呪いの囁き

 視界の隅で、巨大な氷が砕け散るのを見ながら、セスは、愉快そうに微笑んでいた。


「これはこれは。ネイサン殿があのような力をお持ちだとは。存じませんでしたなあ」


 言いながらも、黒く暗い、影を具現化させたような槍をいくつもハーミットに向かって放っている。


 ハーミットは、その全てを黄金色の雷の矢で打ち落とした。


「ふふ、殿下を無事に亡きものにしましたら、ネイサン殿も、丁寧に消してさしあげましょうなあ」


 セスの背中から、真っ黒な巨大な爪のような者が現れて、ハーミットを襲う。

 ハーミットは杖を振って、三節棍の状態にすると「フュルメ」と囁いた。

 棍の先がバリバリと音を立てて黄金色に輝く。

 それを、上から覆いかぶさるようにして襲い掛かってきた闇色の爪に向かって、縦横無尽に振り回す。

 闇色の爪は、流れるような黄金の稲妻に切り裂かれて砕け散る。

 直後、別の方向から爪の第二撃が襲ってくる。

 ハーミットは横に転がってかわすと、三節棍を杖の状態に戻して、中央を持ってバトンのように一回転させ、弧を描く稲妻で爪を砕いた。


 爪は無数に、執拗にハーミットに襲い掛かり、ハーミットは黄金の雷をまとった杖で応戦するが、徐々に防戦一方となっていく。


「ふふ。お疲れでしょう、殿下」


 セスは、長く重い黒髪から覗く片目で、嬉しそうに笑った。


「魔術というものは、本当に欠点だらけだ」


 愉快そうに話しながらも、攻撃の手は休めない。

 爪をかわし、砕くハーミットに、休む暇を与えない。


「魔力というものには、体力と同じく、限界がある」


 セスは両腕を広げる。背後から更なる闇色の爪が現れて、ハーミットへと伸びる。


「疲れてしまえば」


 ハーミットの呼吸が荒くなる。


「集中力が切れてしまえば」


 爪が、一撃、ハーミットの肩をかする。


 頬をかする。


「制御を失えば、威力はどんどん減っていく」


 腕をかする。


「呪術には、それがない。完成された術なのですよ!」


 脇腹を切り裂く。

 ハーミットは歯を食いしばり、杖を握り締める。


「ウルゥラ」


 バチバチと火花が散って、黄金色の鳥のような光が、ハーミットを包み込む。


「ヴォルテ」


 黄金の翼が広がると同時、稲妻が四方へと放たれ、爪を全て切り裂き、セスへと光の速さで襲い掛かる。


 セスは、杖を構えて爪を自分の前の地面に突き立てて壁を作ったが、その壁もろとも、雷に撃ち抜かれた。



 ハーミットは肩膝を突いて、ぜえぜえとあえぐように酸素を求める。

 脇腹からは未だ、じわじわと血が流れていく。止血しなくては。


 急げ。急いで、呼吸を整えろ。

 ヤツがこんなことで倒れるわけがないと、自分に言い聞かせる。


 だが、魔力の強大さに体力が追いついていないハーミットは、なかなか呼吸を落ち着かせられない。

 足も、がくがくと震えている有様だった。



「うふふ、これは、効きましたねえ、ふふふ」


 白煙の向こうにゆらりと影が揺れた。


 ローブが切り裂かれて、胸元がはだけている。

 長く重苦しい黒髪が乱れて、隠れていた右半分があらわになる。


 その姿を見て、ハーミットは驚愕した。


 右目が、瞳が、黒曜石のごとく漆黒に染まっていた。顔の右半分や、覗いている胸元も、ところどころが黒く、無機質に光っている。


「くく、私も、まもなく新たな次元へと歩を進める。人の形を保った私の、最後のお相手が、殿下で、嬉しいですよ」


 笑うセスの頬が、鼻先が、ビキビキと嫌な音をたてて、黒く変質していく。


「殿下は、私にとって、本当に、本当に、邪魔な存在でしたからねえ」


 右腕が、肘から下へと、ビキビキと、色を変えていく。

 その腕を見て、己の変化を感じて、セスは心から嬉しそうな顔をした。


 その恍惚とした表情に、ハーミットは吐き気を覚えた。


 思わず、口を左手で覆う。


「殿下の、王妃となられるはずだった、あの、可憐な羽虫の最期を、今も毎晩思い出します」


 ハーミットが目をむく。



 ――アル。夕陽を見に行きましょう。


 ――だって、アル、ずっと塞ぎこんで、苦しそうな顔をしていて……私、何もできない。アルが、私をお妃さまにしてくれるって、言ってくれたのに。


 ――森で見た夕陽、すごくきれいだったよね。この、お城の窓から見える夕陽もすごくきれいだと思うの。私、あまりアルのお部屋から出ないから……ここからは、夕陽が見えないから……。



「ずうっと機会をうかがっていた。あの日、部屋からのこのこと出てきてくださって、心から感謝しておりますよ」



 ――アル。ありがとう。ずっと一緒にいようって言ってくれて。



「ふふふ、無防備にも、警備の一人もつけないで。仕方ありませんよね、貴方は、羽虫どもに植えつけれられた要らぬ知恵のせいで、ネイサンでさえ、呪術師かもしれないと疑っていた。すっかり、疑心暗鬼だった」



 ――アル。私も、ずっとアルと一緒にいたい。



「あの瞬間。あの羽虫の背から針が貫通して、わずかばかりの血が散って、結晶化していくさま!! 今も思い出して、興奮しますよ!」



 ――アル、だいすきだよ。



「惜しむらくは、あの貴重なを羽虫の王に持っていかれてしまったことです。あれは悔やんでも悔やみきれない。けれど、この後悔も、今日でおしまいです、ふふっ」



 恍惚としてあざ笑う、セスでなくなっていくものを、朱色の陽が照らした。

 地にはいつくばって、吐き気を堪えているハーミットも、夕陽に照らされる。


 あの日の景色が、鮮明によみがえる。



 はしゃいで、バルコニーに向かうリナリアの笑顔を見て、必ず守ってみせると思った。

 なのに、その数秒後、リナリアの背中を貫いた、真っ黒な針。

 針は、煙のように消え去り、胸に穴の開いたリナリアだけが、ぼとりと、自分の手のひらに落ちてきた。

 あのときの感触が、手によみがえる。


 あの日の昏い絶望が、心を侵食していく。



 ああ。私が、私が、愚かにもリナリアを連れ出してまったから。

 あの日、森で、無理にでも里に帰せばよかったのに。

 可憐なあの笑顔に、ずっと、ずっと自分の側にいてほしいと、思ったばっかりに。

 あの優しい声で、ずっと励ましてほしいなんて、思ったばっかりに。


 妖精と人との共存を取り戻すなんて、分不相応な願いを持ったばっかりに。


 全部全部、自分のせいだ。



「うっ……ぐ……」


「ねえ、殿下。もう限界でしょう? さあ、羽虫どもに呼びかけるのです! 扉を開けと! さすればもう、採り逃した素材を悔やむ必要もない。

 のですから!」



 ――――……っ!


 ハーミットの中で、抑えきれないなにかが、ぷつりと切れる音がした。


 リナリアが、優しく微笑んだまま、結晶と化す姿が、脳裏によみがえる。


 フランのことも、ネイサンのことも、何もかも忘れそうになった。



 もう。

 全部壊してしまえ。


 君のいない、世界なら――。



「……ふざけるなよ……!」


 昏く淀んだ空間を切り裂いたのは、怒りに揺れてなお、凛とした女王の声だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る