第三章 デュナミス大森林

今、できること

 フランは、薄暗い中、寝ぼけ眼をこすって着替えをしていた。


 昨夜、宿の中で小さな個室を借りて、ベッドに座るなり、フランはぱったりと眠ってしまった。

 いろんなことが起こったので、疲れていたのだろう。

 宿に着いたときは、休まず森に行こうとごねただけに、少し気まずかった。


 宿代や宿帳の手配は全て御者がやってくれたし、フランがようやく目が覚めてきた頃には、出発の準備も万端だった。

 宿の人たちに作ってもらったサンドイッチと水筒を持って、ハーミットとフランは馬車に乗った。


 車窓の景色は、どんどん緑と岩ばかりになって、人工物が少なくなっていく。


 フランは、先日ふらふらになって歩いた道を、馬車の上から、朝食を食べながら見下ろした。自分でも、本当によく歩いたものだと思った。

 そして同時に、今度は森の中に入るんだ、もっとつらいんだと、自分に言い聞かせた。ラジェール家の使用人たちに用意してもらったグローブを着けた両手を、ぐっと握る。


 絶対に、セーラを助ける。


 そんなフランの様子を、向かいの席で見つめていたハーミットも、心の中で強く決意していた。


 この子供たちは、必ず自分が守る。

 ――今度こそ。必ず。



 ほどなくして、馬車が停まった。

 フランが馬車から降りると、境界警備をしていたのは、先日一人で来たときと同じ警備のおじさんたちだった。


「よう、少年! 今度はどうしたんだ? またユーファの花か?」


 挨拶もそこそこに、二人いる警備のうちの一人が、フランの頭をがしがしと撫でて、明るい声をかけてきた。


「いてて、ううん。でもまた、薬の材料を採りに来たんだ」

「おう、そうか、また同じ女の子のためか?」


 ひげ面のおじさんはにやりとして耳打ちしてきた。フランは耳まで真っ赤になった。


 その隣で、御者が何かをもう一人の警備に見せていた。

 御者の手元を見るなり、警備の男性――こちらは若い青年だった――が、目を見張って、御者、ハーミット、フランをかわるがわる見て、もう一度御者の手元を見た。


 御者が見せたものは、ラジェール家の書状で、森への「立ち入り許可証」だった。

 デュナミス大森林は、本来、ラジェール家のこの許可証なしには立ち入れない場所だ。

 警備の人間たちは、その責務の必要性から、ある程度のところまでは立ち入りを許されているが、一般の人間にその許可が下りることは珍しいことだった。


 この許可証を、ラジェール家の紋が入った馬車に乗った、身なりのいい男性と、この少年が持ってきた。

 いったい何者なのかと、警備は驚いていたわけである。


 ハーミットはそんなやりとりにはさして興味もないようで、フランの方へ歩いていき、フランとじゃれているひげの警備に声をかけた。


「すまないが、フランにユーファの花を採ってきたという警備は、君か」

「ん? ああ、俺だが」

「その、ユーファの花が咲いている場所を教えてほしい。道順さえ聞けばなんとかなるだろう」

「おお、いいぜ。けど、許可証がないと森には入れないぞ?」

「それについてはあちらでやっている。それと、中に入るのは私と、このフランの二人だ。馬車と御者は、ここで待たせることは可能だろうか?」

「へえ! 許可証があるのか! うーん、馬車と御者かあ……」


 自分と馬車を自力で護れるんならなあと言おうとして、馬車の方を振り返り、ひげの警備も、馬車の車輪についた家紋に気付いた。


「お、おおお……もしや公爵様のお家の方で? これは失礼を」


「いや、その、知人というだけだ。わけあって協力してもらっているだけだ。特別扱いは不要だ」


 ハーミットがそう答えたが、警備たちはもはや緊張してしまっていた。


 結局、警備たちは「馬車と御者殿は、しかとお護り致します!」と力強く叫んで、姿勢を正してハーミットたちを見送った。


 ハーミットは、警備の男性から聞いた場所を、最初に目指した。


「なあ、ハーミット、ユーファの花も使うのか?」


 フランが、森に入ってすぐそう声をかけた。


「そうだな。ユーファの花、ユーファの花の根、アサギリ草と、ユメミノ木の実、それから夕暮柘榴ゆうぐれざくろという石……このあたりは、もしあれば採っていくが、最悪金さえ払えば街のどこかで手に入るだろうから、念のため、ネイサンの家の者たちに探しておいてもらえるよう頼んできた」


「?? 森に来なくてもあったのか?……じゃあ、俺たちは何でここまで来たんだ?」


「その他に大事な材料がある。これはこの森にしかないものだ。そして多分、私とお前にしか見つけられない」


「ほ、ほんとか? 何だよ、それ」


 ハーミットは目を細めて、森の奥を睨みつけるようにして答えた。


「妖精の泉の水だ」


「ようせいのいずみ……?」


 フランには効いたことのない言葉だった。だが、そもそも最初に言われた材料だって、ユーファの花以外知らないものばかりだったので、さほど気に留めなかった。


「それ、全部そろったら、治るんだよな? セーラの母ちゃんの病気!」


「――いや」


「え?」


 予想に反した答えが返ってきてフランが驚いて立ち止まると、ハーミットが少し先の木の根元にしゃがみこんだ。

 フランは慌てて駆け寄る。

 そこには、ユーファの花がいくつも咲いていた。

 どうやら、ひげの警備に教えてもらった場所に着いたらしい。


「なんだよ? 治るんじゃないのか?」


「今回の材料で作る薬では、完治……完全に治すことはできない。ただ、飲んだ段階で、病気の進行は止まる」


「しんこうがとまる?」


「もう絶対に、今より悪くならないようには、なる」


「??」


「ただ、もう見えなくなってしまった目は、元に戻らない」


「そんな……」


「私がセーラを地下室にやったのは、サリエルの力を借りるためだ。サリエルの能力なら、薬なしでも、病気の進行を止めることができる。ただそれは、病気だけでなく、母上の身体全体の時間を止めてしまうし、いつまでも止めていられるわけじゃない」


「あのヘビ? よくわかんないけど……」


「そうだな。つまりは、私たちは今日の夜までに、この進行を止める薬を完成させて、あの地下室に届けなくてはいけないということだ」


「今日の、夜?」


「さあ、急ぐぞ」


 ハーミットはそう言うと、小瓶に、フランがしたように、土ごとユーファの花を何輪か摘み取って、立ち上がった。

 フランにはよく解らないことの方が多かったが、急がなくてはいけないということだけはなんとなく解った。

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