そして、彼女は星になった
――――
「どうしてこうなった……」
まだ肌寒い春の夜。夜行性のコウモリだって縮こまってしまいそうな、水の抜かれたプールサイド。
青春の一ページにしては早すぎて、大人の一歩には物足りない。
僅かに残る塩素の匂いと、ザラザラとしたコンクリートの感触を感じつつ。私は何故こうなってしまったのかを思い出そうとしていた。
答えは簡単。彼女――
私に拒否権なんてものは存在せず、コンビニに出かけるような足取りで学校へと急ぎ、彼女が何時の間にやら入手していた鍵でプールのドアを開けた。開けてしまった。
「なんで鍵なんて持ってるの?」
そう聞けば涼しい顔で 『だって私、生徒会長だもの』と返される。
「職権乱用」とジャブを放っても、『役職は持っておくものね』なんて言われてしまえば、私としてはもうお手上げだ。
「……ダメだ。話が通じねぇ」
溜息を一つ。二酸化炭素が白を伴って吐き出されるのを見ると、余計によるの冷たさを思い出して。首を覆っているマフラーを、口元まで引き上げる。
だから、普段はロクに動かすことすらないその表情が。私を見て僅かに口角を上げているなんて気付くことも出来ず。
『幸いなことに、雲ひとつ無い快晴―――――いや、快星ね』
「なんとなく意味が伝わるのが腹立たしい」
溜息を吐くと幸せも逃げていく……なんて揶揄されるが、本当なのだろうか?
もし本当だったとしたら、彼女とは少し距離を置かなくてはいけないかもしれない――――と、一人思う。
……閑話休題。
「で、こんな寒い夜に星を見るのはいいんだけどさ」
「私……星とか全然分かんないよ?」
『別に、難しく考える必要はないさ』
特に得意げな顔をするわけでもなく、けれども予習してきたのか星座の場所だけはきっちりと抑えていて、すらりとした細い指が青色の夜空に白い線を描いていく。
興味があるわけでもない私は適当に相槌を打ちながら指さされた方向を見て、そして感心して。時折その星座にまつわるくだらない話なんかをお互いに話したりしていれば、時間と距離はあっという間に過ぎていった。
『寒いね』
「…………ほんとにね」
同じ言葉を繰り返す。
其処には彼女がいつもしているような、謎めいた問い掛けはない。
『――――――ねぇ』
か細い、言葉。
『
気を抜けば手の平からこぼれ落ちてしまいそうなほどに小さく、弱々しい声色で彼女は私の方を見る。
まるで、この声が聞こえてほしくないと。聞こえなければいいのにとでも思っているような、調子で問いを続けた。
『―――――
なんでもないという風に表情を整えて、小さく動悸する心臓をギュッと握りしめて。
彼我の距離は十三センチ。手を伸ばせば届いてしまいそうなこの隙間に、私の感情を滑り込ませながら、マフラーの下でくぐもった声を響かせる。
「見るわけ無いじゃん」
白い息。これは私のものではない。きっと、彼女が喉奥に溜めた小さな嗚咽が漏れ出してきただけだ。
死んだら其処には何も残らない。星には意志なんて感じないし、人が埋まるのは地面の下だ。
見上げるなんて、したくない。
「だって、星なんて全然わからないから」
「見上げ続けるのなんて――――――疲れるでしょう?」
おすまし顔でこの世界の全てに疑問を叩きつけようとしている誰かさんの口調を真似て、星空を見上げながら―――――私は言う。
「隣りに居るくらいが、丁度いいよ」
震えている指先はきっと――――――寒さのせいに違いない。
仮設と天秤のプールサイド 水沢 士道 @sido_mizusawa
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