第四話 不測の事態に対応できますか?
今日は赤い雨が降っていた。
この辺りに降る雨は日によって色が異なる。偶に赤い雨と青い雨が一緒に降ることもあり、それは紫雨と呼ばれている。作物がよく育つので、紫雨の時には皆がこぞって農作物や花を植えるのが決まりだった。
赤い雨がガラスを叩く音を聞きながら、ベティは書類の文字を追う。そこには転移希望者の名前や出身地、転移の切欠などが記されている。この場所と現実世界を接続する転移ゲートには、その機能が搭載されている。転移の希望理由などは「感情情報」に分類されるので、勝手に出力するわけにはいかない。こうして顔を合わせて、異世界に行きたい理由を尋ねる必要がある。
「システムエンジニア」
職業欄に書かれた文字列を読み上げたベティは、やつれた顔をした男を見る。目だけは血走って輝いているが、無精髭と荒れた肌は生きる気力というものが感じられない。
「四徹中に寝落ちして、ここに飛ばされてきた。寝たらいいんじゃないですか」
「それで寝れたら苦労はしないよ。どうせ寝ていても叩き起こされるんだから」
あのクソ会社、と男は呪詛を吐き捨てる。相当、職場環境に関して不満があるようだった。しかしそんなことはベティには関係がない。
「異世界に行く目的をお聞かせください」
「傭兵になりたい」
「はい、傭兵ですね」
男はベティが淡々と返すので、少し眉を寄せた。
「驚かないのか」
「魔法使いの次に人気があるのは軍人ですから、別に驚きません。よくある話です。現実世界では傭兵になるのは非常に困難です。パスポートなどの問題もある。その点、異世界であればそのようなしがらみがない。……と考える人は多いですよ」
男にとっては、その評価は心外だったのか、不満そうな表情を浮かべた。ベティは書類の必要事項を埋めながら、次の質問を行う。
「傭兵になって何をしたいんですか?」
「あれは契約によって決められた仕事を行うんだろう? 今みたいにクソ無能営業が口先三寸で取ってきた仕事をただやらされる日々にはうんざりしているんだ。自分で自分の仕事を契約し、その範囲だけで仕事をしたい」
また何か思い出したのか、男は舌打ちをした。「クソ無能営業」とやらが誰だかはわからないが、相当恨まれているだろうことにベティは少し同情する。
「俺は射撃が得意なんだ。サバイバルゲームでも高く評価されている。それに体力もあるから、傭兵としての適性があると思う」
「その程度で適性とは言いません」
ベティは相手の話の腰を容赦なく叩き折る。
此処に来る人間は、少し徹夜が得意だとか、少し手先が器用なぐらいで、何かの職業への適性があると言い張る。まだそれが仕立て屋ぐらいなら一考の余地もあるが、傭兵への適性があるなんて自分で言う者は最初から相手にしない。
「傭兵にも様々な種類がありますが、貴方はどのような相手と契約をしたいんですか?」
「金持ちの私設軍隊に雇われたい。国と契約すると、何処に仕事にいかされるかわからないからな。まったくあの無能営ぎょ……」
「営業さんの話はもう良いです」
ベティは黒縁眼鏡を指で押し上げた。長く使っている眼鏡は、弦の部分が少し歪んでしまっている。しかし、部下のアリスからの贈り物なので、ベティはこれを買い替えるつもりはなかった。優しい彼女はいつもベティの心配をしてくれる。
「私設軍隊に所属したい。それで、何をするんですか」
「勿論、敵から契約主を守るんだ。異世界において不測の事態はいくつもあるだろう。自分がそれを乗り越えて成長出来るかどうか、どこまで自分を高めていくことが出来るか試してみたいんだ」
興奮を滲ませて男はそう言った。ベティは溢れ出さんほどの熱量に感心した様子で、手元の書類に何かを書き込んだ。様々な世界の言語を集約し簡略化した文字は、知らない者にはただの棒線にしか見えない。
「貴方のような人は初めてです」
男はそれを称賛だと受け取って、得意そうな顔をする。先ほど、傭兵を希望すると言った時とは雲泥の差だった。だがベティは、続けて感心した理由を口にする。
「そんな積極的に人を殺して成長したいなんて」
「……え?」
得意げな表情のまま、男は口だけ歪ませた。そんな言葉を掛けられることなど、全く予期していなかったことがわかり、ベティは内心で苦笑する。
「だってそうでしょう。貴方の言う「敵」は契約主の命を狙う者である可能性が高い。ただ金持ちなだけで暗殺者なんて滅多に来ませんから。その敵を倒したいということは、イコール殺したいってことですよね?」
「い、いや。そこまでは」
「殺さないんですか?」
「殺したくは……ない」
ベティは呆れかえって、椅子の肘掛に頬杖をついた。その様子に、男は慌てて言葉を繋げる。
「敵を殺さずに無力化する。そういう道もあるはずだ」
「無力化というと響きは良いですけど、一切傷つけないのは不可能ですよね? 貴方は人を傷つけるために異世界に行くということで良いですか?」
転移希望者の中には、異世界での戦闘を望んでいるにも関わらず、人を傷つけるつもりのない者が多い。火炎弾でも放てば敵が驚いて許しを請うて終わりだとでも思っている。実際に火炎弾が直撃したら、人間の肌は簡単に焼けただれる。攻撃を浴びた者は痛みを感じるし、攻撃者も罪悪感を背負う。
いくらその後に治癒魔法で回復出来たとしても、両者が背負ったものが無くなるわけではない。治癒出来たならいいだろう、という理屈は「車で人を轢いたけど、完治したから気にしません」と言っているようなものである。
「人を絶対に殺さないし傷つけない傭兵。とてもいい響きですね?」
ベティは口元に笑みを浮かべて男を見た。目の奥には違う種類の笑みが覗いているが、男はそれに気が付かない。あくまで口調は変えずに、ベティは疑問を口にした。
「そんな傭兵を誰が雇うんですか?」
男は下唇を噛んで黙り込む。まるで噛みしめた唇の中から、良い言葉を探そうとしているかのようだった。
「貴方にそのような技能があることを、今すぐここで証明出来ますか? 目の前にナイフを持った暗殺者がいた時に、一切傷つけずに無力化出来ますか? 出来ないのなら、貴方は人を殺したいのだと解釈します」
沈黙が流れた。
窓には赤い雨が打ち付けて、軽い音を繰り返す。窓ガラスを伝わる赤い水は、人間の血液のようだった。ベティには血液などないので見ても何とも思わないが、男にそれがどのように見えているかはわからない。
やがて男は絞り出すように声を出した。
「……出来る、筈だ」
ベティは書類をデスクの上に広げた。此処まで強情な人間も珍しいが、それは勇猛でもなければ向上心があるわけでもない。ただ引っ込みがつかなくなっただけ、というのが妥当な線と思われた。
「では、対応してください」
ベティの言葉が終わると同時に、床に穴が開いて、中から黒い塊が盛り上がる。鉱物を溶かして油で固めたような光沢をした塊は、人間のような形状に変化すると、男へと掴みかかった。
「異世界で相手するのが人間だけとは限りませんから」
黒い手が男の首を掴む。突然のことに、案の定というべきか男は何の反応も出来ていなかった。防御の一つでも取ればまだ良いが、そもそも男が武術などを一切学んでいないことを、ベティはその時初めて知った。
「そんな状態で異世界で傭兵になりたいなんて、変わった人ですね」
黒い腕が伸び、男を完全に絡めとった。
アリスの体は変幻自在であり、その表面は粘性のもので覆われている。余程の怪力の持ち主でもなければ、一度アリスに掴まれたら逃げることは出来ない。
男は穴の中へ引きずり込まれながら、必死に腕を伸ばして床を引っ掻く。だがその努力により得られたのは、指の痛みぐらいだった。男の体を包み込むように変質しながら、アリスは穴の中へと戻っていく。穴の外へ出ていた部位が全て収納される頃には、男の気配は無くなっていた。
「アリスちゃん」
ベティは椅子から降りると、デスクを回り込んで部下のいる穴の横にしゃがみ込む。
「どうだった? 今の男も持ってたかな。「異世界転移協会」のチラシ」
黒い液体の中から触手が一本伸びる。その先には今の男が持っていたチラシが握りこまれていた。ベティはそれを受け取り、中身に目を通す。先日、何やら喚いていた男が持っていたものと完全に同じだった。
「ありがとう、アリスちゃん。あとでトカゲ紅茶淹れるからね」
アリスはそれを聞いて、嬉しそうに体を揺らす。
ベティはチラシを丁寧に畳むと、デスクの上に既に置かれていた一枚目のチラシの上に重ねた。前回、この件を定例会で報告したのだが、「異世界転移協会」なるものを誰も聞いたことがなかったし、考慮すらしていなかった。そのため、今は各審査官が情報収集を行っている。ベティとしては一刻も早く、その謎の団体を叩きつぶしたいが、「異世界に干渉しない」という方針を自ら破るわけにはいかない。
「慎重に、慎重に」
副局長の口癖を真似ながら、ベティはチラシの上に本を置いた。本の間に挟まっていた栞蝶が羽ばたき、窓辺へと飛んでいく。鮮やかな赤色をした栞蝶はベティのお気に入りだった。
「焦ったら負けだもんね」
異世界調整事務局は恐らく今は平和だった。
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