千年の悪魔の誤算

新巻へもん

覚醒

 微かに波の寄せる音がする。

 誰かが自分の壺に触れるのを感じて、そいつは永き永き眠りから覚めた。


 あの魔術師どもめ。よくも偉大なこの私をこのような目に。そいつは怒りを募らせる。まったく、ほんの少し、都市を焼き、川を干し、人を弄んだだけのこと。このような壺に封印しおって。あれからどれほどの星が巡ったことか。まあ良い。ここから出られた暁には、子孫どもに復讐の爪を加えてくれるわ。


 今はもう名を覚えている者もいない悪魔は囁く。

「さあ、この壺に触れている者よ。封印をはがせ」


 砂に半分埋もれていた壺を引きずりだした男は壺に貼ってある布に手をかけてはがす。何かいいものが入っていることを期待して。


 悪魔は封印がはがされると同時に外へ飛び出し、壺をはがした男の体を乗っ取った。貧相な体と、狡猾そうな表情の男。悪魔に比べれば一瞬といっていいその男の人生が悪魔の中に流れ込んでくる。


 悪魔は不満だった。このような取るに足らぬ男を依り代とせねばならぬとは。どうだ。この貧弱な手足。今の状態ならこの男と共に悪魔を滅することも可能であろう。悪魔は身震いして、早く力をつけねばと感じた。取るに足らぬ男の記憶の中から、この先に男の仲間が居ることを知る。


 今や完全に悪魔となったその男はふらふらと歩き出す。砂浜を離れ、岩場を越えたところに目立たぬ洞穴があった。男が寝泊まりしていた場所だ。近くまで行くと男と似たり寄ったりの格好をした男が出迎える。

「よう、どこさ……」


 腰に下げていた刃物を抜き首を血管を切断する。

 ばきばきばきばき。むしゃむしゃ。ごくん。

 

 悪魔は不味さに戻しそうになりながら男を食べた。どうせなら女がいい。取って食うと分かった時の怯えるさまが楽しいからな。命だけはと懇願するのを、さんざん弄んでから腕を噛みちぎったときの表情がたまらない。もう片腕、足とわざとゆっくり食い尽くす。はは。たまらぬ。食いではないが赤子もよいな。


 悪魔は洞窟に入ると出会う相手に次々に切り付け口を大きく開けると咀嚼し飲み込んだ。


 ばきばきばきばき。むしゃむしゃ。ごくん。


 少しは力がついてきたが、まだまだだ。永き眠りのせいか食べても食べても力が蘇る気がしない。これでは少し強い戦士と変わらぬ程度。まだ依り代との結合が完璧でない。首を刎ねられ、脈打つ心臓を抉られれば依り代ごと滅してしまう。


 洞窟の奥にいた髭を生やした大柄な男はそれまでの男たちとは違った。悪魔が首筋に切り付けるとさっとかわし、腰に下げた刃物を抜く。

「なにもんじゃ?」

 悪魔は無言で更に切りかかる。浅いとはいえ手傷を負わせた。長引けば失血で死ぬ。髭を生やした男が倒れると悪魔は口を開けた。


 ばきばきばきばき。むしゃむしゃ。ごくん。


 力が満ちると同時に、髭の男がこれから襲おうとしていた村の様子も悪魔の頭に流れこんできた。若い女や子供もいる。悪魔は舌なめずりをした。洞窟を出て、男達の記憶をたどり、疎林を抜けて道に出た。村はこの道を行った先にある。弾む足取りでそちらに向かう。


 殺戮と凌辱と凄惨な宴を思い描き歩く悪魔の目に曲がり角から男が現れるのが見えた。足早にこちらに向かって歩いてくる。道は3人は並んで歩けるほどの幅があったが、いい気持でいる悪魔は道の真ん中をすすんだ。


 男が怒鳴る。

「おはん。どかんときっど」

 何を言ってるか分からぬ悪魔はそのまま進む。顔にはこれからの楽しみを思いニヤニヤ笑いが張り付いていた。それを見た男は悪魔に突進してくる。


「ちぇすとー」

 男の腰の刃物が目に見えぬ速さで抜かれたかと思うと悪魔の心臓を貫いた。驚く間もなく、すれ違いざまに悪魔の首が飛ぶ。首が地面に落ちるときには男はもう十歩以上先に行っていた。悪魔の依り代となった体から紫色の煙が立ち上りやがて消える。


 男は懐から布を取り出すと刃物をぬぐい、振り向きもせずに何事も無かったかのように去って行った。薩摩の男にとっては当然の掟である。道を譲らぬとあらば、鬼といえども切る。


 時は天正5年。修羅の国の一角、日向国佐土原城近くでの出来事であった。史書は日の本を救った男の名を記していない。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

千年の悪魔の誤算 新巻へもん @shakesama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ