おかえりなさい

 セーラがどうにかして課題を終えた頃、いつものように母親が天窓の上に迎えに来た。


 セーラはいつも、帰宅の時間が近付くと、まだかまだかと、ずうっと天窓を見て待っているので、母親が上から中を覗くと同時に椅子から飛び降りて、帰宅の支度をしていた。

 だが今日は、ぼんやりとハーミットの髪を眺めていたので、母親が迎えに来たことに気づかなかった。


「セーラ。ママが来た」


 サリエルにそう声をかけられて、セーラはハッと顔を上げた。


「……ハーミット……」


 本に夢中のハーミットに、恐る恐る声をかけると、ハーミットは本を見つめたまま「なんだ」と言った。


「あの、私、帰ります」


 セーラの言葉に、ハーミットは顔を上げた。


「そうか。私はもう少しここにいて調べる。気にせず帰るといい」


「は、はい、さようなら」


 セーラは急いで荷物をまとめた。勉強道具の羽根ペンとノート、それから、フランがくれたユーファの花の小瓶を持って、ドアへと向かった。

 ちらりとハーミットを見ると、ハーミットは相変わらず本を眺めては、何かをノートにまとめていた。


 セーラはいつものように、サリエルにお別れを言った。


「サリーちゃん、今日もありがとう。明日もよろしくお願いします」

「おう。今日もがんばったな、セーラ。明日も待ってるぞ」


 図書室塔の守護精霊であるサリエルは、めったなことがない限りは、この部屋から出られないらしい。


 セーラは最後に、本に夢中になっているハーミットに、無言で会釈をして、そっと部屋を出た。


「ママ!」


 螺旋階段を必死に登ると、塔の入り口で母親が待っていてくれた。

 母親は優しく微笑むと、セーラを一度ぎゅうっと抱き締めて「おかえりなさい、セーラ」と言った。


 セーラと同じ桃色の髪と琥珀色の瞳。柔らかくて冷たい手が、小さなセーラの手をきゅっとつかむ。


「セーラの手は暖かいね」


 いつもと同じく、そう言ってくれる。

 こんな小さな手でも、母親の役に立てているような気がして、セーラはこの瞬間が大好きだった。


「ママ、聞いて。フランがね、ユーファの花をくれたの」

「ユーファの花?」

「そう。珍しいハーブでね、目に良いんだって!」


 セーラがそう言うと、母親は驚いたような顔をした。


「まあ。それは良かったこと。だけど、どうやってフランくんはそんな、珍しいハーブを手に入れたの?」

「お散歩してて、見つけたから、私のために取ってきてくれたんだって!」


「まあまあ、フランくんは本当に優しい子ね。けど、そんなに珍しいものを、いただいてしまっていいのかしら?」


「ねえ、このユーファのお花、お茶に入れて飲むと、目のつかれがとれるんだって! 学院長先生が一緒に調べてくれた本に書いてたの! ママ、最近目がよく見えないときがあるって、言ってたでしょう? つかれめっていうのだって、言ってたでしょう?」


「まあ」


 母親は目を見開いた後、ふんわり微笑んで、セーラをぎゅううっと抱き締めた。


「ありがとうセーラ。ママのために、がんばってくれたの?」


「うん、えへへ」


「なんて優しいいい子。すごく嬉しいわ。ありがとう」


「ふふ、早く帰ろう!」


 セーラは母の腕をすり抜けると、手をひいて、走り出した。


 学院の校庭を笑顔で走るなんて、もうひと月ぶりだということに、セーラは気付いていなかったが、セーラの心は、幸福感で満たされていた。

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