とある王女と盗賊衛兵【完】

岡田遥@書籍発売中

第1話「王女と盗賊」


 すみを流したような夜であった。

 鬱蒼うっそうとした森の沈黙の傍らで、その城は予期せぬ侵入者の来訪にざわめきたっていた。そこら中で篝火かがりびが燃え、研ぎ澄まされた剣や銀の甲冑かっちゅうに赤々とした火の影を落とす。その城は砂漠の中心にあって何もかもが閉ざされた国・ポートファリア王国のトゥルエラ城だ。


「王家の秘宝は無事か!?」

「何者もこの城から生きて出すな!」


 大勢の足音がすぐそばを駆け抜けてゆく様子を、馬小屋の影に潜んでいた男はぼんやり座って眺めていた。

 不思議なことに誰もそこに男がいることに気が付かなかった。

 なぜなら男の鼓動は宙に溶けるように静かで、気配などはまるでなく、意識して暗闇を凝視しなければ誰にも彼を見つけることは不可能だったからだ。


 男の名はゼジル。

 ターバンからぞろりと覗く瞳だけが赤々と光っている。

 

「どいつもこいつも間抜まぬけに腑抜ふぬけ。こんなザルな警備で何が国の衛兵だ」


 これが自分の部下だったら片っ端から野犬の餌にしてやるところだ、とゼジルは思ったが、彼らは当然ゼジルの部下でもなければ無能を案じるべくもない他人なので何の問題もない。そもそも彼は一匹狼だった。


 しかしゼジルは、彼らの護るべき存在がつい先日ぽっくり死んだことだけは知っていた。ポートファリア王国の王女、サラ姫だ。


「大体どうして俺が追いかけられなきゃならねぇんだ」


 思わずぼやくと、傍にいた馬が鬱陶うっとうしそうにそっぽを向いた。


「あいつが死んだらあれは奪っていいという約束だったのに。あの女、誰にもその話を伝えなかったらしい」


 これじゃあまるで俺が盗賊みたいじゃねえか。まあ盗賊なんだけど――とここまで胸の内で騒いでようやくゼジルは腰を上げた。衛兵達の気配はとっくに消えている。宝の場所もとうに知っていた。他の誰でもない。王女が、彼に教えたのだ。


 彼らは数年前、たった二人で旅をしていた。


 白いラクダに乗って砂漠を歩き、

 いくつかの街で寝泊まりをした。

 

 彼らを守るものは麻の布切れがひとつ。


 岩影にもぐって嵐をしのぎ、

 凍えそうな夜は二人と一匹、寄り添いあって眠りについた。

 王女は言った。


「私が死んだら王族の宝はあなたにあげる。きっと――――――にあるわ。

 隠されるならそこしかない。

 必ずあなたが奪いに来て。

 あなたが奪って、絶対に見つからないところに隠してね」


 ゼジルはなんの躊躇ためらいもなく頷いた。

 そして王女が死んだと風の噂で聞いたので、わざわざこうして城へとやってきたのだ。


「……」


 闇の中を滑るように走りながら、ゼジルは彼女と出会った時のことを思い返していた。



***



 ユニコーンのたてがみのように白く美しい髪に、晴れた真昼の空のような瞳。

少女というには大人びた顔つきはしかし女と言うにはあまりに無垢むくすぎた。

 その顔が不服そうにくしゃりと歪むまでにそう時はかからない。


「この岩山みたいに刺々とげとげした野蛮やばんそうな男は一体なんなの?」


 ゼジルはたちまち苛立って、すました佇まいを普段のガラの悪い姿勢に変えた。


「お前こそ。随分とさちが薄そうだ」


 彼女の白い頬はたちまち真っ赤になった。

 これが、ポートファリア王国の王女サラと孤高の盗賊ゼジルの初めての会話である。



 サラはその時隣国りんごくへの亡命ぼうめい余儀よぎなくされていた。

 王女の国で何が起きたのかゼジルは知らない。

 内乱が起きたのかもしれないし、王族の権威けんいおびやかされるような別の何かが起こったのかも知れない。しかしそれらは彼にとってどうでもいいことであった。


 彼が知っているのは、王女を隣の国へ送り出せば莫大な恩賞を手に入れることができるということだけだ。



 衛兵の手を離れ、ラクダにまたがった王女は、ゼジルを見下ろして言った。


「私に指一本でも触れたら恩賞はないわよ。私が怪我をしてもだめ。風邪をひいてもだめ。ポロポロ泣いたりしても絶対にだめ」

「そんなのは俺の知ったことかよ」

「その不遜ふそんな口の利き方も直してね」


 ジゼルは口を極限まで引き結んで、ペッと唾を吐き捨てた。ちょっと!汚いのもダメよ!とすかさず飛んできた声に、

「はいはい分かりましたよ」

 と苛立ち紛れの返事を返す。


 王族の女がこんなに口うるさいとは思わぬ誤算だ。ゼジルにとって砂漠をひとつ越すことはわけないことでも、口うるさい女と旅をすることは、全く未知の怪物を相手にするより骨が折れることのような気がした。


「それと、私のことはサラ様って呼んでね。旅先で、あなたの奥様と間違われるようなことがあっては絶対にいけないもの」

「誰が間違えるかよこんなガキ.....」

「返事はイエスで結構よ」


 へいへいサラ様、とゼジルは先程のような返事をして、これからの長旅に憂いを募らせるのであった。

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