三番目の魔王

三谷一葉

ある村娘の記憶

 魔王とは、世界を滅ぼす力を封じた器のことだ。

 英雄とは、《英雄の剣》を用いて魔王を倒す者のこと。

 そして魔王を倒した英雄は、次の世界を滅ぼす力を封じる器になる。

 魔王が身体の中に封じた力を抑えきれなくなった時、次の英雄が現れる。

 それがこの世界のルール。

 …………それを知っていたら、私は英雄になんかならなかった。



★★


 森の中で、とても美しい竜を見た。白銀の鱗はきらきらと輝いていて、若葉の色の瞳はまるで宝石のようだった。

 怖いとは思わなかった。その左足の付け根に深々と刺さった剣を見ても、こんな美しい竜になんて酷いことをするんだと怒ったくらいだった。

 私は迷わず剣を引っこ抜き、ありったけの薬草をかき集めて竜の怪我の手当てをした。竜の方は心底迷惑そうだった。

 来るな寄るな触るな去れ向こうに行けと騒ぐ竜の言葉を華麗に無視して、私は毎日竜の元へ通った。薬草だけでなく、食べ物も持参して。「これは竜でも食べられるかな?」がその時の私の口癖だった。

 竜の足に刺さっていた剣は、神聖教会の使者様に預けることにした。私に剣の善し悪しはわからないけれど、柄にいくつも宝石が埋め込まれた、いかにも高そうな剣だったからだ。あのまま森に放っておいて、他の動物が怪我したら大変だとも思っていた。

 竜の足の傷が塞がり、ゆっくりと歩くことができるようになった頃、私は神聖教会の使者様に呼び出された。

 使者様は大真面目な顔で言う。竜の足に刺さっていたのは魔王を倒すための《英雄の剣》で、剣を引き抜いた私は魔王を倒す英雄になるのだと。世界を平和に導くため、今すぐ聖都アスタロスタに旅立つ必要があるのだと。

 私は慌てた。だってあの剣は竜の足に刺さっていたのだ。何処かの遺跡に封印されていたものを引き抜いたわけじゃない。私の前に、《英雄の剣》を引き抜いた人がいるはずだった。

 私はそう主張したけれど、使者様は聞き入れて下さらなかった。お前の手元に《英雄の剣》があることが、お前の運命なのだと。

 剣なんて握ったこともない田舎の村娘だったのに、気が付いた時には世界を救う英雄になっていた。両親は歓喜の涙を流し、村はお祭り騒ぎになった。

 たくさんの人に祝福され、きっと世界を救ってねと手を握られて、生まれ育った村から出る。

 使者様の先導に従って聖都アスタロスタへの道を辿っていると、目の前に一人の青年が現れた。

 陽の光を反射してきらきらと輝く銀髪に、宝石のような緑色の瞳。

 彼が誰なのか、私はすぐにわかった。

「ねえ、竜って人間に変身できるの?」

「うるさい」


 それから、聖都アスタロスタで正義の神アスタ様の祝福を受けて、世界各地を巡って、人助けをして、仲間を作って、魔王の情報を集めて。

 最初に《英雄の剣》を抜いた人に偽物呼ばわりされて、掴み合いの喧嘩もした。彼女は英雄になりたくて、ずっと《英雄の剣》を探していたらしい。やっと見つけた剣を引き抜いて、さて力試しと竜に挑んでみたら、足に剣を生やした竜がそのまま何処かに飛び去ってしまった。

 私は英雄になりたかったわけじゃない。代わってくれるならそれはそれで構わない。

 でも、彼女が何の罪もない竜を傷つけたことは許せなかった。

 あの子を泣かす。一発殴って泣かせてやる。それまで嫌で仕方が無かった戦闘訓練を真面目にやるようになったのは、あの子の存在が大きい。

 最終的に謎の友情が生まれて、あの子も私の仲間になったけれど。


 そして、魔王の居場所を突き止めて。魔王を《英雄の剣》で倒して。

 私は世界のルールを知った。

 私は英雄として魔王を倒して、世界のルール通りに次の魔王になった。


 魔王になった後、私は皆の元から逃げ出した。

 なんでこうなったんだろう。

 どうしてこうなったんだろう。

 魔王さえ倒せば、世界は平和になるはずだった。

 私は生まれ故郷に戻って、皆に祝福されて、穏やかに暮らすはずだった。

 それなのに今は、人里離れた廃墟の中に潜り込んで、他人の視線に怯えて生きている。

 魔王になった時から、私は歳を取らなくなった。どんな怪我をしても、どんな病気をしても、死ななかった。魔王を殺すことができるのは《英雄の剣》だけだから。

 《英雄の剣》は、故郷の森の奥深くに置いてきた。次の英雄が現れるまで、私を殺せる人が現れるまで、決して抜かれることはない。

 随分長いこと、そんな暮らしをしていたような気がする。

 廃墟の庭に、白く輝く竜が降り立つまでは。

「なんで…………?」

「こっちの台詞だ。世界中探したぞ」


 彼には全て話した。この世界のルールと、今は私が魔王になってしまったこと。

 彼は世界のルールのことを呪いだと言った。俺がその呪いを解いてやるとも言った。

 時間だけならいくらでもあった。彼は人間の数十倍の寿命を持つ竜だし、私は歳を取らない魔王だ。

 ゆっくり時間を掛けて、いつか解決できれば良いと思っていた。



 何も出来ないまま百年経ち、世界はゆっくりと変わっていった。

 魔物が凶暴化し、村や街を襲うようになった。治安が乱れ、人々の口に「魔王」という言葉が上るようになった。

 私は何もしていない。だけど、私が魔王の力を抑えきれなくなっているから、こんなことになったんじゃないか。もしかしたら、もう限界が近いんじゃないか。

 そんな不安に押し潰されそうになっていた時に、ついに英雄が現れたという噂を耳にした。


 ある日、「ちょっと出てくる」と言って出掛けた彼は、その日の夕方に血塗れになって帰って来た。

 彼の手には、柄にいくつもの宝石が埋め込まれた、いかにも高そうな剣が握られている。

 《英雄の剣》。魔王を、私を殺すことができる剣。

 彼に駆け寄ろうとした足が、止まってしまった。彼に何か声を掛けないと、それよりも、早く手当てをしないといけないのに。

「大丈夫だ」

 彼の手から、《英雄の剣》が滑り落ちる。私は動けなかった。傷ついた彼がよろよろとこちらに近付いて、私に覆い被さるようにして倒れるまで、何もできなかった。

「大丈夫。大丈夫だ。俺が守る。だから、大丈夫」

 熱に浮かされたように、彼は掠れた声で何度もそう呟いた。



 だけど、じわじわと限界は近づいて来ていた。

 凶暴化した魔物達は、私達にも牙を剥いた。《英雄の剣》を取り返そうと、英雄は私達を追い回した。その間にも、魔物に襲われ復興できないまま滅びる村や街の数が増えていく。力のない小国が、魔物に飲み込まれて滅亡したらしいという噂を聞いた。

 早く魔王を倒せという民衆の声は、日に日に強くなっていった。

 もう無理だ。私ではもう限界なんだ。次に変わらなきゃいけない。

 《英雄の剣》を英雄のところへ持って行こうかと思った。そして私は魔王として倒されて、世界のルールを話して────でもそれは、英雄を次の魔王にすることと同じだった。

 本当にそれで良いのか。私だって、世界のルールを知っていたら、英雄になんかならなかった。引き返せないところまで来てそれを教えるなんて卑怯じゃないか。

 迷っている私に、彼は言った。

「俺がやる。次の魔王には、俺がなる」


 喧嘩をした。何度も何度も話し合った。それでも結論は変わらなくて、その後に、今までで一番穏やかな時間が流れた。


 魔物に飲み込まれて滅んだ村の教会で、私と彼は向かい合っていた。彼の手には、《英雄の剣》がある。

 その日は綺麗な満月だった。何処か異国の小説家は、「愛している」を「月が綺麗ですね」と訳したのだと言う。

 彼にそれを言ってみようか。どんな反応をするだろう。

「シェリー」

「ギル、目を閉じて」

 彼が目を閉じる。私は彼をじっと見つめて、深呼吸をした。

 剣は怖い。痛いのも苦しいのも怖い。

 だけど、愛しい彼の胸に飛び込むのなら、怖くない。

 地面を蹴って、私は彼の腕の中に飛び込んだ。剣の切っ先が私の中に吸い込まれて、背中を突き破ったのがわかった。

 怖くなかった。彼が、ちゃんと受け止めてくれたから。

「ごめんね、無理を言って」

「いや、良いんだ…………俺も、譲りたくなかったから」

「わたし、ね。魔王になって、良かったことがあるの」

 彼の腕の中で、魔王になって良かったことをひとつ見つけてた。得意になって、彼に報告する。

「魔王になったから、わたし、あなたと二百年も一緒にいられたの。幸せ。本当に幸せだった」

「…………シェリー」

「ギル、顔を見せて?」

 彼の目には涙が浮かんでいた。それでも笑おうとしてくれている。私のために。

「大好き。愛しているわ。誰よりも何よりもあなたが大切。大好きよ、ギルバート」

 笑った顔も、怒った顔も、泣き顔も、人間の時も竜の時も。彼の全てが好きだった。

 いつまでも見ていたいと思うのに、目を開けているはずなのに、もう彼の顔が見えない。

「ああ、シェリー…………俺もだよ」

 だけど、大丈夫だ。私には彼がいるから。彼がすぐ近くにいると、わかっているから。




 英雄として魔王を倒して、大好きな彼と二百年寄り添って、最期は愛しい彼に見守られながら、天に行く。

 私は、きっと、世界で一番幸せだ。

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