第3話 自由奔放で、こちらのことに見向きもしないお姉さんに、人生を狂わされたい。
「デナちゃーん」
公園でブランコをきこきこと揺らす彼女に、遠くから声をかけた。駆け寄ってくるこちらにすぐ気付くと、デナちゃんは靴の裏を滑らせてブランコを止めた。ずざざ、と砂利の擦れる音がした。
「麻美ちゃんじゃーん。髪切った?かわいーね。ショートカット似合うよ」
「うん。また隣で歩いてる男の人違ってたよね?手繋いでたよね?」
褒め言葉をおざなりに流して、質問を投げると、デナちゃんはバツの悪い顔を浮かべた。
ちょっと高い美容院で切ってもらった髪の毛の話なんて、今はどうでもよかった。
「えー、なあに。見てたの?やだなあ」
「別れ際にキスするとこまで、見た」
それはもう見てるこっちが恥ずかしくなるぐらいだった。ねとねとの唾を交換しあってから、気恥ずかしそうに二人で笑って別れる様子を、見るんじゃなかったと私は心から思った。
私は、ランドセルを砂利の上に置いて、隣のブランコに乗った。さっきまで、学ランの男の人が座っていたブランコに。
「……そこまで見ちゃったの?ダメだよ?見ても内緒にするんだよ、フツーは」
「じゃあ、公園のど真ん中でしなくてもいいじゃん。もっと隠れてやってよ」
「あー……。そうですね、仰る通りでございます」
デナちゃんこと、高野
それで、デナちゃんが男の人と仲良くしているのを見ることも多い。
「この間一緒にクレープ食べてた人が、彼氏って言ってなかったっけ?」
「まあ、そういう感じだね。ていうか、そういう感じだったね。別れましたけど」
先週の日曜日、やけにスラッとした男の人と、デナちゃんは一緒にいた。お互いのクレープを食べさせあいっこして、終わったら手を繋いで、駅に向かっていくのを見た。
次の日に問い詰めれば、デナちゃんは「うん。そう彼氏」の一言で答えを出してた。もう今は彼氏じゃないけど。
「さっきの人は?また彼氏になるの?」
「まだ分かんないなあ。そうなるかもしれないけど」
「キスしたのに?」
「麻美ちゃんも、高校生になったら分かるよ」
「わかりたくないよ」
ぴしゃりとはねのけるような言葉に、デナちゃんは何故か嬉しそうに笑ってみせた。瞼に塗った桃色のアイシャドウが、きらきらと光っていた。
「また新しい彼氏だよね。なんでそんなにいっぱい好きになるの?」
デナちゃんは、沢山の人を好きになる。
ずーっと前には、大人の人と腕を組んで歩いてた。銀色のメガネをかけて、パリッとしたスーツを着てた男の人。
でも、ネクタイの色が派手で似合ってなかったし、靴がやけにボロボロだったから、デナちゃんには釣り合わない人だと思った。
「なんかね……、ちがうよねぇってなるんだよ。わかる?」
「わかんない」
「今回は、別れる分まだマシよ。こじれる場合もあるからね、この間だってーー」
デナちゃんは、話してる途中にハッとなって、口を噤んだ。私に言ったって、どうしようもないことだって思ったんだろう。別に何でも話してくれていいのにな。
でも、私はここで「何を言おうとしたの?」なんて我儘は言ったりしない。だって、私はいい子だから。デナちゃんを困らせたりなんかしない子だから。
「でもさ、そうやっていっぱい人を好きになって、いつか全人類好きになるといいね」
こげ茶の毛先を見つめていたデナちゃんは「ぐふふ」と、奇妙な笑い声を漏らした。どの彼氏の前でも、こういう声をするのかな。変な人だと思われないのかな。
「いつかね、いつか。いつか地球の人間全員好きになれたらいいな。まあ、嫌いな女は山ほどいるから今は無理ですけど」
「デナちゃん、嫌いな人いるの?」
「まあまあね。色々あるんですよ。まあその分私も嫌われてるから大丈夫!」
「素敵なのにね、デナちゃん」
なんだかその言葉は「大好きだよ」って告白してるみたいで、口に出してから途端に恥ずかしくなった。
「ありがと。私、そう言ってくれる麻美ちゃんのこと好きだよ」
デナちゃんは、こっちを向いてそう言った。
じっと目が合ったその瞬間、ちょっと狼狽えて目をそらした自分を叱りたかった。今この場で嬉しいって思っちゃった自分も。ガミガミ説教してやりたかった。
「……なんか、デナちゃんってどの男のひとでも好きになりそう」
この人は私のこと何にも思ってないんだよ、と心の中で呟いて、平静を装う。
でも、あの言葉はきちんと覚えておこうと思った。夜、布団の中でじたばたして喜べるように。
「そんなわけないじゃん。そんなのありえないよ」
「じゃあ聞くけど、デナちゃんのタイプってどんなの?」
タイプなんて、聞く気もなかった。ただ話をそらしたかっただけ。私は自分の頰に触れて、変にニヤニヤしていないか確認した。熱くなってる顔を、冷ますように手で仰いだ。
「……うーんとねえ、まず顔が良い」
「イケメンってこと?」
「うん。かっこいいってことは、大事じゃん?見てわかるの大切!こういうの、他の人に言ったらドン引きされるから内緒ね?」
「わかった。それで?他は?」
「他はねえ、私のやることにあんまり怒ったりしない人かな……。私の味方になってくれる人?」
そんな人は、きっと世界に山ほどいる。だからデナちゃんは好きな人が多いんだ。今になって、その理由がわかった。
「で、あと料理がうまい人。美味しいご飯を作ってくれる人がいいなー。あっ、あくまで理想ね?理想!まあ、もっと本音を言うと、お金を沢山持ってる人なんだけどね?」
「ふうん」
「麻美ちゃんは?」
「うーん……。よく分からないや」
「じゃあ、芸能人とか身近な人で考えてみてよ。誰に似てるかなあって」
今ここでデナちゃんを指をさしたら、どんな顔するんだろうなあ。似てるっていうか、そのものだよって言葉を付け足したら、どうなるんだろう。
私はそんな思いを抑えて、「わかった」とだけ言って、頷いた。
「……考えておくね」
「うん。今度教えて。似てるような人、紹介してあげるから」
きひひ、とデナちゃんはまたおかしな笑い声をあげた。
「私小学生だよ。高校生紹介されても、やだよ」
突然、ぶわっと風が吹いて頬を撫でていった。まだ春になりたての冷たい空気が、肌に伝わる。
乱れた髪を手櫛で整えながら、デナちゃんは言う。
「恋に年の差は関係ないよ。好きだったら、年齢なんてどうだってよくなるもの。私、タイプの人だったら、どーんな人でも好きになっちゃうよ」
じゃあ、顔をよくするから、お料理上手になるから、デナちゃんの味方で居続けるから、私のことちゃんと好きになってくれる?
頭に浮かんだ言葉はどこにも飛び出さないまま、訳もわからず、涙になった。見られない様に、すぐさまそれを手の甲で拭う。じわりと視界が揺らぐ。
バカ麻美。自分で勝手に妄想して、勝手に傷ついてどうする。
「私、帰る。デナちゃんは?ここにいるの?」
ブランコから飛び降りて、私はランドセルを背負った。ペンケースやら箸ケースやらが入ったそれが、がちゃがちゃと音を立てる。
「うん。私ここにいる。これからデートなんだ」
だろうと思った。デナちゃんは、しょっちゅうココを待ち合わせ場所に使ってる。だから今日だってここにいると、私は思っていた。
「誰と?」
「内緒っ」
デナちゃんは意味ありげに、にっこりと笑ってみせた。その拍子に、淡いピンクのリップを引いた唇が弧を描く。まあ、どうせ男の人なんだろうなあ。
「……わかった。じゃあね」
「うん。バイバイ」
私は聞き分けよく素直に手を振って、夕焼けの方に駆け出した。
それから、ちょっと離れたところにあるコンビニに隠れて、こそっと公園を覗いた。デナちゃんに見つかりませんように、とお祈りをして。
公園では、ブレザーの学生服を着た男の人が、デナちゃんに駆け寄っていた。さっきのキスしてた人とは、もちろん違っていた。見たことあるような、無いような人だった。二人は楽しそうに喋った後に、私と正反対の方向へと歩いて行った。
それでも私は、デナちゃんを好きだと思ったままだった。
色んな年の人を、同じ時期に沢山好きになって、イケメンでお金持ちを好きだと言うあの人を、どうやっても私は嫌いにはなれなかった。
まるで、呪いでもかけられてるみたいに。
A to Z @tabunaamehuru
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