おまじない

 ハーミットとフランは、その後も「変質した生き物」に二度ほど襲われたが、ハーミットの魔術で何とか乗り切っていた。

 材料集めも順調で、あとは夕暮石榴ゆうぐれざくろと妖精の泉というところだった。


 ただ、時刻は昼に近付いている。

 早く全てを見つけなければと、ハーミットは顔に出さずに焦っていた。


 しかし、まだ幼いフランを連れている以上、休憩は必須だった。

 手近な木の根元に座り込んで、フランはひとつため息をつく。

 フランも、なんとなく不安になってきていたのだ。


「あの、変な生き物、邪魔しないでほしいよな。こっちは急いでるんだからさ」

「そうだな」


 ハーミットは上の空で相槌をうった。


 この森で「森の奥」とは、中心部のことを意味する。

 外周から中心に向かえば向かうほど、森にしかない植物や鉱石があり、森にしかいない危険な生物が生息している。

 言わずもがな「瘴気で変質したもの」たちだ。


 夕暮石榴も、橙と藍と赤が入り混じった石で、もとは柘榴石という石が変質したものではないかと言われている。

 柘榴石は、もともとこの森の中の洞窟にあった鉱石だが、その昔、この石が貴族たちのなかで宝石のように扱われたことから、命知らずの宝石商たちが他の場所からも柘榴石を持ち込み、瘴気の濃い場所にしばらく置いて変質させて、それを貴族に売るという、危険なビジネスをしようとした。これにより数が増えたと言われている。

 宝石商たちがせっかくおいた柘榴石を回収しなかったのは、したくともできなかったからだ。

 自身も、みな、瘴気で変質してしまった。

 何度も何度も。様子を見に来ているうちに、少しずつ、それでも確かに瘴気を吸い込んで。

 彼らの様子を見て、人々は、瘴気が人体に危険なものだとはっきりと認識したとも言われている。


 そして、変質してしまった者のなかには、今も森をさまよい続ける者もいるという。


 そいつだけには会いたくない。



「フラン」


 そろそろ休憩も終わりかという頃、ハーミットがフランを自分の目の前に立たせた。


「ここから先は、瘴気がどんどん濃くなっていく。だから、瘴気から身を守る術をかける」


「術? 魔術か?」


「いや。神術の方だ。この森に入るための許可証は、瘴気から身を守る術式が施されているから、これを持っていればある程度は大丈夫だが、我々がめざす妖精の泉にたどり着くには、それだけでは足りないんだ」


 神術は、セーラが学んでいる神学の一種で、浄化や回復、防御などを得意とする。

 先ほどカマキリの体液で汚れたナイフを浄化したのも、神術だ。


「よし、ではやるぞ。まずは目を閉じて」

「う、うん」


 フランは、ハーミットが術をかけるところを見たかったので少し残念に思いながらも、大人しく言う通りに目を閉じた。


「呼吸を落ち着かせて。静かに。ゆっくり吸って。ゆっくり吐いて」


 ハーミットの言葉はまるで詩のように、静かに、重く、暖かく、まるで何かに夢の中にひきずりこまれるように、暗示のように、フランの心と身体を支配していく。

 ハーミット自身も目を閉じる。

 フランの両手を自分の両手でつかんで、向かい合ってゆっくり呼吸をする。

 魔法具である杖を使わずに実行する神術。

 ハーミット自身の精神力と、周囲の自然のもつ力に頼る術式。


 ハーミットは集中の糸を、細く、細く、引き絞っていく。


「ひとつ、あなたとてをつなぎ

 ふたつ、かぜのささやきで

 みっつ、こもれびのきよらかに

 よっつかぞえたらやくそくしましょう

 ずっとずっと、あなたをまもりましょう」


 小さな囁くような歌声。

 声と一緒にしゃらしゃらと耳元で、くすぐったいような、鈴の音にも似た音が響いている。

 手をつないで向き合っている二人を、足元から輝く風が巻き起こって、頭上へゆっくりと渦を巻きながらふきぬけていった。


 二人の髪が、名残おしそうに最後の風に揺れたあと、ハーミットはそっと目を開いた。


 手を離して、自分とフランの手の甲を確認する。

 フランは右手に。ハーミットは左手に。

 小さな蝶のような形の花の模様が、薄紫色にすうっと光って浮かび上がり、すぐに消えた。


 成功だ。


「終わった。目を開けていいぞ」


「えっ……? な、なんか変わったか?」


「わかりにくいだろうが、ちゃんと術はかかっている。右手の甲に術印が刻まれている。お前も魔力を右手に集中させれば浮かび上がらせることができる」


 言いながら、ハーミットは自分の左手の甲をフランに見せて、さきほどの花の模様を浮かび上がらせた。


「えっと……集中って、魔術使うときのあれだよな」


 フランはそう呟くと、自分の右手の甲をじいっと見つめた。

 何度も深呼吸をしながら見つめていると、ほんの一瞬だけ、手の甲が薄紫色に光った。


「あっ! 今の?」

「ああ。そうだ。では行こう」


 ハーミットに促されて、フランも歩き出す。


「ハーミットは、魔術も神術も使えてすごいな!」


 フランが、純粋な感動をこめた声で言った。

 ハーミットは振り返らずに「ああ」と答えた。


「元は魔術しか使えなかったが、神術は、昔、大切なひとに教わったんだ」


 その声は、こころなしかひどくさびしそうだった。

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