小さな騎士

 天窓からこちらを見下ろす赤銅色しゃくどういろの影は、セーラが音に気付いたことを確認するなり、すぐに引っ込んだ。


 ほどなくして、扉が開く音とともに、ガタガタと騒がしい足音が階段を下りてくる。


「くぁあ~。なんだ、アイツ、また来たのか」


 サリエルがあくびをしながら、うーんと伸びた。


「うん」


 セーラが答えた直後、地下室の扉が勢いよく開き「おーい!」という大きな声がした。


「騒がしいなあ」


 サリエルは目を細めて、また丸くなってしまった。


「よう、セーラ! また来てやったぞ!」


 声の主が本棚の影から勢いよく飛び出してきた。


「おはよう、フラン」


 声の主は、フラン。

 セーラと同じ初等科の一年生で、魔術学教室に通っている。

 赤銅色しゃくどういろのツンツンの髪の毛で、鋭くつりあがった空色の目と、ほどよく日に焼けた肌の、健康優良児。制服の臙脂色えんじいろのケープの下は、本来の制服のベストではなく、子供用の革鎧を身につけている。

 学院の魔術学教室の生徒というより、王都の騎士学校の候補生のような見た目だ。


 この少年は、セーラがこの地下室に登院するようになってからできた、新しい友達だった。


「フラン、もう一時間目の授業終わったの? こんなところに来て大丈夫?」


 セーラが心配そうに言うと、フランは「ハン!」となぜかすごく偉そうに鼻で笑った。


「そんなの、俺は平気なんだよ!」

「ふふふ、そっか、そうだったね」


 そう言われてもセーラは心配だったが、フランは心配されるのを嫌がるので、セーラは少しがんばって笑顔を作った。


「そんなことより、今日はお前にいいもの持ってきたんだ」

「? いいもの?」


 小首をかしげるセーラに、フランはにっと笑って駆け寄ると、腰のベルトについたポーチから、小さな瓶を取り出して手渡した。


「ほら!」

「これ……」


 小瓶の中には土が入っていて、小さな小さな黄色い花が生えていた。まるで鉢植えの代わりに小瓶に花を植えたようだった。


「もしかして、ユーファの花?」


 フランはうれしそうに「おう」と答えた。


「どうして? どうやって手に入れたの?」


 驚くセーラに、フランは得意気に胸を張った。


「だってお前、ほしがってたろ?」

「え? うん、そうだけど……どうして知ってるの?」

「だってこの前、図鑑でその花のページ、ずっと見てたじゃねえか」

「う、うん、そうだけど、どうして……」


「だからどうしてそれを君が知ってるんだって、セーラは驚いてるんだよ。セーラがこの花を調べてたとき、君いなかったろ? この部屋には」


 すいーと宙を舞ってフランの鼻先に飛んできたサリエルが、からかうような声でそう言った。


「そっそれは……!」


「大方、あの天窓から覗いてたんだろう。学院長ネイサンの奴がいたから部屋に入れないで上でこそこそしてたんだ」

「こそこそって何だよ! 俺は別に……」


「ありがとう……」


 言い争って追いかけっこを始めようとしたサリエルとフランにはお構いなしに、花を見つめたまま、セーラが感極まった様子で言った。

 思わず立ち止まって、セーラを見つめるフランを、フンと鼻で笑って、サリエルはセーラの肩に飛んでいった。


「学院長先生に聞いたら、どんなに近くてもデュナミス大森林の入り口まで行かないと手に入らないって聞いたから、あきらめなきゃいけないのかなって思ってたの。お店に売ってる薬草ハーブじゃ高くて、おこづかいじゃ買えないし……」


 瞳を潤ませて花を見つめるセーラを見て、フランは安心したようにひとつ息をついた。


「ありがとう、フラン!」


 セーラが顔を上げてフランに微笑みかけると、フランは慌てた様子でそっぽをむいた。


「フ、フン! こんなの、散歩ついでだから、いいんだよ!」


 そう言うフランの耳は真っ赤で、そのことに気付いたサリエルは、フン、と大きく鼻息を吹いた。


「え、フラン、大森林までお散歩に行ってるの?! 暗くなる前に帰ってこれるの?」


「うっ」


 セーラが目をまん丸にして身を乗り出すと、フランはなにやら気まずそうに頬を引きつらせて、一歩下がった。


「いっ、いつもじゃねえよ。たまにだ! たまに!」


「すごいね、フラン。フランはパパやママと離れて寮で暮らしてるし、ほんとに、フランはすごいなあ。私、知ってるよ。フランがすごいのは、どうしてかと言うとね、すっごく勇気があるんだよね!」


「うっ……。ま、まあな……」


 目を輝かせるセーラと、なぜか目をそらすフランを見て、セーラの肩に乗ったサリエルは目を細めた。


 ――フランの奴、セーラのために相当無茶をして大森林まで行ったんだろう。まあ、花を手に入れて力尽きたか、野犬あたりにビビッて泣いてるところを、境界警備の連中に発見されて運ばれてきたとか、そんなオチだろうけどな。


 サリエルはそう思いながら、この呟きを声に出さないでやった自分をこっそり褒めた。


 オトナのタイオウだ。うん。


 自己満足に浸って昼寝でもしようかと思ったサリエルは、こうもり羽根に雷が走るような感覚を覚えて、顔をすばやく持ち上げた。


「? サリーちゃん、どうしたの?」


 自分の肩の上で跳ね起きたサリエルの気配に、セーラが気付くと、サリーはふわりと飛び上がって、天井をにらみつけた。


 ――この感じは……


「ね、ねえどうしたの? サリーちゃん」


「おい、ヘビ、なんだよ急に」


 不安げにこちらを見上げてくる二人に、振り向かずにサリエルは答えた。


学院長ネイサンがくる。誰かと一緒に」


「えっ?」

「やべえ! 戻らなきゃ!」


 フランが慌てて部屋を出ようとしたが、時既に遅し。

 塔の扉が開く音がゆっくりと響いた。

 続いて、さっきのフランよりもゆっくりで落ち着いた足音が、二人分、聞こえてくる。


 慌てるフランの横で、セーラは目を見開いて、真っ青な顔で固まっていた。


「セーラ、おい、だいじょぶか?」


 気付いたフランがセーラの顔を覗き込むが、セーラとは目が合わなかった。


「おい、ヘビ」


 いつもセーラを気遣うサリエルが、なぜか答えない。じっと天井をにらみつけて動かない。

 フランは、セーラはサリエルの言う「誰か」に会いたくないのだと、すぐに解った。

 自分だって学院長先生に見つかってお小言を食らうのはごめんだ。ほんの、ほんのほんの少しだが、大人ってやつは怖いこともある。だから、セーラが大人に会いたくない気持ちは、よくわかる。

 けれど、こんなに怯えたセーラは初めて見た。


「くそっ」


 フランは自分で考えられる、精一杯の答えを、必死で探した。

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