第三話 貴方のレベルはいくつですか?
レベル1の村に放り込んで欲しい。
男は笑顔で言いながら、鍛えられた筋肉を見せびらかすかのように袖を捲った。
「俺はサバイバルには自信がある。だが勇者の器かと言われると、そうじゃない。レベル1の村で周りの魔物を仕留めて、皆に感謝されるぐらいが丁度いいんだ」
「数年前に流行した「真面目系クズ」というやつですか」
仕事柄、現実世界のスラングにも流通しているベティは、男の経歴を記した書類に目を通す。熱心に体を鍛えて、二か月に一度は登山。夏と冬にはサバイバルキャンプ。特にそれ以外は見るべきところもない。
こういう勘違いした人間が来るのは七日に一回ぐらいの頻度である。多いようにも感じるが、「自分の生まれ持った素質がチートになる世界に行きたい」と駄々を捏ねる人間に比べたらレアな方だった。そういう人間は、異世界に対して大きな干渉を及ぼすと宣言しているに等しいため、速やかに帰還してもらっている。
「そもそも何か勘違いされているようですが、所謂「パラメータ」が存在する異世界は少ないんですよ」
大きな黒縁眼鏡を指で押し上げながらベティが言うと、男は拍子抜けしたような顔になった。
「そうなのか?」
「ゲームなどで勘違いしているのかもしれませんが、あれはあくまでプレイヤーが「この敵はレベル50で勇者は52だから倒せるな」という指標に使っているだけです。実際にステータスがあらゆる人から見える世界なんてあったら、破滅です」
「どうしてだ? 便利じゃないか」
ベティはわざとらしく天井を仰いで溜息をついた。
「では此処に、か弱い少女がいたとしましょう。彼女のレベルはたったの10。しかも魔法も剣もそんなに使えません。そこにレベル20の性犯罪者が来ます。彼、あるいは彼女には少女のステータスが見えています。どうなりますか?」
「……あ」
「はい、わかりましたね。ステータスが見える異世界の現状を教えてあげましょうか。弱き者は強き者に虐げられ、ステータスが良い者は無条件で優遇され、ステータスが悪い者はどんなに努力しても認められません」
「酷い」
それは男の率直な感想だったが、ベティは肩を竦めただけだった。
他の異世界を救おうとする転移希望者も偶にいる。だが、たかが一般人の思い付きや意気込みで世界が変えられるのであれば、まずは現実世界が抱えている問題を解決すべきである。
要するに転移者の殆どは異世界を見下して生きている。「自分一人でどうにか出来る」「難しいことは何もない」「楽勝な世界」だと思い込んでいるのである。
だが、そこが一つの社会として存在する以上、現実世界と殆ど変わらない複雑な仕組みがある。他から見れば理不尽でも、彼らにとっては都合の良いものも存在する。
何年か前、独裁王国を救うべく転移した若者は、一見すると完璧な社会を構築してみせたが、そのせいで幼い子供が全て死んだ。彼の描いた世界には子供を救う仕組みが備わっておらず、そして「完璧」にしてしまったので融通も利かなかった。
もはやあの元王国は、緩やかに死を待つばかりである。
「後ですね、レベル1の村なんて存在しません。ゲームのやりすぎです」
「でも、パラメータが存在する異世界があるってことは、探せばあるんじゃないのか?」
「ありません。貴方が言っているレベル1の村というのは、要するに周りに弱い魔物しかいない場所でしょう? そんな平和なところなら皆住みたがりますし、結果として大きな町になります。貴方の介入する余地はありません」
「いや、ほら、山奥とか……」
「山奥なのに貧弱な魔物しかいないのなら、その山の土壌の栄養状態は非常に悪いのでしょう。人は住みませんね」
ベティが言い切ると、男は不満そうに口を尖らせた。明らかに何か苛立っている様子だったが、ベティはそんなことはお構いなしに話を続ける。相手が自分に敵意を向けるなら強制帰還するだけであるし、どんなことを言われても転移させるつもりはない。
確かに以前は、まるでゲームのような世界が存在した。
皆その世界に入りたがり、やがて伝統ある王都には他の世界から来た人々が溢れかえり、一つの町のようなものを作ってしまった。
無謀に王都から出ては魔物に返り討ちにされ、森に入り込んでは聖なる泉から薬草を次々引っこ抜いた。お陰で森の奥に暮らす伝説の龍が怒り狂い、王都は焼け野原にされてしまった。
このような悲劇はいくらでもある。異世界調整事務局は二度とそのようなことを繰り返してはならなかった。
「それと、これは非常に大事なことなので、不貞腐れずに答えてもらえますか」
書類を置いたベティは、ペンを手に取る。
男はその仕草を好意的に解釈したのか、少し表情を明るくした。
「何だ?」
「貴方、ご自分が何レベルのつもりなんですか?」
それは男にとっては唐突な問いのようだった。口を半開きにして、目だけはしっかりとベティを見据えていたが、喉から何も声は出てこない。
一応五秒だけ待った後、ベティはペンを揺らしつつ言った。
「貴方、自分のレベルが高いつもりかもしれませんけど、その世界ではレベル0です。わかっていますか?」
「ぜ、ぜろ?」
「レベルとは経験値です。その世界で何もしていない貴方はレベル0。要するに最弱です。最弱の貴方が村の外に出ようとしたら、善良な方々は止めるでしょう」
実際には、個人の身体能力などに応じて暫定レベルは与えられる。
だが、転移させるつもりもない人間相手に言っても仕方がないことだし、魔物を退治するという目的においては、レベル0というのも嘘ではない。
「レベル0の貴方は村の外には出られません。そのように定められているからです。それがないと、子供達が外に出てしまいますからね。貴方が転移した先で出来るのは……そうですねぇ。体を鍛えて、薪でも割っていればいいんじゃないでしょうか」
「は……」
男は唇を震わせながら何か言おうとしていた。その震えは肩へ伝わり、腕へと広がっていく。やがて座っている椅子が音を立てて揺れ始めた頃になって、男は大きな声を出した。
「話が違うじゃないか!」
「話?」
「異世界に行けば幸せになれる! そう言ったじゃないか!」
男は一枚の紙を握りしめて立ち上がると、拳ごとベティのテーブルに叩きつけた。テーブルの縁に置いていた三角形の申請書が落ちて、途中で蛇に変化してどこかに消えていく。書物蛇を探すのは面倒だが、ベティはそれよりも男の言葉が気になっていた。
「誰がそんなことを?」
「転移協会だよ! そいつらは入国審査のことも教えてくれた。通過するための情報を得るために、二か月分の給料が飛んだんだぞ!」
「転移、協会」
ベティの髪が揺れ、その下に隠れていた尖った耳が覗く。
「なるほど、わかりました」
小さな手を伸ばしたベティは、男の拳に指を掛ける。血管が浮き出るほど強く握りしめられていたはずの拳は、まるで毛糸でも解すかのように、あっさりと開かれた。
握りこまれていた紙を回収したベティは、眼鏡の奥の目を細める。
「本来は貴方はケースAですが、貴重な情報を提供して下さったのでケースBとします」
「俺の金を返せ! 異世界に行かせろ!」
男は部屋中に響く声で喚いていたが、唐突にその声が消えた。
そして、男が先ほどまで立っていた場所には、深く大きな黒い穴が開いていた。穴の側面は生き物のように波打ち、赤い瞳がその中で瞬きをしている。
「これで、此処に来たことも忘れて、どこかでおねんねするはず。……それよりアリスちゃん、これどう思う?」
穴が蠢き、何かの断末魔のような声が放たれる。ベティはそれに対して「そうだよねぇ」と相槌を打った。
「こいつらのせいで、毎日忙しいのかもしれない。もう少し暇なら、アリスちゃんとゆっくりお茶したり、お買い物にも行けるのに」
見た目通りの幼い仕草で、ベティは頬を膨らませた。
視線の先にある紙は、皺が寄って所々破れている。「貴方も今日から異世界ライフ」と、安っぽい文句がそこに書かれていた。
「転移協会、ね。皆に相談しなきゃ」
個人単位で仕事をすることが多い異世界調整事務局では、何よりも報連相が重要である。
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