第2話「仲たがい」

 ラクダを引いて歩きながらゼジルはターバンを目元に引き下ろした。風が強い。今日は日が沈まないうちに西の街まで行かなければならないのに、この風では思うように進むことは困難だろう。

 旅の出鼻をくじかれたような思いで斜め上を見ると、ラクダに跨ったサラの、どこか嬉しそうな横顔が目に入った。


「随分と楽しそうだな」

「〝ですね〟」

「チッ.......ですね」

「ええ、楽しいわ」


 隠す気もないようで、サラは荒ぶる風の中くんっと顎を上に向けた。

 風にさらわれた髪が流星のような煌めきを放ちながら背後に流れるのを、ゼジルはどこか夢見心地で眺めた。


(そういえば昔、どこかの商人の荷を盗んだ時にこういう絵を見たことがある。.....まあ金にならなそうなんですぐに捨てちまったが)


「ちょっと聞いてるの?」

「あ?」

「あ?じゃないの。あなたが質問したから答えてたのに.....何を考えていたのよ」

「綺麗な髪だなと思ってました」


 素直に答えると、サラはゲゲッとサソリを見つけたようなひきつり顔で「あなたのお世辞って町外れのパントンみたい」と相変わらずイマイチな比喩をした。まあ、ポートファリアの町外れはクズの吹き溜まりだし、パントンはゴミ箱のことなので、もう二度と褒めることはないだろう。


「それより、あなたのことお城で聞いたわ。どんな宝も盗み出しちゃう盗賊だって」

「まあな」

「ならどうして捕まらないの?」

「それは企業秘密」

「ケチね」


 聞いたわりに興味がなさそうなのはお互い様だ。それから暫く二人は口を聞かずに砂漠の中を進んだ。




「あ!街だ!街が見えたわ」


 日も傾きかけた頃、ようやく一つ目の街・メルテリアにたどり着いた。

隣の国へ行くためにはここを含めてあと三つの街を横切らなければならない。


「ここで食料の調達をする。アンタは俺から離れず、顔を隠していてください」

「私の顔なんて平民は誰も知らないわ」

「こっちは恩賞がかかってるんでね。リスキーなのはナシ」

「意外と肝っ玉小さいのね。盗賊のくせに」

「城に送り届けて恩賞貰ったらその鼻ちぎり取るからな」

「まあ野蛮ですこと」


 二人は町に着くと、まず最初に衣服を買いに回った。王女の付き人から金を貰っていたので、ゼジルは若い娘の服を数着と、自分のための外套を買った。どれも肌触りのよい上質なものだ。


 サラは着替える時、酒場裏の小屋に立てこもって「絶対にあけてはダメよ」と強く言ったが、ゼジルが「枯れた大地は見飽きてますので」とつまらない返事をしたせいで出てきた時にはすっかり機嫌を損ねてしまっていた。


(おお。存外様になっている)


 首元まで隠す深いロイヤルブルーのコートドレスに、刺繍のあしらわれた幅広のベルト。ロングブーツもよく似合っている。

 ただやはりどこか平民とは一線を画して見えるのは、この流れるような銀髪のせいだけではないはずだ。


「私の胸は枯れた大地なんかじゃないわ」

「そうですな。さあ王女、あとはこいつを頭にまいて」

「ターバン?」

「その髪は目立ちますから」


 不機嫌そうだった顔が一瞬悲しげに曇ったのでゼジルは瞬きしたが、次の瞬間にはまた平時の不機嫌顔に戻っていた。


「巻き方なんて知らないわ」

「じゃあ俺が」

「嫌よ。それに私みたいな貧相な小娘は、誰にも狙われやしないわ」


(狙われてるから亡命してんだろうが!小さいことをいつまでもひきずりやがって...)


 苛立ったゼジルは舌打ちを一つ、両腕を伸ばして彼女のささやかな胸を掴んだ。むにっと柔らかな感触が手のひらに伝わる。


「確かに。こりゃまあまあだな」


 彼の頭上に空の酒瓶が振り下ろされる。

 地面に倒れ込んだゼジルは頭の周りをグルグル星が飛ぶのを感じながら、去りゆく王女の背中に手を伸ばした。



***



「おうゼジルか!!こんな所に珍しいな」

「酒」


 ゼジルが無愛想に言い放った相手は、メルテリアの小さな酒場「Koronbusu Columbia」の主、コロンビアだ。カウンター越しに差し出されたグラスをゼジルは苦い顔で煽った。


「最近じゃとんとお前の名は聞かなくなった。てっきりもう足を洗ったのかと思ったよ」

「そのつもりだったさ。もういい加減落ち着こうってな」

「.....何かあったのか?」

「王女(しごと)に逃げられた」


 気の済むまで笑い転げる店主を横目に、ゼジルは自分でグラスに酒を注いだ。


「逃げられたってお前、そんなのは初めてじゃねーか!くくく、天下の盗賊が獲物を逃がすとは、ふはは!あー腹がいてぇ」

「そのままくたばれ」

「おうなんて物騒な面してんだお前は」

「誰の面が町外れのパントンだ」

「そこまで言ってねーが。まあ、飲め飲め」


 コロンビアは、そういえばと背後の酒瓶を磨きながら思い出したように口を開いた。


「さっき街の方でとんでもねえ美人を見かけてよ!ロイ達に連れてかれちまったが」

「.....とんでもねー美人?」

「コートドレスの小綺麗な女で、どっかの貴族かもしれねえな。とにかく別嬪だった」

「ロイってのは誰だ」

「この町のチンピラさ。ゴロツキだが腕が立つ」


 ふうん。とゼジルはカウンターに肘をついてしばし思考に耽った。殴られた後頭部も痛いし、さっき連れ去られたならもう事は起きてるかもしれない。


「.......」



 彼が酒場を出たのはそのすぐ後のことだ。

 街の外は既に夜の気配に包まれている。


 ゼジルはあてもなく、ただし、しっかりとした足取りで進んだ。入り組んだ路地をすいすいと抜け、他人の家の屋根を野良猫のように軽々歩く。

 やがて辿り着いた古小屋で、呻く女の声を耳にした時、ゼジルはうんざりため息をついた。


「俺の鼻も狂ったもんだな」


 蹴破った扉の先で、涙にまみれたサラの顔がバッとこちらを振り返る。信じられないというような希望と、遅すぎることに対する恨み辛みの綯(な)い混ぜになった、中々どうして悪くない顔だ。

 ゼジルは口元に笑みを浮かべた。


「さあ、助けに来ましたよ。王女様」


 ――ゼジル・ロゼウルフ・アリー。


 名高き宝石の匂いだけを嗅ぎ当てる、

 貪欲極まりない狼虎の鼻を持つ男。


 それがどうして王女の匂いを嗅ぎ当てたのか彼らは.....否、〝彼は〟まだ知るよしもなかった。

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