妖精の王
「えっ? ええっ?」
フランはおろおろと辺りを見回した。
ハーミットを踏みつけていた、あのいやな声の革靴男も見当たらない。
どこまでもどこまでも花が咲いている、不思議な場所で、ハーミットと二人きりだった。
「な、なんだ? ハ、ハーミット?」
恐る恐るハーミットを覗き込むと、ぐったりとして目を閉じている。もともと白い肌が、青いような、いや、黄色いような? とにかく見たこともないくらい真っ白だ。
「わ、わわわ! ハーミット! ハーミット!」
「騒がしい
フランの頭上、真上から、さきほど聞いた女の声が響いた。
「っ!」
首が痛いほど真上を見た。
「ん?」
フランは大人の女の人が立っていて、こちらを見下ろしているんだと思っていた。
無意識にそう思っていた。
でも、そこには、下手したら少し大きい蝶くらいにしか見えないような、小さい女が浮いていた。
「はあ?!」
フランは苛立ちにも似た感情で叫んだ。
「うるさいと言っておろう、これだから子供は」
透き通った虹色の六枚羽根を小刻みに揺らして、女はフランの顔の前に舞い降りてきた。
褐色の細く長い手足を全く隠していない服装は、フランにはもはや下着姿にしか見えなかった。
お腹も肩も背中も出ているし、腰から下がった、脚よりも長いオーバースカートは前が開いている。彼女の豊満な身体と、すらりと伸びた四肢を隠すものはほとんどない。
頭から伸びたエメラルドのような、輝く緑色の髪は、彼女の身長の数倍はあろうかと言うほど長く、ひらひらと空中を舞っている。
「あああもう何なんだよーーー!」
とりあえず、人間じゃないということだけ理解したフランは、叫んだ。
今まで叫ぶのを我慢していたのもあるが、もうパニックだった。
「ええい、黙れと言うている。そこの男がどうなってもよいのか!」
「はっ! ハーミット……! 助けてくれ! ハーミット、死んじゃう……」
「言わずとも助けてやる。これ以上、森をうろつかれても困る。お前に、森を燃やされるのもごめんだからな」
聞き取れるかどうかという小さな声でそう言うと、女性はハーミットの傷ついた肩の上にそっと降り立った。
そして、裸足の、褐色の足首についていたアンクレットのあたりに、そっと触れて、
「ラーミナ」
と呟いた。
フランには何が起こっているのか理解できなかったが、いつの間にか彼女が触れていた辺りに小さな傷ができていて、そこから足を伝って、ぽとりと血がしたたった。
彼女の血が落ちた場所を中心に、水色の円が浮かび上がった。
大きさは、半径がちょうど彼女の身長くらいだろうか。
円の中にも更に小さな円があり、フランが見たこともない文字のような模様がその中に浮かび上がっている。
ぼんやりと光る円に向かって、彼女は優しく、優しく囁く。
「オラティーオ」
水色の円が、キラキラと光りながら下に下りていって、ハーミットの肩の傷口に溶け込んでいく。
きれいな水音が響く。
フランは、絶句して見とれていた。
小さな女性もすごくきれいだったけれど、彼女が使った術も清廉で、清らかで、教会のステンドグラスを、生まれて初めて見たときのような気持ちを思い出した。
「ひとまずはこれで大丈夫だ。子供。少し手伝え」
「こっ子供じゃない! フランだ!」
ぼうっとしていたフランは、きれいだと思っていた当人から突然声をかけられたので、照れ隠しに思い切り叫んだ。
女性はいかにも不快そうに顔をしかめた。
「ではフラン。私はお前より小さいのだぞ。気を遣え。もっと小さな声で話せ」
「うっ……ごめん」
フランが真っ赤な顔で謝ると、女性は驚いたような顔をしてから、ふふ、と笑った。
「気に入ったぞ、フラン。なかなか素直じゃないか。どこぞの王子様とは違う。では付いて来い」
「あ、お、おい、どこいくんだよ? ハーミットこのままじゃ……」
「ひとまずは大丈夫だと先ほど言ったであろう。気にするな行くぞ」
フランは、こんなに小さいのに、すごく偉そうだなと思いながら、彼女の後を追いかけた。
数歩進むと、小さな女性は、褐色の指先を虚空に突き出した。
すると、何もなかった空間に触れた指の先から波紋が広がり、見渡す限りの花畑が消え、大きな大きな樹が現れた。
「うわあああっ」
「ええい、騒ぐな!」
フランはまた怒られて少し落ち込んだ。
彼女は慣れた様子で、大樹の根元にしゃがみこむ。
彼女が手招くので、とことこと歩いていくと、そこには、小さな泉があった。
大樹の根に守られるように囲まれていて、ぽこぽこと底の方から水が湧き出している。
ただ、不思議なことに、湧き出した水はどこへも流れ出ていないというのに、あふれ出る様子はなかった。
「この水を、あの男に飲ませろ」
「これって?」
「妖精の泉だ。お前が探していたものだろう」
「は?」
「妖精の泉だ!」
「は……はあ?」
フランは、目の前の小さな女性の言うことが信じられずに、目をしばたたいた。
妖精と言うのは、御伽噺に出てくる存在で、現実にはいないというのが常識だ。
セーラが、妖精さんとお友達になってみたいなあなんて言うのを、フランは「おこちゃまだな」と言って笑った。
からかったのに、セーラはにこにこしていて、少しバツが悪かったなあなどと関係のないことを思い出したりした。
信じられないが、もしかして――
「あんた、妖精なのか?」
「何だと思っていたのだ。お前」
「瘴気で変質した人間……」
「お前。失礼な子供だな」
フランの答えを聞いた女性は、こころなしかこめかみに青筋が出たように見えた。
「よいか。私は妖精の王だ。ひれ伏してあがめよ」
「ひれふす? アガメってなんだ? 虫?」
きょとんとするフランを見て、自称・妖精の王はがっくりと肩を落とした。
「お前、アルバートに劣らぬ魔力を持ちながら、アルバートより愚かだな」
「アル……? その名前、さっきの靴ヤローも言って……ん? あ! アイツ、あの靴ヤローどこいったんだ?」
「ええい、もう面倒なやつだな。今そこに気付くのか?」
妖精の王は、威厳のかけらもない呆れ顔でフランを見つめた。
「あの男がどこかに行ったのではない。お前たちが移動したのだ。
ここは妖精の里だ。お前たち人間が入って来れぬよう、幻術で守っている。だが、お前たちがあまりに騒がしいので、王である私が直々に迎えに行ってやったというわけだ。感謝せよ」
「よくわかんねえけど、助けてくれたんだな? ありがとな!」
フランは歯を見せてニッと笑った。
妖精の王は、ふうっと息をついた。
「保存用の瓶は余分に持っているか? あの男に飲ませる分と、持ち帰る分だ。特別に持ち帰りを許可してやる。ただし、お前たちが私の森で話していたセーラとかナントカいう人間一人のためだけに使うと誓え」
「ん? この水、アンタのなのか? ていうか、何で俺たちが話してたとか知ってるんだ?」
「私のものではない。妖精みなのものだ。それから、森の中で起こることは、皆、私の手の中で起こっているようなものだ」
「う、うん。やっぱよくわかんないけど、ありがとうな! すっげえ助かる!
セーラっていう友達のために、この水が必要なんだ」
「では、水を取ったら元いた場所に戻してやる。お前が言うところの靴ヤローは、既に森から出るため移動しているからな」
「そんなことまで解るのか? 妖精ってすげえんだな!」
「ふん。アルバートによくよく言っておけ。次はないとな」
尊大な声で言う妖精の王は、フランの嬉しそうな姿を、優しい瞳で見つめていた。
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