甘えていいんですよ

 学院長が大慌てで図書室塔に駆けつけたとき、セーラは真っ赤な目で、椅子に座った母親の膝にすがりつくようにしていた。


「セーラ……!」


 学院長の顔を見るなり、セーラはぼろぼろと目から大粒の涙をこぼした。

 サリエルはセーラの母の眼前で微動だにせず、術をかけ続けていた。

 誰が持ってきてくれたものか、セーラのための水筒や食べ物、寝袋まで机に置いてあった。

 おやつは少し食べたあとがあり、水筒も飲んでいるようだったが、寝袋や携帯食糧には手をつけた様子がなかった。


「セーラ、怖かったでしょう。不安だったでしょう。他の先生方に聞きました。がんばってここまで、お母さんを連れてきたのですね」


 学院長はそっとセーラの横にしゃがみこんで、頭を撫でた。


「ほんとうに、がんばりましたね。セーラはすごい子です」


 本当は、ぎゅうっと抱き締めたいくらいだった。

 幼い少女の不安が、手に取るように伝わってきて、学院長は胸が締め付けられる想いだった。


 セーラは言葉もないまま、しくしくと泣いていた。

 言葉にもできないくらいの不安に襲われているのだろう。

 いつもなら絶えずセーラに寄り添い、励まし続けるサリエルも、術をかけ続けているので動けないのだ。

 サリエルのことだから、絶対大丈夫だと励ましてから術をかけたに違いない。

 セーラはサリエルのことを疑っているわけでもないだろうが、それでも、誰も話し相手がいないのだ。不安が膨らむ一方になってしまっても仕方ないことだ。


「こんな大変なときに留守にして、本当にごめんなさい、セーラ。サリエルはすごい精霊です。サリエルに任せていれば大丈夫ですからね?」


 セーラは、涙を手の甲でぬぐって、こくこくと頷いた。


「あの、食べ物やおやつや、寝袋は、誰が持ってきてくれたのですか?」

「お、お医者さんが……」

「お医者さんが? 親切なお医者さんですね。あとで私もお礼をしておきましょうね」


 にこにこと微笑みながら話しかけ続けていると、セーラも少しだけ肩の力が抜けたようだった。


「ハーミットは、フランとデュナミス大森林に行ったのですね?」


 セーラはこくんと頷いた。


「お薬を、作ってくれるって……」


「なるほど、薬……ハーミットはを作ってくれると言っていましたか?」


 学院長の問いに、セーラは目を大きく見開いた。

 一生懸命に思い出そうとしているのか、眉間にしわを寄せる。


「言って、なかった」

「そうですか。それでは恐らく、進行を遅らせる薬を作るといったのではありませんか?」

「わからない……ごめんなさい」

「いいんです。不安にさせてごめんなさい、セーラ。きっとハーミットに任せておけば大丈夫です。もう少し待って、二人が戻らなければ、私が迎えに行きます。一人にしてしまうのは心配ですが、そうなったら、私を信じて待っていてくれますか?」


 セーラは精一杯頷いた。


 待つしかできない自分に、悲しくなりながら。


「せんせい」


「ん? どうしましたか?」


「私のママなのに、私、何も出来なくて……みんなばっかり大変で。ごめんなさい」


 消え入りそうなセーラの声。

 学院長は涙が出そうなくらい、胸が締め付けられたが、にっこり笑ってセーラの頭をもう一度撫でた。


「セーラは優しい子ですね。今はお母さんのことだけ考えていてもいいというのに、他の皆のことを考えられるなんて、本当にすごいことです」


 セーラは少しだけ顔を上げて、学院長の目をまっすぐ見た。

 学院長の目は、優しくて、泣きそうな目だった。


「でもね、セーラ。みんながセーラのために大変なことを、進んでやってくれるのは、みんながセーラの笑顔が好きだからなんですよ。みんな、貴方の笑顔が見たいんです。どうして、貴方の笑顔が見たいのかと言うと、セーラが普段、みんなを笑顔にしてくれているからなんですよ」


「え?」


「だから、こんなときくらい、私たち大人に、精一杯甘えていいんですよ?」


 ね? と微笑む学院長を見て、セーラのまん丸の瞳から、またぽろぽろと涙がこぼれた。


「さあ、セーラ。先生があそこからパンと水筒を持ってきてあげますから、少しだけ食べましょうね」


 そう言うと、学院長はマントを脱いで、セーラにそっとかけてくれた。


 学院長と一緒に、パンを少しだけ食べたあと、セーラは眠くなった。

 気付いた頃には、母の膝に顔を乗せたまま眠ってしまった。


 学院長は、その様子を見てほっと一息を付くと、サリエルの様子を見た。

 まもなくサリエルに限界が来る。

 サリエルの瞳の光が、弱まっている。


「殿下――信じておりますよ」


 学院長は、我知らず、呟いていた。

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