気の向くままに子供を産んで増やしていった結果、人口密度が五百パーセントを超えたのである。息をするにも困るような世界の中、皆が取った手段は同じだった。少しでも自分のスペースを確保するために殺し合いを始めた。
不老不死とはあくまで病気などに対する耐性なので、殺されれば当然のように死ぬ。子供が産声を上げる横で母親が断末魔の絶叫を上げる。そんな世界になってしまった。
それ以来、その国では出産が禁じられ、また殺戮をする暇人が出ないように全員を仕事漬けにした。
治安は良く、清潔で明るく、皆が良い汗を流して働く、不老不死の世界。
たまに事故死や自殺が出ると、抽選で出産の権限が与えられるので、皆大喜びする。だがあくまで抽選だから、自分が子供を作るために誰かを殺そうと考える者はいない。
「それとですね、誰か死なないと人数補填が出来ない制度を取っていますので、貴女がこの世界に行くのは誰か死なないといけません。こちらの書類への記入が必要となります」
ベティは一枚の紙を差し出した。少女はその真っ赤な紙を受け取り、目を通す。その紙には翻訳機能がついていて、手に持った者が理解出来る言語に変質するから、ベティがわざわざ説明する必要はない。
少女は数行分、紙に書かれた内容を読むと、見る間に青い顔になった。
「そこに書かれている通りです。先に異世界に行っている人のうち、誰かを抽選で殺します」
「他に方法はないの?」
「無いですね。貴女、普通が嫌いなんでしょう? 普通ならそんな申請しませんけど、貴女なら出来ますよね?」
その書類に署名をしたからといって、彼女自身が手を下すわけではない。
向こうの世界とて慣れたもので、専用の抽選機を使って任意の者を選出する。後は然るべき処置に従って処刑される。拒否権は一切ない。
そしてそれが許されるということは、少女もいずれは同じ運命になることを示している。
「誰かに殺されることに怯えながら働き続ける。普通ではないと思います。貴女にピッタリですね」
ベティは少女を異世界に送るつもりなど全くなかったが、まるで気乗りしているかのように振舞う。笑顔のベティに対して少女はもはや顔色を喪失していた。
「……です」
「はい、なんでしょう」
「普通で、いいです」
「転移を辞退するということで良いでしょうか」
少女は何度も頷いた。黒い髪が乱れて揺れる。少女の内面の焦りを具現化したかのようだった。
「では後ろのドアからお帰り下さい」
そう告げると、少女はふらつきながらも立ち上がった。手にしていた赤い書類が床に落ちて、液体状になる。赤い液体は生き物のように蠢きながら、床板の隙間へ落ちて行った。
「そういえば」
帰ろうとした少女を呼び止めて、ベティは本日何度目かの質問を投げた。
「異世界転移協会についてご存知ですか?」
少女は足を止めると、少し考えた後で口を開いた。
「……私、そこのセミナーに行ったの。「見込みのある人」しか入れないセミナーだからって」
久々のアタリにベティは目を見開いた。
異世界転移協会に関係なく此処に送り込まれる者も多い。関わっているにせよ、激高して話にならない転移希望者も多かった。
「どのぐらいの規模の団体かわかりますか?」
「それはわからないけど、スタッフは多いみたい。……代表者は女性だったから、私も安心してセミナーに通ったの」
代表者は女性。それはベティが初めて得た情報だった。
着実に協会の情報を掴みつつある。その手ごたえに、ベティは思わず笑みを零した。
少女から他に引き出せる情報はなく、そのまま現実世界へと帰還させた。帰り際まで真っ青な顔をしていたので、少々薬が効きすぎたかもしれない、とベティは思ったが、勿論反省はしない。異世界に転移する気持ちなど持たないほうが、余程幸せに生きていける。
次の仕事をするために書類を手に取った時、床が開いてアリスが姿を見せた。体の一部を細く伸ばして、その先に何か握っている。ベティは見慣れたその青いカードを受け取ると、書かれている文字を見て「ふぅん」と呟いた。
「局長から招集命令が出たよ。内容は「異世界転移協会に関する中間報告」だってさ」
椅子から飛び降り、ヒールの音を響かせる。その音に合わせて、アリスも床の穴から外に出て来た。黒い体をうねらせながら、途中でベティの愛用するコートを壁から取り、放るように渡す。
ベティはそれに袖を通すと、いつも会議に行く時の習慣として、長い髪を一つに束ねた。鋭く尖った耳が髪の下から現れ、真っ直ぐに天井を向く。
「行こうか、アリスちゃん」
異世界調整事務局で何かが動こうとしていた。
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