第一章 少女と隠者

図書室塔のセーラ

 タブリス王国、ラジェール領。

 王国の西のはずれにある、ラジェール公爵家が王より賜り治める地。

 豊かな海と、秘境とも言われるほどの大森林を抱える、穏やかな気候のこの領地は、魔術や神学に明るい領主が統治しているせいもあり、学術研究で有名だった。

 領内で最も大きな、ツァドキールという街には、領主の血縁が運営する、子供たちが魔術と神学を学ぶ、ツァドキール学院がある。

 街に住む子供たちはもちろん、親元を離れて寮に住んで通う子供たちも、国中からやってきていた。

 今朝も、学院に登院してきた子供たちのにぎやかな声が、朝陽に照らされた荘厳な石造りの学び舎に響いている。


 このツァドキール学院に、半年前に入学したセーラは、この街で生まれ育った七歳の少女だ。

 背中まで伸びた少し灰色がかった桃色の髪に、丸く大きな琥珀色の瞳。

 臙脂色えんじいろのワンピースにセーラーカラーがついた薄桃色のケープという学院初等科の制服姿で、天井にあるまぶしい天窓を見上げて、セーラはひとつ、小さなため息をついた。


「はぁ」


 子供たちのはしゃぐ声が響く教室棟から、遠く離れた、学院のはずれにある塔の地下に、セーラはいた。

 まもなく教室棟では授業がはじまるため、みなそれぞれが所属する学級の教室に入って自分の席に着く頃だろうが――セーラのいる地下室には、始業の鐘の音も、他の生徒たちの喧騒も、ほとんど聞こえてこない。


 入学してまもなく半年という頃、突然教室に入るのが怖くなり、学院の門のから前に進めなくなってしまったセーラには、教室から遠く離れたこの部屋は、学院内で唯一「いることができる場所」なのだ。


 この塔は、通称図書室塔。細長い五階建ての塔の中の部屋全てが本で埋め尽くされている図書倉庫だ。

 教室棟のある本館からは細長い渡り廊下一本で繋がっているが、その渡り廊下を歩く生徒はごく限られている。

 学院生たちが読みたがる物語や絵本、子供向けの図鑑などは、本館の小さな図書室にも置いてあるので、わざわざこの塔に来るのは、難しい調べものをしなくてはならない教員や上級生だけだ。


「どうした、セーラ。ため息なんかついてよう」


 声をかけられて、セーラはゆるりと顔を横に向けた。

 セーラの顔の真横にいた声の主は、ふわふわと浮かぶ、こうもり羽根の生えた、小さな若草色の蛇だった。


「サリーちゃん、おはよう」

「サリエルだ!」


 サリーちゃんと呼ばれたその蛇は、顔を真緑色にして、シャーっと牙をむいた。とはいえ、その口は小さなセーラの指先をようやくくわえられそうな程度しか開いてない。覗き見える牙も、かわいらしいものだ。


「うん、サリーちゃん。今日は、何をして過ごそうかなって、思って」


 セーラはにっこりと笑って、小首をかしげてそう言った。


「だからサリエルだって。むう。何をして過ごそうって、ネイサンの奴が出した課題とやらがあるだろ!」

「サリーちゃん。ネイサン先生、それか、学院長先生って呼ばなきゃだめなんだよ。私、知ってるよ。どうしてかと言うとね、学院長先生は、とっても立派な偉い人なんだよ。だから――」


 セーラは人差し指を立てて、サリエルに説教でもするかのように話し出した。


「はいはい、敬わなきゃいけないってんだろ。何回も聞いたよ、もう。それに、いいんだよ、俺は。あいつの相棒だからな」

「はいはい」

「お前、また嘘だと思ってるだろ! おい!」


 ぷんぷんしながら頭の上をくるくる飛び回るサリエルのことは放っておいて、セーラは「学院長先生からの課題」をこなすため、天窓の下に置かれた自習机に向かった。


 セーラの毎日は、いつもこうして始まるのだ。

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