悲しみのはじまり

 王宮に到着するなり、異様な雰囲気にアルバートは気付いた。

 弟が、顔中涙でいっぱいにして、両親の寝室から出てきたのを見たときは、アルバートの頭は真っ白になった。


「兄上……どこに、どこに行っていらしたのですか? 母上も、父上も、兄上のことを、ずっと心配して……今朝も、まだアルバートは帰らないのかと……」

「すまない。父上と母上を治すための、薬を探しに行っていた」


「薬……?!」

「ああ。材料は手に入ったんだ……お二人の病状は?」


「それが……朝までは、話しておられたのに、昼頃から何度も、ひどいけいれんを起こされて……もう、話すこともできないようなのです」


「なんだって……?」


 アルバートは慌てて、両親の寝室に入った。

 部屋の中には、医師と、宮廷魔術師のセスがいた。


「殿下……! お戻りになられましたか……!」


「セス。城を開けてすまない。父と母の容態は」


 セスは無言で、悲しそうな顔を左右に振った。


「陛下、アルバート殿下です! 殿下が、お帰りになりましたよ!」


 医師が、王の耳元で大きな声を出した。

 弟が部屋に入ってきたて、アルバートと並んで両親の隣に立つ。


 泣きじゃくる弟の背中に片手で触れながら、アルバートは両親の様子をつぶさに見た。


「父上。母上!」


 声をかけるが、まるで人形のように、なんの反応もない。


「心臓は、まだ、かろうじて動いております。ですが、けいれんが起こったということは、既に輝石化が脳に至ってしまったということ……もはや手のうちようがございません」


 セスが、背後から耳打ちした。

 弟は、ハッと息を呑むと、母の手にすがってしくしくと泣き出した。


「そんな……母上……父上……兄上が薬を、探してきてくださったのですよ! どうか、どうかもう少しがんばってください」


「薬? 殿下、それは本当ですか?」


 セスが驚いた声を上げた。アルバートは「ああ」と答えて、ぎりっと歯をきしらせた。


「だが、この薬は、輝石化が脳に達していては意味がないのだ」


「なんですって……?」


 セスが目を細める。


「すまないが、セス、医師殿、少し家族だけにしてもらえないだろうか」


 アルバートがそう言うと、医師は「最期のときを家族だけで過ごしたい」という意思表示と受け取り、静かに頷いて部屋を出た。

 しかし、セスはなかなか出て行かなかった。


「殿下。その薬のことを、教えていただけませんか。もしよければ私が調合してまいります」


「良い。今はもう無駄となってしまったものだ。今は、家族だけにしてほしい」


「ですが、そう、せっかく殿下がお探しくださったものではありませんか。あきらめるのは、まだ早いかもしれませんよ。さあ」


「くどい。もう良いのだ」


「しかし――」


「セス。お前が、両親のため、必死になってくれること、わずかな奇跡をも願ってくれること、嬉しく思う。両親に代わって感謝する。だが、頼む。今は。両親と我々兄弟だけにさせてくれ」


「殿下――」


 アルバートが苛立ちを必死に抑えながら答えていると、突然外套の中から、リナリアが飛び出してきた。


「アル! いけない! ご両親の心臓が、止まってしまうわ。そうなったら、私でも、助けられなくなっちゃう!」


 そう言いながら、両親の方へと飛んでいくリナリアの姿に、セスが目を見張った。


「うわああ! 兄上! これは何ですか?」


 弟が驚いて悲鳴を上げ、母親を守るようにおおいかぶさった。


「リナリア!」


「アル! 急いで、私の血を――」


「おのれ化け物め!」


 リナリアが両親の頭の上にたどり着く直前、セスが持っていた魔法の杖でリナリアを弾き飛ばした。


「リナリア!」


 リナリアが壁に激突する寸前、アルバートはぎりぎりで受け止めた。

 リナリアは、頭から血を流していた。


「リナリア! 大丈夫か! セス! 何をする! 彼女は私の大切な――」

「ア……アル。いいの、それより、この血を……」


 アルバートは、リナリアを守れなかった自責の念と、こんな目にあっても自分のことを思いやってくれるリナリアに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 最初から、きちんとリナリアのことを説明しておけば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。


 意を決して、両親の元へと駆け寄り、父王のまぶたにふれた。

 ぬくもりが、ほとんどない。

 嫌な予感しかしなかった。

 それでも、まぶたをなんとか持ち上げて、リナリアの血を一滴垂らす。もう片方の目にも同じように。


「兄上! 何をされているのです?」


「殿下! 王になんということを……」


「うるさいだまれ!」


 アルバートは苛立ちのまま叫んで、母親の目にも同じように血を垂らした。

 そして、父王の胸に耳をあてる。

 それを見た弟が慌てて、母の胸に耳をあてた。


「ああ、お、音が、聞こえない……セス……医師を、医師殿を呼んできて……!」


 弟が、震える声で言った。


「なぜ……なぜだ!」


 アルバートの耳にも、父王の心臓の音は聞こえなかった。


 セスが部屋の扉を開ける。

 出て行く直前、ちらりとアルバートを見ると、一言呟いた。



「間に合わなかったようでございますね」



「――!!」


 アルバートは、全身が粟立つのを感じた。



 まさか。

 まさか、セスが――。



 その後、医師が国王夫妻の死を確認した。

 その際、最後に国王夫妻の目を見ようと、下まぶたをおろした医師は、驚きの声を上げた。


「おお、殿下。これは、きっと殿下が起こした奇跡に違いありません」


 そう言って、医師が見せてくれたのは、宝石のようになっていた眼球が、元の、柔らかな人のものに戻っていた、両親の目だった。


 リナリアの血は効いたのだ。

 だが、もう、機能を全て停止してしまった身体は、生き返ることはできなかったというだけだった。

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