そして俺はまた、孤独になった
吉晴
そして俺はまた、孤独になった
耳を劈く様な、声だけで呪い殺せそうな絶叫が響き渡る。
この鬼ヶ島で最後の一匹となった、鬼の受領の叫喚。
俺の
離れた場所にいるはずの俺まで熱く感じるほどの、炎。
主は強い。
鬼にも勝る。
「
血を流して倒れ伏していた二匹に切れ切れに声をかけるが、返事はない。
俺と同じで先程の攻撃にやられたに違いない。
ぴくりとも動かないその姿に、もしかしたら・・・と考えて俺はぞっとした。
鬼は、妖怪の中でも異常だ。
それは彼らの持つ力だけのことでない。
好戦的で凶暴な姿勢も、他者を顧みない残虐なまでの力の誇示も、何をとっても尋常ではない。
だから妖怪達も彼らとは距離を置いていたし、例え仲間の命や住処を奪われようと泣き寝入りとなるのが常だった。
人間達の鬼への恐れは例えようもない。
僅かな陰陽師が都をはじめとする都市を鬼から守ってはいるものの、血が流れるのは日常茶飯事。
最近では3日に1度は村が襲われていた。
俺とて妖怪の端くれ。
人間が美味いのは知っているが、鬼は明らかに殺しすぎている。
このままでは人間が滅ぶのも時間の問題となった。
妖怪の世も人の世も、鬼の天下。
それはここ百年に渡って、覆しようのない事実だった。
かく言う俺だって泣き寝入りした妖怪の一匹だ。
群れを成し人を襲う狼妖怪「千疋狼」であった俺は、鬼の襲来を知って群の皆と一目散に逃げた。
足の速さなどほとんど変わらないはずなのに、なぜか俺一匹だけが生き残ってしまった。
多くの仲間がいてこその千疋狼。
一匹残ったところでただの化け犬に過ぎない。
荒れ果てた山道を独り歩いては、誰か一匹くらい逃れていないかと、仲間を呼んだ。
仲間との馬鹿な話が懐かしく、食べ物が取れずひもじい思いをしたことさえ愛しく、身を寄せ合ったぬくもりが、ひどく恋しかった。
孤独を知らぬ千疋狼であった俺の心は、凍え切っていた。
たった一匹、これ以上生きていても仕方がないと思っていたところに、一人の男が通りかかった。
俺はもう死ぬつもりだったから追いかけることもしなかった。
狩りは仲間でするものだ。
餌を共に追い、共に食べるからこそ価値がある。
そんな俺に男は近づいてきた。
―ここにいた千疋狼の生き残りというのは、お前か。―
―そうだが。―
―鬼に復讐したくはないか。―
虚弱な人間が何ということを言うのかと、たまげた。
男の瞳は慈悲深くも憎しみが漲っており、脆い人間であるはずなのに俺たち妖怪に通じるものを感じた。
彼はどうやら都から来た陰陽師で、天皇の命を受け鬼退治に行くのだという。
その供とする式神を探していたらしい。
鬼に復讐など考えたこともなかったが、言われてみると心の奥底から沸々と怒りがわいてくる。
―復讐、したい。―
唸るような俺の声を聴くと、男は懐から小さな団子を差し出した。
式神として契約するに当たり必要な、
「貴殿のために備える」と書くというそれが腹に埋められた限り、主従の掟に縛られる。
主のために尽くすのが定め。
どこにいようと呼び出しにこたえるのが掟。
主の命令には決して逆らえない。
主を喰い殺すなど、もってのほか。
―それでも良いのか。
私はお前達の餌である人間だぞ。―
男は挑むように尋ねた。
生きる意味を見出せずにいた俺は、それでも全く構わないと、返事変わりに貴備を飲み込んだ。
鬼さえ殺すことができれば本望。
自分の体も、魂も、プライドも、何一つ惜しいものなどない。
―お前、名は。―
主が問いかけた。
俺の口は意思に反して勝手に動いた。
―俺の名は、
その後、
3匹ともたった独り、生きる気力も失って居たところを主に拾われたというわけだ。
俺達は主の名前を知らない。
名前を知られると主従の掟を破られ、命を奪われる可能性があるためだ。
知ったとしても俺は主を殺そうなどとは考えもしない。
口には出さないが
主の存在は俺達にとって、それほど大きなものだった。
主は穏和な気質であったが、捨て子であった彼の育ての親が鬼に食われ、村を焼かれたのだ話す姿は、むしろ鬼のようだとさえ思った。
今回の征伐は天皇からの命令であることはもちろんであるが、そうでなくとも復讐にはいつか必ず行くつもりであったらしい。
出会った日に見たあの憎しみの瞳は、本物だ。
鬼ヶ島にやって来るまでの旅は長く、決して楽なものではなかった。
それでも、鬼に復讐するためとあらば、氷の雨も火の滝も、耐えられた。
刺し違えてでも鬼を殺す。
その復讐心が俺たちを駆り立てた。
同じ敵を持つ4人の心は、いつしか固い結束で結ばれていた。
妖怪である俺達が餌である人間に仕えるという屈辱的な形であろうと、孤独から救われた俺達の鬼への復讐という人生最大の目的が同じなのだ。
それは自然な流れだろう。
そうした旅も、あと一歩だった。
不意を突かれた鬼の多くは主の術と俺達の妖力をもって罠に落ち、地中に埋まっている。
きっとこのまま朽ちてゆくだろう。
罠に取りこぼした残りは、俺達3匹が絶命させた。
それぞれ深手は負ってはいるが、まだ戦える。
生きて帰ろうだなんて端から思ってはいない。
刺し違えに来たのだ。
地獄まで、引きずりこんでやろうと。
たとえ腕一本だけになろうとも。
主の術で火達磨になった鬼の受領は、苦しみのあまりのた打ち回っている。
たとえこの戦いの後生き残ったとしても、焼け爛れた体では長くは持つまい。
その事実だけで、俺達の旅の目的は果たされた。
俺も
だがそれでもいいのだ。
鬼への復讐を果たした後の世に生きる意味など、ありはしない。
思わず口の端を上げた時だった。
絶叫を上げた受領はあろうことか、主の身体を乗っ取ろうと襲い掛かる。
あまりのことに、俺は咄嗟に動けなかった。
受領の咆哮か主の悲鳴か、どちらともつかぬ絶叫が辺りに響き渡る。
巨大だった鬼は、気付けば人間である主と同化していた。
「主・・・!!!」
「・・・
動ける、か!?」
主が息も絶え絶えに尋ねる。
俺は主の声に答えようと、何とか体を起こす。
そこには左角が一本生えかけた、目を血走らせ、口の端から唾液を滴らせ、荒い呼吸を繰り返す主がいた。
その姿に目を見開く。
美男子であった主である。その変わり果てた姿に受ける衝撃は凄まじい。
彼の中で、鬼と彼の魂が正に今、戦っている。
正気を保つのがやっとであろうに、主は新たな術を発動した。
彼は最後の力を振り絞って、自らの体に鬼の受領を封じ込めようとしているのだ。
いくら力のある陰陽師とは言え、何百年も生きてきた受領の力はすさまじい。
主の体が鬼へと変わりつつあるのは、その鬼の力をすべて封じ込め切れていないからだ。
誰の目にも、彼の術が不完全であり、負けることは明らかだった。
「
・・・私ごと鬼を、喰ってくれ。」
「何をふざけたことを!」
思わずそう吠える。
「私が鬼を留めることが出来る時間は長くはない。
早く!」
主はまた、咆哮する。
小さかった左角がみしみしと音を立てて太く長くなっていく。
右角も頭を出し始めた。
身体を鬼に奪われる彼の苦しみは、想像を絶する。
「そんな頼みは聞けん!」
思わず歯ぎしりをする。
主は再び、耐えきれないかのように絶叫をあげた。
こんな彼の声など、聞きたくはない。
楽にしてやる方がよいのではという考えが頭を過る一方、また襲い掛かるであろう孤独に恐怖する。
愚かな俺はこの期に及んで、共に死ぬ方法はないのかと逡巡しているのだ。
「復讐を、今果たさずに・・・いつ果たすのだ、弱虫め。」
主は牙が生えかけ、それによって割かれた口の端を上げて、微かに笑った。
主は知らない。
千疋狼として、群の一匹として生きていた俺が、群を失う絶望を。
そんな俺が再び出会った、大切な仲間である主への思いを。
彼の言う通り、俺は孤独が怖い、ただの弱虫だ。
「
「断る!」
俺は渾身の力を込めて吠えた。
「私はお前に頼んでいるのだ。
この意味が分からぬか。」
分かるはずがない。
目の前に復讐の機会が転がっているというのに、それを尻込みしてしまう馬鹿な俺には、分かるはずもない。
「主従の掟でお前の意思を捻じ曲げ、私を殺させたくはない。
これはお前が鬼を征伐する復讐劇。
鬼宿す今の私を喰らえば、お前は、この世を統べる程の強大な力を手に入れられるだろう。
仲間を愛し、孤独も復讐心も知る、お前が!」
主はかっと目を見開いた。
限界だ。もう限界なのだ。
「我が名は
腹のなかで何かが弾けた。
失ってみるとそれがとても暖かかったことに気づく。
俺は主従の掟から解き放たれた。
「さぁ私を喰え!!!
鬼を滅ぼすためにお前に喰われるならば本望!!!」
耳を劈く様な主の絶叫に、俺は風のように駆けた。
そして――
そして、ひと思いに、かみ砕いた。
そして俺はまた、孤独になった 吉晴 @tatoebanashi
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