草原の国フォルシカの魔女

勇今砂英

魔女と狼

「嫌だ!絶対に嫌!」

ルシナは母親の手を勢いよく払いのけました。

「いい加減におし。あなたも明日からは大人の女。”しるし”が出た女は必ず額に彫りを入れるものなのよ。お母さんもおばあちゃんも、皆やってきた事なのよ。」

「絶対に嫌!だって痛そうだし。」

ルシナの住む村では古くから子を宿す準備ができた証として額に印の刺青いれずみを入れる風習がありました。それを見て男たちはその女の子をめとる候補として迎えるのです。


ルシナはしばらく母親と言い争った挙句、

「こんな村、出て行ってやる!」

と家を飛び出して行きました。

「待ちなさいルシナ!村の外は危ないわ!魔女の狼に喰い殺されてしまうわよ!」

そう母が止めに駆け出してもルシナは止まりません。ほどなくして村の囲いの外へと駆け出して行ってしまいました。


「誰か、ルシナを追って!連れ返して来てください!」

ルシナの母が叫ぶと、村の男たちが家から出て来ました。その中の一人、村の有力な家の青年のガンジュが、

「任せてください、ルシナは僕が必ず連れ戻ります。ただし、その暁には。」というと、

「わかってます。ルシナをあなたの妻に差し上げます。」と母が言いました。


「よし、追うぞ!」ガンジュは家来どもを連れて馬で村を駆け出しました。まだルシナが村から出て行ってそれほど時間は経っていません。

「ふふふ。ルシナに印が現れたら俺の物にしようと前々から狙っていたのだ。とても俺は運がいい。」ガンジュはすぐにでもルシナに追いつくつもりでしたが、途中で急に馬を止めました。

「おい、お前たちも待て!あれ、あのルシナと一緒にいるのは・・・魔女か!?」


ルシナが駆けて行った先には偶然そこを通りかかった魔女と呼ばれる女がいました。

「おばさん!助けて!私、大人になりたくない!まだ結婚もしたくないの!」

魔女は大きな狼を連れていました。

「あなた、私たちが怖くないの?狼に食われると言われて育ったでしょう?」

「怖い。怖いけど。でも、村にも帰りたくない!」

ルシナの言葉を聞いた魔女は少し笑った様に見えました。そして追手のガンジュたちの方を睨みつけ言いました。

「村の者ども、よく聞け!娘はこの魔女が貰った!近寄れば魔法でお前たちを焼き尽くすぞ!」

とても怖い顔でガンジュたちを睨みました。相手が親指ぐらいの大きさに見える距離にいてもその恐ろしさがよくわかりました。隣では大きな狼が同じく眼光を光らせ低い声で地響きの様な唸り声をあげています。


「お、お前たち、ルシナは見つからなかった。いいな!」

ガンジュは怖気付き家来を連れて退散して行きました。


「ありがとう、おばさん。」

「本当にいいのかい?もうあの村には戻れないよ。お母さんにも会えないわよ。」

「いいの。あんな村。」

ルシナは少し寂しそうに去っていく馬を見つめていました。


「付いてくるといい。」魔女が歩き出しました。すると

「娘、乗れ。」と狼が言いました。

狼が喋ったことにルシナはとても驚きました。

「あなた、喋れるの?」

「いいから、乗れ。」

ルシナは色々聞きたかってけれど、大人しく狼の言葉に甘えることにしました。


日が落ちる頃には、しるべ星の輝く方にある岩山に着きました。そこには魔女の家がありました。

「疲れたろう。すぐに夕食にしよう。」

そういうと魔女は台所に立ちました。

「ねえ、おばさんは何ていう名前なの?」

「私か、私はゾルダという。」

「この人は?」と狼を指すと

「俺はフェリュートだ。」と答えました。

「ゾルダとフェリュートは悪い人たちなの?」

「なぜそう思うんだい?」ゾルダが尋ねます。

「だって、魔女は怖いもんだって聞いたから。狼に食われるって聞いたから。さっきあなたたちもそう言ってたわ。」

「そうね。きっとそう言った方が都合が良かったのよ。村の人たちはね。」

「俺たちは、とある村を抜け出して来たんだ。」フェリュートが語り出しました。

「俺は貧しい家の生まれでな。それでも村で一番強い男になった。村の成人の儀式でも俺は臆することなく勇ましく牛を倒した。それで、俺は村長むらおさの娘だったゾルダに結婚を申し込んだんだ。」

「それで、どうなったの?それより、その、狼が人間と結婚できるの?」

「ああ。すまない。その頃は人間だったのさ。でも俺の家柄では村長の娘とは結婚させられないと言われた。」

「私たちは愛し合っていたの。だからね。」

「二人で駆け落ちしたのさ。」

「そうなんだ。すごいね。とってもすごい。」ルシナは嬉しそうに言いました。

「すごくなんかはないわよ。その時の二人はそうするしかなかったの。」

「でもな、そしたら、村の呪術師が俺に呪いをかけたんだ。」

「それで狼の姿に?」

「ああ。もう昔の話さ。」


「食事ができたわ。さあ食べましょう。」

テーブルには二人分の食事が、床にはフェリュートの分の食事が並べられました。

それはそれは美味しい料理で、ルシナはとても喜びました。でも、なぜだかわからないけれど、ルシナの目は涙でいっぱいになりました。

「これからどうしよう。」

「家に帰りたいの?」

「わからないわ。」

するとゾルダはとても優しい瞳でルシナに語りかけました。

「いい?あなたがどう生きるかは、あなた自身が決めていいのよ。でもね。それには相応の覚悟が必要なの。」

食事を終えたフェリュートはいつの間にか家の外に出ていました。

ゾルダはルシナの涙を拭ってあげながら続けました。

「しきたりや掟というものにはそれなりにその小さな場所で生きていく上での意味があるのよ。例えば男たちは自分が強いという事を示すことで村に役立つことを誇示しなくてはいけない。女たちは健康な子供が産めるということを示さなくてはならないと行った具合にね。」

「そして、それを守れない者は村の害になるとして迫害もする。そうやって自分たちの共同体を守ろうとしているのよ。」

「でもね。伝統として残った風習は全てがそのままで良いとは私は思わないわ。そのしきたりができた時には必要だった事かも知れないけれど、今、それが本当に意味があるのかなんて、ほとんどの人がわからないでただ暗黙のうちに守ってる。それでいいのかしら。」

「共同体で生きていくには決まりごとは必要よ。そうしないと誰も平和に暮らすことなんてできない。でもね。決まりごとだからって頭ごなしに何でも信じちゃ駄目よ。私たちは考える頭があるわ。その時代時代で本当にしきたりが正しいのか、皆で考えなきゃいけないのよ。」

「さっきも言ったけれど、あなたがどう生きるかは、あなたが決めていいの。それは例えば村に戻って今までの生活に戻っても、それはそれで構わないの。」

「でもね。これだけは覚えておいて。あなたは誰かが謂れのない迫害を受けている時に、何がいけないのか考えもしないでその人に石をぶつける様な人にだけはならないでね。それだけはお願いよ。」

ルシナはそのきらきらした瞳でゾルダの優しい瞳をずっと見つめていました。

「うん。約束するわ。」

「いい子ね。今日はもうおやすみなさい。疲れたでしょ。」

ゾルダはルシナを抱きかかえるとベッドに寝かしつけました。

「ねえ、ゾルダ。」

「なあに?」

「なんでゾルダはこんなに私に優しくしてくれたの?」

「うーん、そうね。それはきっと私の子供の頃に似てたからかしらね。」

「ゾルダ。今日は本当にありがとう。会ったばかりだけど、大好きだよ。」

「私もよ。」


翌朝ルシナが目覚めると、そこはルシナの村はずれの家のベッドでした。

「ルシナ!」そこに現れたのはルシナの母親でした。

「お母さん!」

「ルシナ!本当にあなたって子は・・・」母親はとても強くルシナを抱きしめました。

「お母さん、ごめんね。ごめん。」

「いいのよ。いいの。」ルシナの母はルシナが聞いたことが無いくらい大きな声で泣いていました。



「おばあちゃん、その話本当?」

マルクはいぶかしげに祖母を見つめながら言いました。

「狼が喋ったの?」

「そうよ。」祖母はとてもやさしく笑いました。

「でも魔女って言ってもなにも魔法使わなかったんでしょ。」

「それはそうね。魔法なんて使えなかったのかもね。」

「じゃあ魔女じゃないじゃん。」

「そうね。」祖母はにこにこ答えました。

「それで、ガンジュと結婚したの?」

「まさか。まっぴらごめんよ。おじいちゃんはもっと素敵な人だったわ。」

「でも、本当に昔はそんなしきたりがあったの?」

「おばあちゃんの頃にはね。」そう言いながら祖母は額を指さします。

「これがその証拠。でもね。おばあちゃん、魔女の言葉を聞いたから、とってもとっても頑張ったのよ。皆で考えようって。」

「それでどうなったの?」

「おばあちゃんは外国に勉強しに行って、帰って来てから村で選挙をしてね、村長そんちょうになったのよ。」

「えー本当?すごいなぁ。」

「マルク、よく聞きなさい。」祖母はやさしくマルクに語りかけます。


「あなたがどう生きるかは、あなたが決めていいのよ。」

マルクはとてもきらきらした瞳で祖母を見つめていました。


三日月が美しく浮かぶ夜。

草原の国では、今夜も北の果ての岩山の方から、狼の遠吠えがこだましていました。

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草原の国フォルシカの魔女 勇今砂英 @Imperi

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