白日の凶行
フランは、窓からそっと庭に飛び降りた。
二階の客間から、庭の木に飛び乗って華麗に着地をきめたかったが、さすがにそんなことは出来なかったので、執事に本をもっと貸してほしいと嘘をついた。
執事が本を取りに行った隙に、どこかから出て行こうと思ったのだが、そう簡単にはいかなかった。執事は、では図書室に一緒に行くので好きな本を選んでくださいと言い出した。
さすがのフランも、ちょっとは観念した。
しかし、運のいいことに図書室は一階にあった。
もし図書室が二階だったなら、諦めたかもしれない。けれど、一階なら窓から抜け出せる。
図書室は本棚がたくさんあって、迷路のようだったので、棚の陰にかくれて執事が見えなくなった瞬間、フランは窓に手をかけた。
そして今、門を目指して、きれいに整った庭を全力疾走しているというわけである。
背後から執事の叫ぶ声が聞こえてきた頃、フランは門番の青年の腕をかわして、街の中へと駆け出していた。
「ごめん! ハーミットと学院長に会ったら、一緒に帰ってくるからさ!」
フランは大声でそう言うと、大急ぎで人ごみの中に紛れ込んだ。
今日は天気がよかったので、学院に向かう途中にある広場の青空市場が大盛況だった。
フランはちょっとした興味もあって、広場を通り抜けることにした。
おいしそうな野菜、チーズやパンを売る婦人たち。珍しい獣肉を売っている猟師と、その肉を隣で調理してふるまう女性など、たくさんの屋台が出ている。
それらを楽しそうに見てまわる買い物客たちも、いつもよりたくさんいる。
フランは、普段から休日にはときどきこの青空市場を訪れていた。
ここには、わくわくするものがたくさんあるのだ。
例えば、古い装備品を売る古物商だとか。魔術師でなくても、魔術の効果を得られる魔導具だとか。それらを売っている、ちょっとくせのある大人たちとか。
実家のあった街の、大きな商業区とは違う面白さであふれている。
そもそも、実家では一人で自由に出歩くなんて、とても許されなかった。
なんせ出来損ないで人前に出せないと、父に散々言われていたのだから。
いつだって、お目付け役の使用人が着いてきた。
でもここでは、一人で自由に走り回ることができる。
一刻も早くセーラの話を聞きたいところだが、ついつい出店に目を奪われてしまった。
「ぼっちゃん」
ふと、誰かが自分を呼んだ。
振り向くと、フードで顔もよく見えないようなローブを着込んだ老人が、喧騒から少し離れた端の方で、フランに手招きをしていた。
「ぼっちゃん、見ていかんかね。いいものが揃っているし、今日は特売日だ。お安くしてるよう」
そう言ってくねくねとこちらを手招く、妙に細長い指の下には、キラキラ光るガラス玉のような飾りがついた指輪や、ブローチが並んでいた。
フランは少し気になったが、さすがに老人が不気味で近寄りがたかった。
「俺、急いでるんだ。ごめんな」
そう言って、走り去ろうとした。
「――そんなこと言わずに。さあ――」
唐突に耳元で声がした。
フランの全身が粟立つ。
恐る恐る横を見ると、老人のやせ細った鳥の脚のような手が、自分の肩をがっしりとつかんでいた。
どういうことだ。
少し、離れた場所にいた。
こんな一瞬で近づけるわけ、ないくらいに。
「これなんか、ぼっちゃんによく似合うよう」
そう言いながら、恐怖で凍りつくフランの右手首に、老人が無理やり何かをはめた。冷たい。金属質の感触。
パキンという音がして、フランの右手首を、くすんだ金色のバングルが締め付けてくる。バングル全体に掘り込まれた文字のようなものと、歯車のような模様がぼんやりと輝きだす。
「何……だよっこれ……」
フランが老人のほうに向き直ると、老人は、真っ黒なフードをかぶった頭を残して、黒い大きなカラスのような体になっていた。
「……っ!」
悲鳴を上げようとして、声が出ないことに気付く。
耳も聞こえない。
けれど、周囲の人々がカラスを見て叫んでいるのは見えた。
音のない世界。唐突な出来ことに理解が追いつかず、恐怖が膨らむ。
「ははあ。つかまえましたぞう」
老人のしわがれた不気味な声が、嬉しそうにそう言うと、フードが消えて、狼のような頭が出てきた。
頭は狼、胴体はカラスという不気味なそいつは、フランに向かって大きく咆哮した。
周囲の音は聞こえないのに、この狼カラスの声は聞こえる。
ものすごい威圧に、フランはよろめいて後ろに倒れこんだ。
倒れこんだ先に、誰かの足が見えた。
助けを求めようと上を見たが、その足の持ち主の大人は、まるでフランに気付く様子がない。
全然、見えてないみたいだ。
フランがその違和感に動きを止めた一瞬の隙をついて、狼カラスは、大きな足でフランの胴を鷲掴みにした。
そして大きく羽ばたき、屋台や商品、人々を吹き飛ばして、上空へと飛び立っていった。
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