35:これは異世界××


「あー、いきなり無礼を働き、申し訳ございませんでした」

 ばつの悪そうにヴァイオスが咳払いする。

 いくら自分を抑えられなかったとはいえ、いきなり力一杯抱きしめたのはまずかった。エイレーネが苦しいと声を上げなかったから、いつまでもそうしていた自信がある。

「気にしなくていいのに。ちょっと苦しかったけど、でも嬉しかったもの」

「いえ、それでもよくありませんでした。王女殿下にあのようなこと」

 ヴァイオスがそう言うと、エイレーネは途端頬を膨らませる。その仕草が、あの人懐っこい浮遊霊と重なって。

「くく」

「……ヴァイオス、今笑った?」

「いえ」

「うそ、絶対に笑ったでしょ。いっつもあなたはそうやって余裕そうにしてっ。……少しは私の気持ちも考えてよ」

 最後のひと言は、小声で。

 エイレーネは内心で大きく息を吐き出した。

 やっと会えた愛しい人に、どう接すればいいのか実は測りかねている。といったら、彼はどんな反応を返してくれることだろう。

 エイレーネとして告白して、一度は振られた人だ。

 そのときに、自分は本当に彼にとって特別ではなかったのだと思い知らされた。

 けれどあの事件が起きて、エイレーネとしての記憶を失って、前世の記憶だけが残った〝愛莉〟として一緒にいたとき、彼の秘めた想いを知った。その深さを知った。

 だから、彼の本心を聞き出すためには、まずはどうにかしてエイレーネと愛莉が同一人物なんだとわかってもらわなければならない。

 そのせいで、本当はさっきからずっと、エイレーネは緊張していたのだ。

(まずは自然にその話題を出さなきゃ。それで事実だけを述べる感じで、淡々と「あなたの保護術が働いて、魂が半分こに分かれちゃったみたいでね。その反動で記憶を失くしてたけど、実は愛莉は私なの」って言えば大丈夫。問題なし。よしっ)

 気合いを入れて口を開く。が、しかし。

 その前に、突然頭の上に、覚えのあり過ぎる大きな温もりを感じた。

 その温もりが、優しい手つきで髪をなぜる。

「あ、の。ヴァイオス?」

 自分の中のエイレーネの記憶に、ヴァイオスがこうして触れた記憶は一度もない。

 彼がこんなことをするのは、愛莉としての記憶にしかなかった。

「これは、その、どういう」

「――アイリ」

「え?」

 聞き間違いか。今、ヴァイオスが、もう一人の自分の名前を呼んだ気がした。

「ヴァイオス、今」

「あなたがアイリなんでしょう? エイレーネ様」

「! ど、して」

 信じられなくて、揺れる瞳で彼を見つめた。

 すると、優しい眼差しで見返される。

「わかりますよ。だってあんなにも、あなたとアイリは似ていたから。何よりも、惹かれてやまなかった」

 頭を撫でていたヴァイオスの手が後頭部に回る。

 そのままぐいっと引き寄せられて、視界が彼の着ている団服の色でいっぱいになった。

「俺が強く惹かれてやまないのは、いつだってあなただけなんです。俺は間違ってなかった。あなただったから、隣にいても許せたし、眠れなかった日々に終わりが来た。あなただったから、あんなにも他の男に嫉妬した」

「うそっ……だって、全然気づいてる素振りなんて……」

「それはまあ、確信がなかったので。それだけ見た目も違ってましたし。でも俺の心は、ちゃんとあなただとわかってた。だから困ってたんですよ、自分でも」

 頭上でヴァイオスが苦笑する気配が伝わった。

 困ってたって、何に? と尋ねると、彼は色々ですよとはぐらかす。

「ちなみに教えてほしいんですが、アイリのときのあなたは、もしかして何も憶えてなかったんですか?」

「ええ、何も。信じてもらえるかわからないけど、憶えてたのは前世の記憶だけで」

「……前世?」

「皆本愛莉という名前の、普通の女の子よ。日本っていう国で生まれて、生きて、死んだの。それで、どうやら転生したみたいでね?」

 正直、これを打ち明けるかは悩んだ。けれど、打ち明けなければ話がややこしくなる。同一人物だと認めてもらいにくくなるかもしれない。

 それでも不安は付きまとうもので、エイレーネはヴァイオスの返事をドキドキしながら待っていた。

「なるほど」

 しばらく考え込んでいたヴァイオスが、信じます、と口を開く。

「ではつまり、アイリのあの姿が、あなたの前世?」

 こくりと頷く。

「信じてくれるの? 本当に?」

「もちろん。俺があなたを疑ったことがありますか?」

「ないわ」

「でしょう? それにしても……じゃあやっぱりバートラムに任せるんじゃなかったか」

「え?」

 ヴァイオスはぽそりと呟いたつもりなのだろうが、彼に抱きしめられている今の状態では、もちろん丸聞こえだった。

 おかげで顔が熱い。

(おかしい。どう考えてもおかしい! ヴァイオスってこんなにストレートな人だったっけ⁉︎)

 愛莉のときは置いとくにしても、エイレーネのときにそんな期待を持たせるようなことを言う人ではなかったはずだ。

 どちらかというと、あくまで親しい騎士としての立ち位置を崩さなかった。

「ちょ、ヴァイオス、ちょっと離して」

 このままでは心臓が破裂しそうだ。

「無理です。離しません。やっとあなたに触れられるのに」

「やっぱりおかしい! おかしいわヴァイオス。あなたそんなこと言うキャラだった⁉︎」

「キャラ?」

「性格ってこと!」

「ああ……」

 何かを思案するように少し間を置くと、

「もともと俺はこんな性格でしたよ? あなたがアイリだったなら、ご存知のはずですが?」

 顔を覗き込んできて、意地悪くニヤリと口角を上げた。

「今までエイレーネ様に見せなかったのは、自分自身を律するためです。俺のちっぽけな欲のために、あなたを不幸にはしたくなかった。ですが今回の事件でわかったんです。俺はあなたに、ただ幸せになってほしいんじゃない。俺の手で、幸せになってほしいのだと」

「待って、ねぇ待ってヴァイオス。それ、気づいてる? それじゃまるで、告白みたい……」

「みたい、ではありません。告白です」

「へっ?」

「好きです、エイレーネ様。王女として立つ凛としたお姿も、でもアイリのときのように甘えてくれるあなたも、どんなに辛いことがあっても前を向くあなたが、好きなんです。どうしようもないくらい、愛してるんです」

 耳元で囁かれて、先ほどの比じゃないくらいの熱が顔にのぼる。今にも頭が沸騰しそうだ。

 兄に賭けを持ち出して、こうなることを望んではいたけれど。

(あ、甘かった! ヴァイオス好きな人からの告白の威力を舐めてた!)

 金魚のお口よろしく口をパクパクとさせて、エイレーネは何も反応できずにいた。

「エイレーネ様?」

 それを訝しんだヴァイオスが、ひょいと瞳を覗き込んでくる。

「無理っ。今は顔見ちゃダメ!」

「無理⁉︎」

 その言葉にショックを受ける。が、顔を隠すためなのか、自分の胸板にぐりぐりと額を押しつけるエイレーネを見て、ヴァイオスは小さく吹き出した。

「本当に、アイリはあなただったんですね」

「?」

「ほら、覚えてません? アイリもよく、こうして俺にくっついて」

「あ、あれはだって、嬉しくて……っ」

「嬉しくて? そういえば、アイリのときは記憶を失くしてたんですよね? そのときは俺のこと、どう思ってたんですか?」

「それ聞くの⁉︎」

「ああ、今のはアイリっぽいですね」

「〜〜っ、ヴァイオスの意地悪!」

「こんな俺は嫌いですか?」

 エイレーネは絶句した。それは卑怯だ、と声を大にして言いたい。

「そうですよね、知らなかったとはいえ、あのときは随分と乱暴な口調で接していました。あなたから告白してくれたことはありましたが……もう愛想を尽かされていても仕方ないか……」

(あーあーあーっ、もう!)

 ずるいっ! 

 なんて卑怯な手を使うのだろう。王女じゃなかったら、頭を掻きむしっていた。

「嫌いだなんて、ひと言も言ってない」

「では?」

「っ、悔しいくらいに大好きよ! エイレーネとしても、愛莉としても、私はあなたしか――ってヴァイオス⁉︎」

 途中で彼が安心したように肩に顔を埋めてきたので、驚いて声が裏返る。

 もう少しで彼の唇が素肌に触れそうで、心臓がみっともないくらい暴れた。

「手遅れにならなくて、本当によかった……」

「手遅れ?」

「もう俺のことなんか、なんとも想ってないのではと。少し、不安だった」

「……でも私、ちゃんと言ったでしょ? 『エイレーネが目覚めたら、ちゃんと自分の気持ちを素直に伝えて』って」

「はい。そのおかげで、手遅れかもしれないと思っても、う覚悟ができたんです」

「じゃあ私、ファインプレーね」

「はは、そうですね」

「ところでヴァイオス」

「なんですか」

「……敬語、違和感があるわ」

「……言わないでください。俺にも立場というものが」

「二人きりなのに?」

「……」

「ねぇ、本当にだめ? ――おにーさん」

「な、エイレーネ様⁉︎」

「お願い、おにーさん……」

「卑怯ですよ、エイレーネ様!」

「ふふ、でもこれは、お互い様なんだから。散々私を振り回したんだもの。たまには困らせてもいいと思うの。ということで」

 ニヤリ、とエイレーネが悪い顔をしたところで、

「わかった! 前と同じように話すから、勘弁してくだ……してくれっ」

 ヴァイオスが早々に降参したところで、エイレーネは満足そうに笑った。

「私ね、ヴァイオスに頭を撫でられると、すごく安心して心地よかったの。またやってくれる?」

「いくらでも。代わりに、俺以外の男には触らせないこと」

「ええ、もちろん」

「バートラムにも」

「わかってるわ」

「エウゲンにも」

「あの人には嫌われてたと思うけど?」

「いや、油断はできない。あいつは『かっこいい』という言葉に弱いんだ」

「じゃあ言わないように気をつける」

「あとユリウス殿下にも」

「兄様よ?」

「あの人の愛は行き過ぎだ。前から思ってた」

「そういえば兄様、私の胸を見て顔を真っ赤にしてたっけ……」

「なんだって⁉︎」

 あのクソ変態妹馬鹿殿下っ。みたいなことをヴァイオスの口から聞こえた気がしたが、エイレーネは聞こえなかったふりをした。

「ふふ、でも知らなかったわ。ヴァイオスって、意外と嫉妬深いのね」

 ヴァイオスがハッとする。慌てて自分の口に手を持っていくと、彼は急に黙り込んでしまった。

「あの、ヴァイオス?」

 どうしたの? と少し戸惑う。

 すると、エイレーネの視線から逃げるように目を逸らす。

「……ったんだ」

「え?」

「だから、嫌だったんだ。一度想いを伝えると、こうなるってわかってたから……」

「なに? どういうこと?」

「エイレーネ様、先に謝っておきます。俺は少し、いやかなり、嫉妬深い。今まではあなたが俺の想いを知らないから抑えられてたが……」

「じ、じゃあ今まで本当は、私に男性が近づいたときも」

「さっさと散れって思ってたな」

「舞踏会でダンスを踊ったときも」

「触るなって蹴散らしたような覚えが」

「婚約者候補が挨拶に来たとき」

「もちろん睨みを利かせた」

「……ヴァイオス、それ、全然抑えられてないわ……」

 呆気にとられてそう言うと、ヴァイオスはむしろ「それが何か?」みたいな顔で開き直っていた。

 ぷ、と堪え切れない衝動が口から出てしまう。

「ふふ、ふふふ。おっかしい! 私たち、見事にすれ違ってたのね」

「エイレーネ様?」

「私だってね、ヴァイオスが色とりどりのお花たちを愛でてるって噂を聞いて、それはもう嫉妬ばかりしてたのよ?」

「あー……それは、その」

「覚えてる? 愛莉として、私が言ったこと」

「意味のない浮気はしません」

「よろしい」

 尊大に頷いて、エイレーネはまた笑った。

 そんな彼女を見て、ヴァイオスもまた笑う。

「でも誓って、あなた以外の女性には手を出してない」

「え?」

「誘われて、あなたを忘れるためになんとなく誘いに乗って、でも結局あなたの顔が浮かぶから、何もできなかったんだ」

「で、でも愛莉とは、一緒に寝たりしたじゃない。私あれ、ヴァイオスはきっと慣れてるからなんだろうなって」

「いや、あれは単純に眠かったからかな。何をしても寝れなかったのに、あなたがそばにいたときだけはぐっすり眠れたから」

「ほんとに?」

「本当に」

「嘘とか、ご機嫌取りじゃない?」

「違うよ」

 そんな嬉しいことを言われたら、もう衝動のままに抱きつくしかない。勢いよく彼に突進した。

「っと。はは、こういうところはまんまアイリだな」

「うっ。あ、甘え方を覚えたと言って……」

「そうだな。俺は結構アイリに甘えられるのは好きだったから、嬉しいよ。ただ」

「ただ?」

「王女殿下が実は甘え上手なんて、誰にも教えるなよ?」

「もちろん。ね、ヴァイオス。もう少しだけ」

 ――こうしててもいい?

 そう続けるはずだったのに。

 デジャヴか、と言いたくなるくらい遠慮も何もなく開かれた扉に、開いたほうも、開かれたほうも、みな等しく固まった。

 そして、ヴァイオスとエイレーネが抱き合っていることを認識した乱入者――エウゲンは。

「ヴァーイーオースぅぅう。貴様っ、王女殿下に何をして……っ‼︎」

「チッ、またか……!」

 エウゲンが魔術を展開させる。ヴァイオスはすぐにエイレーネを横抱きにすると、そのまま窓から飛び出した。

「待たんか不埒者ぉぉお!」

 後ろからすぐにエウゲンが追ってくる。

 その光景が、浮遊霊として追いかけられたときとほとんど一緒で。

 エイレーネは思いっきり吹き出した。

「なんだか懐かしい。あのときと一緒だわ」

「あのときもこんなふうに?」

「そうなの。もう無我夢中で壁抜けしたわね!」

「じゃ、少し遊んでやるか」

「楽しそう! エウゲンに捕まったら負けね」

「負けたら?」

「エウゲンと仲良くするっていうのはどうかしら」

「それは負けられないな。で、俺が勝ったら?」

「うーん……」

 考えていると。

「――キス」

「へ?」

 何かとんでもないことを言われた気がした。

「よし、そうしよう。俺が勝ったら、エイレーネ様のファーストキスをもらうってことで」

「ちょっと待って! でもヴァイオスとエウゲンって」

「俺の一五三連勝中」

「うそっ」

「俄然やる気が出てきたな」

「エウゲン! お願いだから勝っ――」

「エイレーネ様? それは俺に喧嘩を売ってるのと変わりませんが?」

 その笑みが恐ろしくて、エイレーネはぶんぶんと勢いよく首を振って否定した。

 そんな彼らをどこまでも優しく、そして穏やかに、冬の澄んだ空が見守っている。

 世界が変わっても空だけは変わらないなと、エイレーネあいりはそう思った。



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幽霊だって恋したい! 蓮水 涼 @s-a-k-u

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