希望の王たち

 激しい攻防を繰り広げる三人を、氷柱の上から見下ろしていた学院長は、背後で相変わらず右手を上に持ち上げられたままのフランに向き直った。

 先ほどから、フランの右手首のバングルを外せないかと四苦八苦しているものの、傷ひとつつけることができない。呪術について、調べることすら禁忌であったとしても、こんなにも無知な自分が憎い。


「……せんせい」


 フランが搾り出すように、かすれた声で言った。


「アイツ、やばいよ。俺なんか、もう、どうでもいいから、ハーミットと、ジニアを守って……! 森から逃げてよ……」


「フラン?」


 恐怖で真っ青に血の気がひいた顔でがくがくと震えながら、それでも真剣なまなざしで、フランは続けた。


「俺、難しいことはわからない。けど、これでも、俺、騎士の家の息子だから。守らなきゃいけないものは解る。解るんだ。妖精王はさ、きっと、大切な人なんだ。ハーミットも、先生も、もしいなくなったら、セーラが泣くだろ? いやなんだ、セーラが泣くの」


「フラン……!」


 震えるフランの、力なくぶら下がった左手を握って、にっこりと微笑んでみせた。


「フラン。心配いりません。ハーミットはね。元は王様なんですよ」


「……え?」


「今は王様ではありませんが、誰より強く国民を愛し、全てを守りたいと願う心は、王様でらしたころよりも更に強くなっています。貴方も、セーラも、彼にとっては、大切な存在です。必ず、守ってくれます」


「……ほんと?」


 フランの瞳からは、限界に達した感情が、涙になってぼろぼろとこぼれている。

 学院長は、もう一度フランのほうに振り返って、にっこりと微笑んだ。


「本当ですよ。見ているといい」


 フランが、希望と不安をないまぜにした瞳でハーミットを見つめた。

 ハーミットとジニアは、フランのそんな気持ちに応えるように、並んで、強い瞳で異形の者を見つめていた。



 動いたのは、セスの方だった。

 ひと回り大きくなった炎の槍を、苛立ちを全部ぶつける勢いで振りかぶる。

 ジニアとハーミットがかわすと、二人の後ろの木々が、何本もへし折れて真っ黒な炎に包まれた。

 その炎に、光に群がる虫のように、瘴気に当てられて異様な姿になった、虫や動物たちが寄ってきては、その炎に触れて焼け焦げる。


「呪いの炎に吸い寄せられているのか?」


 ハーミットが思わず呟く。


「瘴気と、呪いは、どこか似ている匂いがするからな。惹かれているのだろう」


 ジニアが眉間にしわを寄せながら言った。


「アルバート。ラチがあかない。こちらから行くぞ」

「策は」

「ある、が」


 二人の会話をセスが許すはずもなく、黒炎の槍が鋭く切り裂き、棘も伸びてくる。

 二人はかわし、術で防ぎ、何とか互いの意思を伝えあう。


「了解した!」


 ジニアの提案に応えたハーミットは、杖を三節棍にして、先端に雷を纏わせる。

 セスのやりをかわして、その胴体に思い切り三節棍を叩きつける。鉱石のような質感のセスの身体は、金属質な音を立てて打撃を跳ね返したが、纏う雷を跳ね返すことはできなかった。


「フュルグール!」


 いつもの囁き声ではなく、強めの声で発されたハーミットの魔術は、いつもよりも暴力的に対象の全身を奔る。


「ガッ……!」


 セスは全身に奔る雷に耐え切れず、跳ねるように痙攣して片膝を突く。


「ヴォル……ッ」


 間髪を入れずに二撃目を紡ごうとしたハーミットの横腹を、セスの黒炎をまとった左腕が襲う。

 ハーミットはかわしきれず、セスの背後へと思い切り殴り飛ばされた。

 樹に激突する寸前、受身を取ったが、それでも激痛が全身を走った。

 黒い炎が引火した外套を脱ぎ捨てて、シャツのボタンを緩める。呼吸を必死で整えながら、すぐに体勢を立て直しつつ、杖をふるう。


「ウルゥラ!」


 現れた風の鳥も、声の大きさに比例したように大きくなっているが、大きさゆえか、きれいな形を保てないようで、ときどき片羽根が消え去りそうになっている。


「ヴォルテ!」


 鳥は雷をまとって、セスの背中に弾丸のように飛び込んでいく。

 セスは振り向きざまに、それを槍で貫く。

 二つに切り裂かれた鳥は、霧散することなく、その場で雷撃へと変化。セスの槍を握る右腕をバリバリと音を立てて取り囲む。

 セスは右腕を走り回る激痛に耐えかねて雄たけびを上げる。

 そして怒り狂ったような絶叫を上げて、左腕を黒い棘に変えて、ハーミットに向かって突き出した。

 一瞬でハーミットの眼前にまで至ったその棘を、杖で弾こうとしたハーミットだったが、弾道を逸らしきれず、右目のすぐ横を切り裂かれる。

 銀糸の髪がはらはらと舞う。


「ウガアアアアアアアアアアアア!!!」


 仕留めそこなったことに苛立った様子で、セスは叫んだ。

 人としての理性が、どんどん失われているように見える。

 セスはついに、右手の黒炎を纏う槍を、ハーミットに向かって投擲とうてきした。


 ハーミットは右目に血が入って、反応が遅れた。


 フランはハーミットの顔に向かって、真っ黒に燃える巨大な槍が飛んでいくのを見て、思わず目を閉じた。


「ハーミットーーーッ!」


 我知らず涙をにじませて叫ぶ。


 その声を、掻き消すような、美しく凛とした声が響いた。


「――セェラ!」


 フランもよく知った少女の名前と同じ呪文。

 フランは思わず、目を開けた。


 黒く燃え上がる槍は、ハーミットに届く少し前で止まっていた。

 虹色に輝く、水晶の壁が、槍を受け止めていた。

 セスを中心に、虹色の水晶のドームが出現していた。

 フランが、ハーミットの向かい、セスを閉じ込めている虹水晶の結界の向こうに、ジニアを見つけた。

 両足からぼたぼたと血が滴っている。


「妖精王の結界術……ご自身の血を媒介にされたのですね」


 学院長が驚愕の声で呟いた。

 フランが目を凝らすと、虹水晶の結界の内週ぐるりと、ジニアのものと思われる血痕が、点々と円を描いていた。


「アルバート! 今だ!」


 ジニアの声を受けたハーミットは、三節棍を杖にして、自身の胸の前でまっすぐに構えた。


 それはまるで、騎士のようだった。


 すうっと、ハーミットが息を吸う音が、聞こえた。


「テンペスト!」


 ハーミットの声は、絶叫に近かった。


 虹色の結界の中に、雷を帯びた竜巻が起こる。

 目を見張ったセスを包んで、暴虐の限りを尽くす竜巻は、結界内の全てを切り裂き、焼き切り、結界を震わせて内側にヒビを入れた。


 結界内の竜巻が消えると同時、ジニアが息を切らせて両手の力を抜いた。


 結界が、カシャンと、儚げな音を立てて崩れさる。


 そこには、胸から下の右半分を粉々にされて、地面に埋もれるようにして倒れている、セスがいた。



 フランは、呼吸も忘れて見入っていた。


「すげえ……」


 かすれた声でそう呟いたフランの瞳には、血と泥で汚れてもなお、清廉で力強いハーミットの立ち姿が映っていた。

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