大精霊サリエル様

 子供たちがどよめいている声が、目の見えないセーラの母の心をざわつかせた。


 セーラは大丈夫だろうか。

 きっと泣いて震えているのだろう。

 自分が手を引いて、歩いていければ。


 セーラの母は、ずっと自分を責めていた。


「ねえ、本当に大丈夫かい? ここで待っていてくれれば、私が誰か先生を呼んで……」


「やっ、やだ! やだ!」


 医師の「先生」という言葉で、涙でべちゃべちゃのセーラの顔が更に青くなる。

 足が震えて、こわばって動かない。

 セーラは自分のことが、大嫌いになっていた。

 こんなときまで動かない、自分の足が。


 ふと、三人の耳に生徒たちの悲鳴のような声が、奥から聞こえてきた。


 きゃあきゃあと騒ぐ声はだんだん近付いて、誰かが走り出したのをきっかけに、全員が校門の方へ一斉に走り出した。


「な、なにごとだ?」


 医師が前を見ると、そこには、彼には見慣れないものがふよふよと浮いて、こちらに近付いてきていた。

 医師が、これがもしかしてうわさに聞く、魔術師の使い魔というやつだろうかという考えに至る頃、その羽根のある蛇は、セーラたちの目と鼻の先に浮いていた。


「おい、セーラ! ハーミットの奴はどうしたんだ!」


「サ、サリー……ちゃん?」


「俺はお前の気配なら、校門をくぐったときから解る。なかなか来ないから、おかしいと思って迎えに来てやったんだ」


「サリーちゃん、お部屋から出て、だいじょうぶ……?」


「俺の心配より自分の心配しろ!」


 少し強い声で言ったサリエルは、校門のあたりからこちらを恐る恐る見ている生徒たちの方へと飛んでいく。


 生徒たちが、小さく悲鳴を上げる。


「お前ら、とっとと帰れ! さもないと、こうだぞ!」


 サリエルは大声でがなりたてると、校庭にいた小鳥をぎろりと睨んだ。

 小鳥はすぐに飛び立とうとして、翼を広げようとしたその姿のまま硬直し、地面にごとりと倒れた。


 それを一番近くで見ていた者が、悲鳴を上げて逃げ出したのを皮切りに、生徒たちは我先にと校門を出て行った。


 静かになった校庭で、サリエルは「フン」と鼻息をひとつついて、小鳥から視線をはずし「悪かったな」と声をかけた。小鳥は「ピピ」と一声鳴いて、飛び去っていった。


「行くぞ、今なら誰もいない。歩けるか」

「う、うん……」


 サリエルの問いかけに頷いたものの、セーラの足はやはり簡単には動かなかった。

 サリエルは、少し悩んだ後、しっぽの先をセーラの指にくるりと巻きつけた。


「……サリーちゃん?」


 セーラは、そう言ってサリーの尻尾を見て、違和感を覚えた。

 なんだろう、いつもより短い気がする。


「ほら、行くぞ! 俺にはつないでやれる手はないけどさ」


 サリエルが恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 セーラは、しっぽから目を離して、サリエルの小さな後ろ頭と、ふよふよと飛びにくそうに動くこうもり羽根を見た。


「う、うん。がんばる。サリーちゃん、ありがとう」


 セーラは、大きく息を吸って、そっとはくと、勇気を搾り出して一歩、踏み出した。


「セーラ、だいじょうぶ? サリーさんって?」


「ママ、ごめんね、もうだいじょうぶ。サリーちゃんが迎えに来てくれたの。サリーちゃんは、前に話した、いつも一緒にいてくれる子だよ」


「まあ、よかったこと。サリーさん、どうもありがとう」


 サリエルは答えずに、ふんとひとつ鼻息を吹いた。

 恥ずかしくてうまく答えられなかったのだ。


 母親に声をかけると、また少し、セーラの心が落ち着きを取り戻した。

 セーラは、母親の手をぎゅっと握って、サリエルの尻尾がまきついた指を見つめながら、少しずつ少しずつ、歩き出した。



 セーラが、サリエルの尾先が、塔から出るための代償として少し千切れたことを知るのは、今日という日が遠い思い出になった、更に後のこと。

 これはまた、別のお話である。

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