絶滅危惧種黒髪少女
七四六明
黒髪少女
「おはよう」
それもそのはずで、教室前の扉で挨拶した彼女だが、挨拶したのは教室の片隅に固まっている友達グループのほんの数人だけであったからだ。
「お、黒ちゃんおっはぁ!」
「黒園さん、おはようございます」
「おーっす」
「……
「こっち」
振り返ると同時、顔を両手で包まれる。
指先で頬をつままれてグニグニと遊ばれて、彼女の眉根が
「わぅぅぅ!」
子犬のような声を上げて、威嚇する桔梗。
これ以上やったら怒るなと踏んで絶妙なタイミングで引いた
眉間にしわを寄せて、唸る桔梗。
しかし頭頂部からひゅん、と一本束になって跳ねている髪の毛が犬の尻尾のように震えているから、楓太には彼女が照れ隠しで睨んでいることがわかっていた。
そしてまた、彼女が文句を言おうとしたタイミングで頭を撫でてやると、彼女は口を結んで喋れなくなる。
代わりに頭のひゅん毛が、もっと撫でてと雄弁に語っていた。
「おぉいそこの夫婦、邪魔だから教室入って来ぉい」
二人そろって教室へ。
コートを脱いで、二人で三人のところに集まる。
「今日も寒いですね」
「ね。黒ちゃん寒いの苦手だから大変でしょ」
「そうね」
「戌年なのにねぇ」
「それはみんなそうだから」
女子三人の話が弾む中、男子二人は秘密の相談。
「楓太、今日の実戦訓練は俺達で前線組もうぜ」
「いいけど。珍しいな、
「おぉよ、何せ今回の相手は五組の
「何か因縁、あったか……?」
喜助の企み笑顔。
彼は女子に背を向けると、楓太と肩を寄せて完全なる密談に入る。
「憶えているか、あれは約二か月前の実戦訓練。あのときの対漆原チーム戦で、おまえが起こした奇跡を……」
「奇跡?」
「終戦間際のラスト三十秒。おまえが勝負に出たときだ! おまえ、漆原さんの胸に倒れ込んだだろ?! あの巨乳に! 俺の見立てでは、Eカップはあるあの豊満なお胸に!」
密談できなくなるほど興奮する喜助。
その熱量に、物静かな楓太は若干押され気味である。
「あ、あれは事故。俺も漆原さんも、目測を誤っただけだ」
「だがしかしパフパフしただろ?! 揉んだだろ?! その右手でしっかりと! 俺もそんなラッキースケベにありつきたいんだよ!」
「いや、そんな狙って出せるものじゃないと思うぞ。さらにいえば戦闘中に」
「だがおまえは奇跡を見せてくれた。今度は俺が、二度目の奇跡を起こして見せるぜ! 期待してろ!」
「お、おぉ……が、頑張れ」
色欲駄々洩れで、女子から冷たい視線を送られている喜助。
だが彼にも策があるのか、自信満々に親指を立ててみせる喜助に、楓太は止めておけという自信を削られた。
さて、そんな喜助の策が通じたのかというと、自らラッキースケベを狙って特攻を仕掛けたのだが、学園の令嬢漆原を守るために他の男子が盾になって、喜助が飛び込んだのは厚い男の胸板に留まり、自殺特攻に終わった。
断末魔と言っても過言ではない、喜助の悲鳴が響く。
「だからやめておけと言ったのに」
「悲しい最期だったわね」
楓太と桔梗でビルの陰から、喜助の脱落を確認する。
司令塔を務める仲間からの指示を受けて、二人で敵陣後方へと回り込んだ。
「喜助がやられたってことは、作戦Dに変わる訳ね」
「定番のパターンだ」
「そうね」
敵の砲撃で、隠れていた角材置き場が崩れる。
落ちてきた角材から桔梗を庇いつつ、かつ敵に気付かれないように回避するために、楓太は彼女に馬乗りになるよう押し倒し――胸を触ってしまった。
(柔らか――っ!)
気付けば涙目で頬を朱色に染め、泣きそうになっている桔梗の顔。
普段のいたずらで済まされるレベルではなく、本気で怒っている様子だ。
現に彼女のひゅん毛も、項垂れるように垂れさがっている。
「ごめん……」
黙り込んでしまう桔梗。
敵チームも自分達に気付いているため、説得している時間もない。
仕方ない、と楓太は腹を括る。
ただし喜助の二の舞を演じるような自爆特攻などしない。
こういうときの二人の間での秘め事、ルールがあるのだ。
楓太は彼女の小さな頬を包み込むように持つと、親指で彼女の目の下あたりをフニフニと押すように撫でて、もう片方の手は彼女の艶と光沢のある黒髪を梳かすように撫で下ろす。
そして前髪で隠れている彼女の額を曝け出し、白く小さな額に口づけする。
「ごめん、きぃ。君を一番、愛してるよ」
敵チームが迫り来る。
一人は雷撃をまとった戦斧を振りかぶり、一人はガントレットを嵌めた拳を引き、さらに一人は遠くから弓矢を放つ。
三人同時の攻撃が二人を捉えるところまで迫ってきたそのとき、黒い閃光が瞬く間に三人の間を通過して、剣撃の残響が
大柄な男子が放つ雷撃よりも凄まじい熱を放ち、黒く輝く雷電をまとった桔梗が、右手のガントレットに仕込まれた剣を振り抜いた姿で、三人の遥か後方で見据えたときにはすでに、三人の男子は黒雷によって焼かれ、斬り裂かれていた。
途中で止めた矢をへし折って、彼女は告げる。
「すぐに終わらせるわ、楓太。終わらせるから……あとで、あとでいっぱい撫でてね」
「約束する」
かつては、彼女のような黒髪が日本人の特色だったらしい。
だが異能を発現する人間の誕生から、人は異能によって髪の色が決まるよう、体が作られて行った。
赤い髪ならば炎を操り、青色ならば水を操り、黄色ならば電撃を操る。
その中で黒い髪は、他の異能を凌駕する能力の持ち主がなる髪色で、今や絶滅危惧種とされていた。
二人の通う学園ですら、黒髪の生徒は一人だけ――桔梗だけしか存在しない。
黒園桔梗はこの異能世界において、絶滅危惧種の黒髪少女。
「置いてくわ」
漆黒の雷電をまとって、電光石火の速度で戦場を駆け抜けていく。
凄まじい速度が生み出す風圧で窓ガラスが一瞬歪んで、割れそうになる。
敵チームを率いている漆原は、桔梗にではなく桔梗が放つ漆黒の雷電に気付いて警戒するが、すでに遅い。
雷電の速度にまで加速した桔梗の斬撃が、漆原を捉えて焼き焦がす。
漆黒の雷電に悲鳴ごと焼かれた漆原が力なくその場に倒れ伏したことで、チーム戦形式の模擬戦闘訓練は終了した。
「あ、楓太くんお疲れぇ! そこで喜助くん拾って来たよぉ!」
「ありがとう。喜助、ダメだったな」
「つ、次こそは必ずパフパフ……」
「懲りないな」
ラッキースケベ作戦が失敗に終わった喜助に、桔梗の胸を触ってしまったなど言えるはずもなく、楓太は口を閉じた。
さらにこのあと、桔梗をなでなでする時間があるだなんて、もっと言えなかった。
「じゃ、じゃあ、喜助をお願い」
「はいはぁい!」
ロッカールーム。
待ち構えていた彼女から逃げる術はない。
観念して、彼女を愛でる。もっとも喧嘩したあとは毎度のことなので、楓太ももう慣れたものであるが。
膝の上に乗る彼女を後ろから抱き締めるように抱え、頭を撫でる。
美しい黒髪を傷付けないよう、手櫛で梳かすように撫で下ろしていく。
「頑張ったね、きぃ。また俺達、出番なかった」
「
「じゃあ、何もしてないのは俺だけか」
少し落ち込んだ楓太の自分を撫でる手をそっと包むように握って、「
異能犯罪者を取り締まる側に就こうとしている身としては、恋人を励ますだけで終わってしまうのは、力不足を痛感させられているようで歯痒く感じる。
水色の髪の毛を持つ楓太の操る氷の異能も、学園ではレベルが高い。
だが自身の控えめな性格と、桔梗という学園唯一にして自分よりも絶対的強者の存在で、自分の存在が霞んでしまっていることを、この頃の楓太は痛感していた。
それこそ目的はズレているものの、自分に正直で特攻だってできる喜助が、羨ましく感じてしまう瞬間だってあった。
そんな楓太の心持を理解しているのか、今度は楓太の両手を取って自分を抱きかかえさせるよう腕を回させる。
「私はいつも一人ぼっち。叶も杏理も喜助もいる、楓君もいる。だけど私は学園唯一の黒髪で、一人だけ変に期待されてて、わかってくれる人なんていないもの。だから私は、一人。だけど、今の私には楓君がいてくれる。私の孤独を癒してくれる。私のことをわかってくれる。だから、楓君はとてもとても、大切なことをしているの」
黒髪というだけで圧し掛かる重圧。
周囲からの期待値は高く、異常と言えるほど。
しかしそれでも過剰とは言い切れない。
現に黒髪である桔梗が学園でもトップの成績を収めているのだから。
故に周囲からしてみれば適当の重圧の苦しみは、彼女本人にしか実際の重さがわからない。
一人では、孤独では、決して埋められない苦しみを、癒してくれる存在が楓太なのだ。
彼女にとって、彼という存在そのものが救いだった。
同じ黒髪というわけでもないし、同じ立場にあるわけでもないのだが、しかし彼は苦しみを理解してくれるし、理解しようとしてくれる。
それだけで、彼女にとっては救いだった。
「だからもっと撫でて、楓君。私の黒髪を撫でていいのは、楓君だけなんだから」
「……ありがとう、きぃ」
楓太と桔梗、付き合い始めて一年。
この日初めて、二人は口づけを交わした。
互いの愛を確かめるように、互いの愛を交わらせるような熱い口づけを交わす。
桔梗に告白をした日、己と彼女に誓った約束を守るため、彼女に自身の愛情のすべてを送る。
君を絶対に一人にしない。
この一年間守り続けてきた、そしてこの先も守り続ける約束を、今も守るために。
絶滅危惧種黒髪少女 七四六明 @mumei
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