学院長と来客

 暖かい陽だまりの中、ツァドキール学院初等科の教室棟からのびる渡り廊下を、二人の男が歩いていた。


 一人は白地に臙脂えんじの糸で美しい刺繍ししゅうが施された、裾の長いローブをゆったりと着た初老の男性で、しわが刻まれた穏やかな微笑みに、銀縁の丸めがねが上品さを加え、立ち姿は威厳にあふれている。

 この街で彼を知らないものはいない。

 ネイサン・ザカリー・ラジェール。彼こそが、領主の血縁にあたる、ツァドキール学院の学院長だ。


 まもなく六十歳になろうという学院長の隣で、友人のように親しく、いや、むしろ偉そうに話しかけているもう一人の男は、鉄紺色てっこんいろの外套を羽織り、銀色の長い髪を後頭部でひとつに結った若者だった。


「しかし、貴方のほうから出向かれるとは。実に珍しいことですな」


 学院長にそう声をかけられた銀髪の男は、腰まで届く長い髪をゆらゆらと揺らして歩きながら、憮然ぶぜんとして答えた。


「ネイサンまで私をそのように言うのか。私だって、外出くらいする」


 むすっとした顔で学院長を呼び捨てにして、真っ青な瞳で横目に睨む。

 この土地では最も威厳があり、位も高いラジェール家の人間に対する態度とは、とても思えない尊大さだった。


「ほっほっほっ。それは結構。しかし、お一人では危険です。人がお嫌いならせめて使い魔だけでも……」


「何者かを従えるのは嫌いだ」


「そう。そうでしたな。出すぎたまねをいたしました。ご無礼を」


 学院長がそう言って謝罪すると、銀髪の男は顔を真っ赤にして、そっぽを向いてしまった。


「謝罪など不要だ。そんなことより、早く本を探させろ」


「ええ、お待たせいたしましたな。こちらでございますよ」


 学院長が、なぜか少しだけ泣きそうな顔で微笑んで前を見ると、図書室塔の扉が見えた。


「本はこちらでございますが、その、室内には先客がおります。なに分、ここは子供たちの学び舎。生徒たちもこちらを利用しております。どうぞご了承ください」


「ふむ。しかし、今はその、授業という時間なのではないのか。授業というものは、教室という部屋で行うのだろう?」


「おそれながら、当学院で行われる授業は、神学教室も、魔術学教室も、教室での座学のみで身につくものではございません。この学院で経験するすべてのことが授業と言えましょう。よって、教室以外にも、あらゆる場所で、それぞれにあった学び方をさせるよう心がけて――」


「ああ、解った、解った。ここでは私はよそ者だ。多少のことには目を瞑る。もとより、室内に他人がいようがいまいが、気になどせん。早く資料を探させてくれ」


「かりこまりました。では」


 学院長は、なぜかうれしそうに微笑んで、塔の扉を開いた。

 薄暗い塔に入って、エントランスホールである一階の中央にある、地下室への螺旋階段を下り始めると、下からがたがたと騒がしい音がした。


「ふむ。ずいぶんにぎやかな先客がいるようだが」


 銀髪の男が眉根を寄せると、学院長は螺旋階段の底の先にある「学院長の許可なき入室を厳禁とする」という貼り紙が貼られた、立派な扉の取っ手に手をかけて、苦笑いをした。


「まあ、その、子供ですからなあ。あ、あと、言い忘れておりましたが」


「ん?」


 学院長はにっこりと微笑んで扉を開けた。


 扉の向こうにあったのは――


「なっ……」


 銀髪の男は一声発したまま、不自然なほどピタリと動きを止めた。

 まるで、石にでもなってしまったかのように。


 彼の瞳に映っているのは、金色に光る目の、羽根が生えた蛇だった。

 宙に浮くその蛇は、チロチロと舌を出しながら、険悪な声を発した。


「ネイサン。こいつ、何者だ」


「言い忘れてしまいましたが、ここには守護精霊がおりますので……このように」


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