手をつなぐ
アルバートはいったん馬宿に戻って、次の日、朝一番からまた森に向かった。
さすがに二日連続で森にくる学生は少ないのか、少し不審に思われたような気がしたが、とにかく堂々としていろというネイサンの教えを守り、心を強くもって通り抜けた。
昨日と同じ場所で、リナリアの名前を呼んだが、やはり何も起こらなかったので、アルバートはもっと奥に行ってみることにした。
昨日の時点であれだけ瘴気に当てられたのだから、中心部など立っていられなくなるのではないかという不安はあったが、それよりも、もう一度妖精たちに会いたい気持ちが勝った。
泉の水を分けてもらいたいという当初の目的も、もちろんあったが、昨日のリナリアの姉が言っていたことが気になって仕方がなかった。
――輝石病は、妖精の命を犠牲にした呪い。
ただの毒薬ではないのか。
王家の人間として、目を逸らしてはいけない事実だと感じた。
これだけは、必ず知らなくてはならないことのような気が、した。
中心部には古い遺跡があると、ネイサンから聞いていたが、それらしい瓦礫と化した石の建物がある場所が見えて、アルバートは立ち止った。
「もう、中心部なのか?」
不思議と、昨日感じた不快感が襲ってこない。
もしや瘴気ではなく、リナリアが言っていたシビレちょうちょのりんぷんのせいだったのだろうか?
アルバートは、そうかもしれないと思い、しばらくその場でリナリアを呼び続けた。
しかし、数分するとやはりなんだかだるくなってきた気がした。
やはり瘴気もあるかもしれない。
どうしよう、これ以上はやはり危険なのか……。
アルバートが葛藤していると、突然、何かが髪の毛に触れた。
「アルバートさん。早く、帰らないと、また瘴気で具合が悪くなりますよ」
聞こえてきたのは、リナリアの小さな声だった。
昨日の明るい声とは打って変わって、少し緊張しているように聞こえた。
「リナリア!」
「しっ、しーー! お姉さまに見つかったら大変!」
リナリアは慌てた様子で、アルバートの鼻先に飛んできた。
「こ、これはすまない」
しゅんとしたアルバートを見て、リナリアは顔を真っ赤にしてうつむいた。
「い、いいの。そんなことより、昨日、泉の水を少し飲んで元気になったから、身体が瘴気に、昨日よりもうちょっと耐えられただけなの。すぐに限界がくるわ。瘴気は、人間と、人間の世界のものたちには、とてもよくないものなのよ」
「だが、私は、私には知らねばならないことがある。昨日リナリアの姉上が言っていた、輝石病の話を、どうしても聞きたいのだ」
「い、泉の水は? ほしいんじゃなかったの?」
「それもほしい!」
「うっ、そうよね」
何故かアルバートの言葉に、リナリアは落ち込んだ。
「しかし、それよりも、輝石病の話が知りたい。輝石病のことをもっと知ることができれば、泉の水がなくとも治す方法が見つかるかもしれない」
リナリアは、アルバートの瞳を、じっと、まっすぐに見た。
「泉の水、昨日飲んだでしょう? すごく、身体が軽くなったでしょう?」
「ああ。すばらしかった。万能薬と呼ばれたのも、解るというものだ」
「それで、あなたは、そのすばらしい水をたくさんたくさん取っていって、売り物にしようとは、思わないの? あと、独り占めしたいとか」
リナリアが上目遣いで聞いてきた。
アルバートは目をしばたたいた。
「そんなことは、全く考えなかった。そんなことをして、何の意味があるのだ?」
「えっ? ええと、お姉さまが、人間は何よりお金や宝石が好きなんだって……」
「ふむ、商人などはそういう性格だと聞いたことはあるが。私は商人ではない。それに、あの泉は妖精の里の大事な資源だろう。昨日、泉に連れて行ってもらって、この目で見て推察した。あれは、あの水が溢れないのは、湧き出るそばからトレントの根に吸収され、幹を走り、トレントから妖精たちに何らかの形で生命力を与えているのではないか? トレントから生まれた水が、トレントを循環して、妖精たちとトレントとの間で、何らかの共生関係が……」
「わわわ、むむっ、難しい話はいいよ! でも、ふふ、アルバートさんって面白い方ね」
リナリアはくすくすと笑って言った。
アルバートは眉間にしわを寄せた。
「む、それだ。さっきから、何だか違和感があると思ったが、その、アルバートさんという呼び方をやめてほしい」
「ええっ」
「アルバート……いや、アルでいい」
「アル……アル……。ふふ、何だか照れちゃうな」
リナリアはくねくねしながら、顔を真っ赤にした。
「あ! あのね……あの、アル」
「うん?」
「えへへ。ああ! えへへじゃない! あのね、ここ、すごく瘴気が濃いの。だから、危険なの。一刻も早く何とかしなくちゃ……あの、あの、もし良かったら、手を貸してもらえない?」
「ん? 手?」
アルバートはリナリアに言われて、両手を差し出した。
リナリアは「手、大きいなあ」と困ったような声を出して、少し迷ってから左手を、全身で抱き締めるようにした。
まるで左手にしがみついているように見えた。
「おまじない、するから、目を閉じて?」
「うん?」
アルバートは、リナリアの言うとおりに目を閉じた。
すると、囁くような、歌うような、リナリアの声が聞こえてきた。
「ひとつ、あなたとてをつなぎ
ふたつ、かぜのささやきで
みっつ、こもれびのきよらかに
よっつかぞえたらやくそくしましょう
ずっとずっと、あなたをまもりましょう」
ともすれば、風に紛れて消えてしまいそうなほど儚いその声は、今までアルバートが聞いてきたどんな歌い手の声よりも美しく、清廉だった。
左手がぼんやりと暖かくなったように感じた頃、リナリアがそっと左手から離れた。
「はい、瘴気が身体に入らない、おまじない!」
「ありがとう。ふむ、確かに、気分がすっきりしていく」
「ふふ。これでもう、アルの身体は大丈夫だけど、瘴気に当てられて変質した生き物は、とても危険だから、気をつけてね」
アルバートは、左手を見つめてみた。じっと見ていると、左手の手の甲に、ぼんやりと薄紫色の、小さな蝶のような形の花が円形にちりばめられたような印が、光って浮かび上がった。
「きれいな光だ。まるで、リナリアの羽根のような色だな」
にっこりと微笑んで、アルバートがそう言うと、またしてもリナリアは真っ赤になってしまった。
「あっあのね、アル。その、輝石病のお話、私がお姉さまに聞いてみるわね! そして、あなたに伝えてあげる。私たち妖精の手で、泉の水を幻術結界の外に持ち出すことは、掟で禁じられているの。だけど、お話を聞いてくることはできるから。三日後までに、なんとか聞き出してみる。だから、三日後、またここに来てくれる?
このおまじないがあれば、もうしばらく、瘴気は大丈夫だから」
「いいのか? リナリア」
「うん。頑張ってみるね」
「ありがとう!」
アルバートは思わず大声を出してしまい、はっとして、そっと声をひそめて、言い返した。
「ありがとう、リナリア」
二人は、三日後の夕暮れに、この場所で会うことを約束した。
リナリアの頬が、幸せそうにゆるんでいることに、アルバートは気付いていなかった。
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