開眼

 休憩を終え、歩き出してすぐ、道幅は狭くなり、もう道なのかそうでないのかわからないようになってきた。

 まさにけもの道だ。

 フランの足を、枯葉や折れた枝、生い茂る草花たちがからめとる。

 何度も転びそうになりながら、歩きにくさに涙も出そうになりながら、それでも歯を食いしばって歩いていた。


 その頭上から、金色の瞳がフランを狙っていた。

 空色に輝く、つやめいた、フランの宝石めだまを狙って、黒い翼が羽ばたく。


 空を切るわずかな音だけをたてて、とがった黒いくちばしを真下に、まっすぐに、狙いをさだめて落下してくる。

 直前まで、その貪欲の気配を隠して。


 もうすぐ届くというところで漏れた殺気に、ハーミットの本能が反応する。

 振り向きざまにフランを抱きかかえるようにして転がる。

 ハーミットの右肩にするどい痛みが走る。


「ぐっ」


 転がりながら、殺気の主を視認する。

 瞳が金色のカラス。真っ黒な翼の先端だけが、うっすら赤くなっている。


 グエエエエエと不快な怒声が響く。


 歯を食いしばって立ち上がる。

 杖をすばやく取り出して、振り回して組み立てる。

 それだけの動作で右肩が悲鳴を上げる。


「ハーミット?」


 震えるフランの声。自分の背後。斜め下から聞こえる。

 振り向く余裕はない。


「フラン、下がれ」


「ハーミット、血が……っ」


「気にするな、大丈夫だ」


 ハーミットは自分では笑ったつもりだった。笑えただろうかと一瞬無駄なことを考えた。


 その隙にカラスが羽根をはばたかせる。

 ほんの一振りの羽ばたきから、刃のような風が生み出されてこちらに撃ち放たれる。


「ヴォルテ」


 ハーミットの声はいつもより緊迫していた。それでもフランにも聞き取れないほどの小さな声。

 その声に応えるように、ハーミットの前に風が渦巻く。

 敵の放った風は、木々を切り裂いてこちらに向かってくる。

 ハーミットが展開した風の壁とぶつかって相殺する。


 刃の風が消えて、一陣の風がフランの身体を吹き抜けた。


 同時に、フランの心に恐怖が巣くう。


 何が起こっているのかわからない。

 怖い。

 動けない。



 敵が自分の攻撃が効いていないことを認識して第二撃を繰り出す前に、ハーミットは反撃を試みる。

 右肩がうまく動かない。

 焼けるような痛みが走る。


「……っ!」


 漏れそうになる苦痛の声を噛み殺して、杖を左手に持ち変える。



 今度こそ守る。

 フランも。セーラも。



「ウルゥラ」


 息を吐くように、声に意識を乗せる。

 杖の先に吐息が集まるように、風が小さく渦を巻いて集まる。

 ハーミットが小さく杖を振ると、透明な鳥が羽ばたくようにふわりと宙を舞い上がって、直後に一直線に上昇。


「グラン」


 ハーミットの囁きと、振り下ろした杖の動きに合わせて、上空から透明な翼が弾丸のようにカラスに向かっていく。

 カラスはその弾丸を回避するでもなく、先ほどと同じ動きで羽ばたく。

 今度は羽の先の赤が、禍々しく光り、炎をまとった風の刃を生み出す。

 ハーミットが目を見開いた瞬間、こちらに向かって解き放たれる。


 後ろでまだ座り込んでいたフランを抱きかかえて横に転げる。

 何とかかわしたが、ハーミットが放った魔術も、相手によけられている。

 むなしく地面をえぐる音がすると同時、カラスは上空に飛び去っている。

 もう一度、くちばしを真下に向けて急降下してくる。


「ウルゥラ」


 フランを抱える右肩に激痛が走る。

 ただの傷ではない。

 焼け爛れるような痛みで、いっそ肩をもいでしまいたくなる。

 じりじりと、真っ赤な焼鏝やきごてを肩の中に埋め込まれたかのようだ。


「ヴォルテ」


 絶叫しそうになるのを必死に堪えて、呼吸を整えながら命じる。

 透明な風の鳥は竜巻となって、落下してきたカラスを襲う。

 カラスは渦に飲まれて上空に戻される。

 竜巻はカラスの身体を切り裂く。


 カラスは耳が引きちぎれるかと思うくらい不快な絶叫を上げて、ようやく竜巻から逃れると、千切れかけた羽根を、最期の力でひとつ、羽ばたいた。


 最期の炎の風が、ハーミットたちから大きく外れて、頭の上のほうに飛んでいく。


 カラスはその最期の羽ばたきで、完全に力尽きて、尾の先から砂と化していく。


 それを見届けたハーミットは、力を失ってフランの上に倒れこんだ。


「う、あっ……ハーミット!」


 フランは、ずっとずっと怖くて、目を見開いていた。

 ハーミットにまたしても庇われて、転がって、ハーミットの真っ赤に染まった肩ごしに見た上空で、カラスの放った最期の一撃が、頭上の木に炸裂するのを見ていた。


 いくつも生えた枝と共に、太く大きな幹が、あっさりと縦に切り込まれて、めきめきと音を立ててこちらに倒れてくる。


「ハーミット!!」


 逃げなくては。 

 ハーミットを抱えて動こうとしたけれど、ハーミットの身体は重かった。

 抱えるどころか、自分の足をハーミットの身体の下から引き抜くことすらできない。

 顔を見ると、まっ青で、血の気がひいて、呼吸が弱くなっていく。



 どうしよう。

 どうしよう。

 誰もいない。

 学院長も。


 なんにもできない。

 なんにもできない子供なのに。

 助けてくれる人は誰もいない。


 助けてくれる人は。

 助けられる人は。



 自分しかいない!




「うわああ……あああああああ」


 叫びながら、ハーミットの腕の下から抜け出せた右腕を上空へと差し出した。


「ああああああああああああ!」


 我知らず右手のひらを上に向ける。


 ところどころ燃えながら倒れてくる木に向かって。


 その手の甲がぼんやりと薄紫色に光った気がした。




 守りたい。

 守りたい。

 失くしたくない。




 それだけだった。

 それしか考えていなかったフランの右手から、橙色の光が揺らめいた。

 直後、爆発的に膨れ上がって、真紅の炎となる。


「ああああああああああああっ!」


 声が枯れた頃には、落下してきていた木は、そのほとんどを消し飛ばされて、熱風で吹き飛ばされた小枝や葉がひらひらと二人に舞い降りてきた。


「はあ……はあっ」


 フランがようやく息を吸ったとき、右腕が力を失って、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。


 直後。


 ガシャン、カシャンと音がして、キラキラ光る石がたくさん転がってきた。


 あのカラスの巣にあった、宝石や原石たちだったが、そんなことは理解できないし、そもそも落ちてきたことに気付くだけの気力も残っていなかったフランは、強烈な眠気に襲われていた。


「これは、予想外の事態だ。この子供は何者だ――」


 意識を失う直前に、知らない男の声が聞こえた気がした。

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