ほんとうのなまえ

 ハラハラして、今にも飛び出してきてしまいそうなセーラに、ハーミットは微笑んでみせてから、サリエルに向き直った。


「自分でも、どうしたらいいのか、解らないんだ。妖精王に謝りたいと思っているのかもしれないし、一目でいいから、リナリアに会わせてほしいと思っているのかもしれない。でも、それは私の感情であって、私のわがままなのであって。妖精王に会って、謝ることに、私が楽になる以外の意味などないのだから。

 彼女を苦しめるだけなのだから。

 だから、とにかく探して、手にしたい衝動はあるのだが、手に入れたとしても、何もできやしない気がするんだ」


 ハーミットは、悲しそうな声でそう言った。

 なんだか、今までの彼と違って、弱々しい少年に見えた。


「お前、何を言ってる?」


 サリエルが戸惑うような声を出した。


「お前、誰だ? 何者だ。 これ以上は偽名のままでは許されない。お前は、セーラの為に動いてくれた。ネイサンも信用してるみたいだしな。

 俺も、力になってやってもいい。

 だが、素性を隠しているものには協力できない」


「サリエル、彼は……」

「いい、ネイサン」


 学院長が何かを言おうとしたのを、ハーミットが遮った。

 ハーミットは、一度、セーラを泣きそうな顔で見てから、意を決したように真剣な顔になってサリエルの瞳を、真正面から見た。



「私の名は、アルバート・エルム・ミハイール」



「アルバート……?」


 サリエルが驚いた声を上げた。

 セーラには知らない名前だったけれど、ミハイールというのは、聞いたことのある家名だ。


 確か、王様の――


「お前、一日王のアルバートか? お前が?」


「ああ」


「いちにち……おう? ハーミットは王様なの?」


 セーラが言った。

 ハーミットは、セーラの方に向き直った。


「セーラ」


 ハーミットに呼ばれたセーラは、学院長が肩を離してくれたので、そっと一歩前に出た。

 ハーミットはセーラの前に跪いて、セーラの手を両手でそっと握った。



「セーラ。私は、王様にはなれなかったんだ。今の王様はね、私の弟だ。本当なら、私がならねばならなかった。だが、なれなかった。王が座る椅子に、座れなかったんだ」


「?」


「もう五年も前のことだ。私は十六歳で、王様になることになった。大切な、大好きな人を、お妃様としてね」


 サリエルが食い入るようにハーミットを見ている。

 セーラがそっと学院長を見上げると、学院長は眉尻を思い切り下げて微笑んで、頷いた。



「けれど、なれなかった。大好きな人が、死んでしまって」


「え?」


「悲しくて、つらくて、玉座――王様が座らなくてはならない椅子に、どうしても座ることができなかったんだ」


「椅子?」


「そう。明日は戴冠式という日に、私の大好きな人は、その椅子の前で息絶えた。二人で、その椅子がある部屋のバルコニーに、夕焼けを見に行こうとしたんだ。その途中で、死んでしまった」


「どうして? 病気?」


 セーラが震える声で聞いたが、ハーミットは悲しそうに微笑むだけで、その質問には答えてくれなかった。


「次の日のことを、私はもうよく覚えていない。けれど。ただ、悲しくて、苦しくて、辛かったことは忘れられないんだ」


 学院長が目を伏せた。


「私は、玉座の前で嘔吐した。吐いた。バルコニーの下には、私が王冠を頂いて出てくるのを待つ国民たちでいっぱいだった。

 私の名を呼ぶ大きな声が、嬉しそうな声が、たくさんたくさん聞こえていた。

 絶対に行かなきゃ行けなかったのに。行けなかった」


 セーラは目を見開いた。


「私は、自室から出られなくなってしまった。怖くて。悲しくて。動けなかった。だから、すぐに弟が私の後を継いで王になることになった。まだ、十二歳だったのに」


 セーラの目から、我知らず涙が零れ落ちた。


「だから、たった一日だけ、王様だったから、私は、一日王と呼ばれているんだ」


 ハーミットが悲しそうに微笑んでいる。

 どうして彼は笑っているのだろうと、セーラは思った。


「嫌いになったか?」


 その一言を聞いたとき、セーラの身体は勝手に動いていた。

 セーラはハーミットをぎゅうっと抱き締めた。

 小さなからだで、小さな手で、大きな背中を精一杯抱き締めた。


「きらいになんてならない。セーラも、わかる。ハーミットのきもち」


「ありがとう」


 ひび割れた声でそう言った元王様は、少女の肩に額を乗せていたので、彼の顔は誰にも見えなった。

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