少女と隠者

「セーラ。驚かせてすみません。怖い人はいませんから、安心して、そこから出てきてくれませんか?」


 セーラは、目を大きく見開いて、こくこくと無言でうなずくと、自習机の下から這い出てきた。

 ふらふらと立ち上がったセーラの前で、学院長はしゃがみこんだまま、セーラのスカートのほこりをはらってやった。


「セーラ。私の大切なお友達が、ここの本を読みたいと、さっき訪ねてきたんです。急なことで、貴方に相談できないままにつれて来てしまって、怖い思いをさせてしまいましたね。本当にごめんなさい」


 セーラは、落ち着きを取り戻したようだが、声は出てこないようで、無言のままふるふると首を横にふった。


 学院長がセーラの小さな手をそっと握ると、抱き締められていた腕から開放されたサリエルが、空中でるりと旋回して、セーラの肩に降り立った。


「紹介させてくれますか? 誓って怖い人ではありません。貴方が怖くてがまんできないようであれば、今日はもう、私があなたをお家まで連れて帰りますよ」


「だ……だいじょうぶ……です」


 セーラが声を絞り出すと、学院長はにっこりと微笑んで、そっと手を引いてセーラを扉の近くまで連れて行った。


「失礼。先ほど話しました、先客の生徒を、紹介させていただけませんか?」


「む。必要ない。私のことは気にしなくて良い」


「……っ!」


 セーラは見たこともない銀色の髪に驚いて、声を失った。学院長先生の白髪とは違う、光を反射してキラキラと光る、見たこともない美しい髪だった。

 その美しい髪が腰まで伸びていたので、セーラは女の人かと思ったのに、聞こえた声は男の人のものだった。

 何もかも、見たことのないような人だった。


「まあそう仰らず。少しだけこちらを見ていただけませんか」


 ふうっとため息をついて、持っていた本から目線をあげて、こちらを振り向いたその人は、フランよりも濃い青の、宝石のような色の瞳をもった男の人だった。


「こちらは、セーラ。神学教室の一年生です。わけあって、教室ではなく、一日こちらの図書室で学んでいます」


「はっ……はじめまして……」


 セーラがどきどきしながら挨拶をすると、銀色の髪の男は「うむ」と言ってひとつうなずいた。


「セーラ。こちらは私のお客様です。古いお付き合いをさせていただいていて……え~」


 突如言いよどんだ学院長は、口元のしわを少しばかり意地悪そうにゆがめて、これみよがしに「困った」ような声を上げた。


「お名前は……あ~」


「くっ。ネイサン貴様! 名前など、なんでもよい」


「そうは仰いましても……ねえ」


 学院長が爽やかな笑顔のまま、なにやら有無を言わせぬ圧力を放つと、心底面倒くさそうな顔をした後、銀髪の男は観念したように口を開いた。


隠者ハーミット……私の名前は、ハーミットだ」


 銀髪の男こと、ハーミットは、そう一言ぶっきらぼうに告げると、また本に視線を落とした。


「ハーミット……先生?」


 セーラが弱々しく呟くと、学院長が「ふふふ」と微笑んだ。


「隠者ですか。ふふふ。セーラ。彼は先生ではありません。そうですね。ハーミット様とお呼びしてよろしいですか?」

「様などいらん」


 学院長に問いかけれたハーミットは、食い気味で答えた。様付けで呼ばれるのが、よほどいやなのだろうかと、セーラは思った。


「しかし――」


「ふう」


 ハーミットはパタンと本を閉じると、セーラの目の前にやってきて、片ひざをついて、セーラの目をまっすぐにみた。

 セーラは、真っ青な瞳に見つめられて、耳まで真っ赤になった。


「私は、ただのハーミットだ。ハーミットと、そう呼んでくれ。さんだとか、君だとか、何もつけなくていい」


「わ、わかりました」


 おずおずと答えたセーラを見て、ふっと、ハーミットの目元と、頬が緩んだ。

 見たこともないくらい、きれいな、まるで天使の肖像画のような微笑みだと、セーラは思った。

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