精霊の真価
セーラは、塔が近付くにつれて足が軽くなり、渡り廊下に着いたときには、もう普通に歩けるようになっていた。
塔の鍵はハーミットから預かっていたが、サリエルが中から開けたので使わなかった。
螺旋階段を下りるとき、医師は、この階段を、目の見えない人間を連れて下りるのは、子供ではとても無理だと思った。だから、自分はここまで付き添うよう言われたのだと納得した。
「おい、セーラの母ちゃんは俺が特別許可で入れてやる。そのおっさんも入るのか?」
サリエルが言われて、セーラはハッとした。
「そうだ。このお部屋、学院長先生がいいよって言った人しか入れない、魔法がかかってるんだった……どうしよう、サリーちゃん」
セーラが初めてこの部屋に連れてこられたとき。
ここなら安全だと言われても、セーラは安心できなかった。
サリエルが現れると、かわいいと言って少し微笑んだが、サリエルがいるから大丈夫と言われても落ち着くことはできなかった。
そこで学院長がこう言った。
『それではこの部屋に、魔法をかけておくことにしましょう』
そして、学院長は
セーラには何も起こったように見えなかったが、学院長もサリエルも、しっかり魔法がかかった、もう誰も来ないと繰り返した。
そして一週間、毎日一時間ずつ、ここにいる時間を延ばしていった。
最初は一時間だけで、すぐ学院長に送られて帰宅。
次は二時間。その次は三時間という風に。
一週間の間、本当にセーラが怖がっていた先生たちは、誰も来なかった。
二週間が過ぎる頃には、セーラもすっかり安心して、昼食を地下室で取れるようになった。
こうしてこの部屋は、セーラにとって学院で唯一の安らげる場所になったというわけだ。
「うん、まあ、なんだ。たしかにここは
サリエルはときどき虚空を見つめながら説明した。
セーラは難しいことはよく解らなかったが、サリエルが大丈夫というので、医師にも中に入ってもらうことにした。
「それで、ハーミットは何でここに母ちゃんを連れて来いって言ったんだ?」
サリエルに問われ、セーラは必死に説明をしようとした。うまく伝わったか解らなかったが、医師がところどころ説明を補足してくれた。
「なるほど、輝石病か。久しぶりに聞いたな」
サリエルは目を細めてそう言うと、するりと空中を滑って、椅子に腰かけたセーラの母親の目の前に移動した。
彼女の瞳をまじまじと見て、すいっと離れると、セーラの方を見た。
「ハーミットの言うとおり、こいつは輝石病で間違いない」
「サ、サリーちゃん、どうしよう」
「セーラ、よく聞け。少し難しい話をするぞ」
サリエルが、珍しく真剣な声でセーラに話しかけた。
セーラは緊張して、サリエルを見つめ返してうなずいた。
「母ちゃんの病気は、すごい速さで悪くなる。怖い病気だ」
セーラの顔が、一気に不安に染まる。サリエルはくるりと宙を舞って「いいか、よく聞けよ」と言った。
「俺様にはすごい能力がある。なんて言ったって、大精霊様だからな。俺のその力を使えば、母ちゃんの病気が悪くなるのを、止めることができる」
「ほんとう?」
「ああ。治してやることはできないが、これ以上悪くならないようにすることはできる。俺の力で止めている間に、ハーミットとフランが薬の材料を揃えて、薬を作るってことだろう」
「う、うん」
確かに、ハーミットはそんなことを言っていた。
「ただな。俺が母ちゃんの病気の進行を止めるってことは、母ちゃん自身の身体の時間を止めるってことなんだ」
「え?」
「そ、そんなことが可能なのですか?」
よく解らないセーラの後ろで、医師が驚いて声を上げた。
サリエルは、医師のことはとりあえず無視して進めた。
「時間を止めるんだ。母ちゃんだけ。俺が睨んだ奴が、動けなくなるの、見たことがあるだろう?」
「う、うん」
ハーミットや、昼に来た先生にやったことだ。それについては。サリエルから教えてもらったことがあった。サリエルが睨んだ人は、動けなくなるって。
「あの術のもっとすごい奴だ。俺が睨んで、睨まれた奴の身体の時間を止める。時間を止められた奴は、動けないし、喋れないし、考えることもできない。人形みたいになる」
「う、うん?」
「だから、もし俺が術をかけたら、母ちゃんとは術を解くまで、話すこともできないし、抱っこしてもらったり、頭撫でてもらったりもできないぞ。それでもいいか?」
「え……?」
いいかと聞かれても、セーラには答えられなかった。
セーラが決めていいことなのかも、わからなかった。
見かねた医師が「あのう」と口を挟んだ。
「少し聞かせてもらえないかな。その、時を止めた場合、お母さんの身体になにか、影響はでないのかい?」
「ほとんどない。時間を止められた者は、その間、当然のことだが、周囲の時間軸から置いてかれる。つまり、年をとらない。だが、俺が生きたままの人間の時間を止めていれるのは、明日の夜までが限界だ。一日くらいじゃ、そんなに影響らしい影響はでないだろう」
「なるほど。だが、今君は、明日の夜までが限界だと言ったけれど、そうなると、明日の夜には、お母さんはまた元通りになるということかい?」
「ああ。元の輝石病患者になる。だから、薬は明日の夜までに手に入るのが理想だな」
「なるほど」
医師が、今の話をセーラの母親に説明して、アドバイスをしようとしたとき、セーラの母が口を開いた。
「サリーさん。私からお願いいたします。どうか、私の時間を止めてください」
「ママ?」
「私は今、セーラを置いていきたくはない。セーラのためにも、生きたいのです」
後半の声がひび割れた。見えない目から、涙こぼれている。
セーラは母の涙を見て、驚いて、母親の膝元に駆け寄った。
「ママ! 泣かないで! 絶対にハーミットとフランが、お薬を見つけてくれるよ」
「ええ、そうね。ママも信じているわ」
――信じるしか、ないだけだろうに。
本当は怖くて、不安で、仕方なかろうになあと、サリエルは思った。
そして、宙をくるりと回ってセーラの顔のすぐ横に移動した。
「よし、セーラ。それじゃあ、明日の夜までのぶん、たっぷり抱き締めてもらえ」
「う、うん」
セーラは母親にぎゅうっとしがみついた。
母親も、ぎゅうっと抱き締め返した。
「セーラ。大好きだからね」
「セーラも! ママのこと。だいすき」
数秒間そうして、そっと離れると、セーラの母親はにっこりと微笑んだ。
「じゃあ、行くぞ」
「お願いします」
セーラは思わず「ママ」と呟いた。ひどく不安げで、消え入りそうな声で。
セーラの母は、いつもどおりに、にっこり微笑んで、そして――
サリエルの瞳が赤く光り、その姿のまま、蝋人形のように、動かなくなってしまった。
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