隠者は叫ぶ

 ハーミットと学院長は、夕暮れ前に十分な余裕を持って森の中心部にたどり着いた。

 地図上ではここが、森の中心――妖精の里への入り口となっているが、今彼らが見ることができるのは、崩れ去った石壁の瓦礫が、無数の植物に侵食されたものだけだった。


 御伽噺でいう、昔むかしのラジェール公爵が、人目を忍んで妖精王と会話していたという、小さな神殿の遺跡だった。


 瘴気が危険であるということの他に、この遺跡があるという名目で、ラジェール公爵家は森に入ることを制限してきたのだ。


 ハーミットと学院長が、警戒しながら一歩を踏み出す。


「ハーミット!」


 頭上から、フランの声がした。

 二人がすばやく顔を上げる。

 樹上にフランの顔が見えたと思った直後、黒い何かが落下してくる。

 二人が後退すると、遺跡のすぐ前に、広場で見た巨鳥が着地した。


「おうおう。ようよういらっしゃいましたなあ。我が主の招待を受けていただいたようで」


 頭は狼。体は巨大なカラス。

 いくら瘴気で変質するにしても、こうはならない。そもそも人語を話すものなどいるわけがない。


 ハーミットは、怒りと嫌悪感で胃の腑がよじれそうになるのを感じながら、憎悪をこめた瞳で睨み返した。


「お前。やはり、禁呪で生み出された魔の者……呪術師の使い魔だな。お前の主人はどこに隠れている?」


「ははあ。アルバート殿下におかれましては、本日も見目麗しく……くくく。我が主ならば、逃げも隠れもいたしません。そうら」


 しわがれた声であざ笑うように言うと、狼は頭を持ち上げて上をさした。

 さきほどフランが見えた樹の上に、足をぶらぶらさせながら黒いローブの男が、こちらを見下ろしていた。

 フランは、男の横の空中に、見えない何かに右手首を掴まれたような姿で浮いていた。


「セス……! フランを返せ!」


「おお~恐ろしい。アルバート殿下が叫ばれるとは」


 セスと呼ばれた黒ローブの男は、ゆらりと揺れるようにして樹から降り立った。

 自然の摂理に逆らうように、ふわりふわりとゆるゆると降りてくる。

 フランは虚空に取り残されたままだ。


「貴方は、いつでも囁くようなお声でばかり話しておられましたねえ。奥方となられるお方の体が小さかったのですから。ふふふ、優しい殿下。優しいばかりで、愚かで無能の殿下」


「セス……口を慎みなさい」


 学院長が、フランが聞いたことのないような怒気のこもった声を出す。

 フランは、眼下でこれから起こることの、恐怖の予感に、体が芯から震えるようだった。


「貴方の叫ぶ声を聞いたのは、先日の森での悲鳴を除けば、そう、五年ぶりですね」


 ハーミットの全身が、粟立つ。


「あの、美しい夕暮れの玉座の前で」


 学院長がワンドを構える。


「私の使い魔が放った針に貫かれた」


 ハーミットの顔は、フランからは見えない。



「小さな羽虫の死骸を手に抱えて、泣き叫んでおられた!」



 ハーミットが杖を振りぬいた。


「ヴォルテ!!」


 ハーミットが叫んだ。

 四方から竜巻が生まれ、フランも風に思い切りふられる。


「フラン!」


 学院長が叫んだ声は、風のごうごうと言う音でフランには聞こえなかったが、学院長の杖から放たれた魔術の風が、フランの周囲に渦を巻いて、外の強風から守った。


 四つの竜巻が、一斉に黒ローブ――セスの身体を引き千切ろうと襲い掛かる。


 風が木の葉や地面を巻き上げて、遺跡の瓦礫もいくらか巻き上がった。

 たまらず、セスの使い魔も後退している。

 守護の風に守られているが、その守護に気付いていなかったフランは、死の予感に震えていた。


 風が収まったその場所に、セスはもういなかった。

 いつの間にか、また樹の上に戻ってきている。


「これはまた乱暴な」


 馬鹿にしたような声でセスが言う。


「ハーミット。落ち着いてください。貴方の魔力は強大だ。制御を失っては、フランを助け出すことなどできません」

「……解っている……!」


 ハーミットの瞳に、抑え切れない憎悪の炎が揺れる。

 それを見下ろして、セスは心のそこから可笑しいと言いたげに笑う。


「ふふふ、いいんですか? 制御だ抑制だ。そんなことをしていては私には勝てませんよ? 私が扱うのは、魔術でも神術でもない、呪術。はるか太古に、世界を蝕む力として恐れられた、禁じられた邪神の術式ですからねえ」


 学院長は、ハーミットの様子に気を配りながらセスを睨みつける。


「そのような禁呪を、どこで会得したというのです? 呪術が禁じられてから、優に百年は経っている。継承者は途絶えたはずです」


「ええ、まあ、歴史のお勉強ではそうなっておりましょうなあ。だが、私の家は代々、この秘匿されし至高の術式を継承してきたのですよ。王に仕える宮廷魔術師という仮面をかぶってね。呪術の術式を学ぶのに比べたら、魔術などたやすいものでした。ふふふ」


「百年以上の歳月を、隠し通してきたと? 考えがたいですね」


「おやあ、簡単なことでしょうに、ネイサン。貴方、本当にわからないのですか?」


 ハーミットの手が、杖をぎりぎりと握り締めている。


「気付いた者を、皆、殺してしまえばいいのですよ。そう。殿下。貴方のご両親のように」


「!!」


 ハーミットは、微動だにしなかった

 その横で、学院長は驚愕に震えた。


「なんと……今、なんと言いましたか?! 国王夫妻は、輝石病で亡くなられたはず……!」


「ふふふ、ネイサン殿、貴方、輝石病って何だと思ってるんです?」


「……それは……」


 学院長が言い淀んだ。

 フランは、学院長のこんな姿は見たことがなかった。


「王家の重要機密を信じているのでしょう? 『太古の王族が作り出した暗殺用の毒物が、誤って井戸水に混入したため広まった公害。現在では毒薬の現物は存在しないが、地中にわずかに残っている毒素がごく稀に流出し、それを摂取したものが発症することがある』ってやつをね」


 輝石病と言うのは、セーラの母親の病気だ。間違いない。

 同じ病気で、前の国王夫妻がなくなった? 学院長はそう言った。

 子供のフランにはよく解らない話だった。

 それに、さっきからこの男、ハーミットをアルバート殿下と呼んでいる。

 ハーミットが、王様だとでも言うのか。

 フランには解らないことだらけだった。


「違いますよ。あれは、呪い。我々呪術師が作り出す呪いです」


 輝石病が、呪術師の呪い。

 だとしたら、セーラの母親が輝石病になったのも、呪いだというのか?


「おっお前が、セーラの母ちゃんを病気にしたのかっ?」


 思わずフランは叫んでしまった。解らないことだらけでも、これだけは、これだけは解らなかったで済ませられない。


「セーラ? ああ、貴方たちが助けようとしてらした庶民のお嬢さんですかね? ふふ、狙ったわけではありませんがね。あれは本当にちょうど良かった」


 学院長が、フランが、セスを凝視した。

 ちょうど良かったと、今、この男は言った。

 セーラの不安に怯えた瞳が、真っ赤な瞳が、フランの脳裏に浮かぶ。


「殿下。貴方の優秀な弟君は、放っておけば私がご両親を殺したと気付いてしまうかもしれない。

 ですから、輝石病があの間違いだらけの機密書類のとおりの、数年に一度の割合で発症するものであると思っておいていただくために、時折、無作為に呪いを庶民たちにばら撒いておりまして。

 まあ、特定の人間を狙うのでなく、何も考えずに街に向かって放つので、発症するかしないかは、個体差が出ますがねえ」


 何を、何を言っているんだ、解らない、解らない。

 けど、コイツが許せないってことだけは解る。

 フランは我知らず怒りに震え、目に涙を溜めていた。


「おや、何を泣いているのです? 少年。君は痛くもかゆくもないでしょうに」


 下卑た声だった。

 耳障りだった。


「庶民ですよ。あの子。くくくくっ。少年の初恋とでもいったところですか?

 これだから名家の人間様というのは。どうして皆、身分違いの恋に身を焦がしたがるのか。

 まあ、騎士の家などどうでもいいですが、王侯貴族には、許されることでは在りませんよねえ。

 血が穢れる」


「おまえ」


 唸るような声が、下から聞こえてきた。

 聞いたこともない、低い、震えた声だった。

 フランが、なすすべなく涙を流しながら下を見ると、ハーミットが怖いくらいの鋭い瞳で、セスを睨みつけていた。


「もう、それ以上、汚い口を開くな」


 ハーミットの杖が、金色に輝いた。

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