第二話 経営計画はありますか?

 ベティは熱弁を振るう女をテーブル越しに見ながら、球体をした書物を手に取った。表紙も裏表紙もない、芯を中心として半円状の紙が連なったそれは、この世界では「公平の書」と呼ばれるものである。見開き一ページ毎に、一つの異世界の情報がまとめて記載されている。


「だから、私を女性の冒険家が多く存在する異世界に転移させて下さい!」


 エステティシャンだという女はそんな言葉で主張を締めくくった。

 何日か前に医学生を相手にした時のことを思い出しながら、ベティは可愛らしい口唇を開く。


「女性相手の商売をしたい。成る程、着眼点は良いですね」


「そうでしょう? 女性の冒険家だってお洒落やお化粧は楽しみたいはずです。だからこそ、私はエステサロンを開こうと考えています」


「別に今だってエステのお仕事をされているんでしょう? それとも、お給料や環境に不満を抱きましたか?」


「私は人に使われるのに嫌気がさしたんです。本当に自分がやりたいことをやってみたい。そう考えた時に光が私を……」


「はい、そうですか」


 斧で薪を割るかの如く、ベティは相手の話を切り捨てる。この手の話はいくらでも転がっていて、しかもどれも代わり映えがしない。一度だけ「肥溜めに落ちたら此処にいました」という老婆の話だけは同情も交えて聞いてあげたが、その程度である。


「で、経営計画は?」


「はい?」


「どのように経営を行うか、計画書はお持ちではないんですか? それがないと融資は出来ませんけど」


 女は面食らった顔をして、ベティをまじまじと見る。それから口紅を縫った口をあんぐりと開いた。


「ゆうし」


「えーっと、もしかして元手ゼロで商売を? 見通しが甘くないですか?」


「そんなの、向こうでどうにか」


「どこの誰とも知らない、言わば外国籍の人に店舗を貸す人はいません。いたとしても貴女には保証人がいませんから賃貸料は高いでしょう」


 ベティは公平の書を一度テーブルに置いた。一時間ほど前に淹れた紅玉珈琲はすっかり冷めてしまっている。だがベティは熱いものが苦手なので、それで困ることはない。


「異世界の通貨を貴女は持っていないでしょう。商売を始めるには、何にせよ先立つものが必要です。調整局ではそういった方々のために融資を行うことがありますが、それにはきちんとした経営計画、返済計画を提示してもらう必要があるんです」


 それは半分嘘である。

 確かに融資を行うための規約は存在するが、今の所それが適用されたことはない。商売を始めてもそれが軌道に乗る確率は低いし、破産した場合にも誰も助けてはくれない。結局はほんのわずかな人間が異世界での商売に成功しているだけで、他は借金を背負って破産することが多い。

 要するに現実と大して差はないうえに、保証も何もない分、異世界の方が悲惨とも言える。入国審査官が融資の許可を下ろさないのは、ある意味で温情でもあった。


「返せますか、お金。なるべく物価の安い異世界を紹介することは出来ますが、そのような場所は利子が十日で五割ついたりします」


「暴利じゃないですか。そんなのおかしいです」


「おかしくありません。その世界の法律では正しいです」


 ベティは何やら憤っているらしい女に、あくまで冷静に対処を行った。

 この仕事は、逐一相手に合わせていたら身が持たない。


「返済計画が立てられないような商売には手を付けないほうがいいと思います」


「あ、貴女に何がわかるんですか!」


「わからないからこそ、進言してるんですよ」


 異世界での商売。

 その言葉が魅力的に感じる者は多いようだった。ただ不思議なことに、誰もが「異世界の技術は自分たちの世界より劣っている」という前提で話をするので、ベティからすれば呆れて物も言えなくなる。

 少なくとも、エステやそれに準ずる技術がある異世界は百や二百では収まらないし、特殊な技術で心身のリフレッシュ、またそのケアを行える世界も多い。

 確かにまだ発展途上の異世界も存在するが、そのような世界は法律や各種制度が不完全であり、別の世界から来た者には優しくない。


「一応、聞いておきますけど、異世界に行ったらどうやって商売を始めるつもりなんですか?」


「まずは、店舗探しです」


「それまで貴女はどこで寝泊まりをするんですか?」


「……宿屋とか」


「宿泊代もかかりますね」


 女は言葉に詰まって、顎を少し持ち上げた。見た目はただの少女であるベティに、まるで子供を諭すかのような態度を取られている屈辱も混じっていた。


「店舗を借りたとしましょう。内装とかどうするんですか? お金、かかりますよね」


「最初は施術用のベッドが一つあればいいんです。それぐらいならどこからか調達出来ます。なるべく元手を減らすことで……」


「あのぉ」


 ベティは眉間に皺を寄せて首を傾げた。


「看板も内装もない、ベットが一つだけ置いてあるお店、しかも経営者は異世界から来た得体の知れない人。そんな店に誰が入るんですか?」


「それは……っ」


 女は何か言い返そうとしたようだったが、目は完全に左右に泳いでいた。

 逆の立場を想像し、自分が言っていることが現実的でないことを認めざるを得ない様子だった。


「兎に角ですね、お金がかからない商売をしたいなら、異世界じゃなくて現実世界のほうがまだ良いと思いますよ。……反論は?」


「……ありません」


 ベティは書類の上に指を走らせると、大きなバツ印を刻んだ。黄色い光で出来た却下印が紙面に浮かび上がる。

 それを傍らの書類箱に入れて、ベティは笑顔を相手に向けた。


「では、お帰り下さい。後ろにドアがありますから」


 女はその言葉に、初めて後ろを振り返る。

 そこにある重厚な作りの扉を、まるで何か珍しい物でも見るかのように凝視していた。


「帰らないんですか? そうなると、部下に強制帰還させることになりますよ」


 静かにベティが告げる。

 女はどこか落ち着きのない動作で椅子から立ち上がると、扉の方へと歩いて行く。寝不足の人間が取るのと、ほぼ同じような仕草だった。

 両手で扉を開いた女は、そのまま扉に縋るような格好で外へと出て行った。ベティはその背中を見送りながら、小さく肩を竦めた。肩の上のピンクと黄色の髪が重力で滑り落ちる。


「家に帰ってなくて、明るい照明がついたお店の中で寝ちゃったのかなぁ? 働き過ぎはよくないよね、アリスちゃん」


 テーブルの向こう側、女が先ほどまで座っていた椅子の下からくぐもった声が同意を返す。


「今日はノー残業で帰ろうね。副局長に怒られちゃうもん」


 働くことは嫌いではないが、残業は嫌い。残業は嫌いだが、ノルマは達成する。

 異世界調整事務局では、ベティのような者は珍しくない。だからこそ今日も明日も平和である。

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