《KAC5》完全勝利をしてはならない

一十 一人

『完全勝利をしてはならない』

「スポーツのルールでわからないことがある?」


 ははあ、なるほどアレか、と僕は居織いおりにそう言われて即座にピンと来た。


 居織が聞きたいのは『スポーツ よくわからないルール』なんてネット検索にかければ一番上に出てくる奴だろう。

 スポーツにおける分かりにくいルールと言えば誰でも三番目までには挙げられる奴のことだ。


 即ち、サッカーのオフサイドについてである。


「いいかい? 居織ちゃん。確かにオフサイドは少しややこしい――」


「は? おいおい、お兄。お前何言ってんだ?」


「……え?」


 僕が自信満々でこいつが引くくらい詳細に説明してやろうと思ったのに、この妹は僕の話の腰を簡単に折りやがった。


「え……だってお前今日の体育でしたスポーツでよく分からないルールがあったって言ったじゃねーか」


「確かにそうは言ったが、私が今日ボールとトモダチになって来たよ! って言ったか?」


「言って……無いけど」


「はあ……お兄って案外そういうところがあるよな、視野狭窄って言うか決め打ち主義ってかさ――私がオフサイドについてなんか聞くかよ」


 僕は居織に呆れたようにやれやれってされてしまった。

 居織如きにやれやれってされた!


 なんだこれすげームカつく!


「はーん、じゃあ偉大なる兄に向かってそんな偉そうなこと言う居織ちゃんはオフサイドのルール勿論知ってるんだよな? そりゃもう僕だってオフサイドに一家言持っているけれど、そんな僕も驚かせられるような」


「いや、これっぽっちもルール知らねえけど」


「あ? じゃあ――」


「いや、それは別にいいんだよ、オフサイドについては何にも知らないけど大体分かるから」


 僕が意気揚々と馬鹿にしてやろうと思ったら妹が何かよく分からないことを言い出した。

 つくづく人の話を遮るのが好きな奴ではあるが、


「理解出来ないけど分かりはする、ね。そんな言い回しが許されるのは十四歳だけなんだぜ」


「私は十四歳だ――けどなそれこそオフサイドは理解は出来ないけど分かりはすんだよ。成り立ちとかさ」


 ほんの少し嫌味を込めた僕の言葉だったが、居織はそれに気付いてか気付かずか呆気からんとそう言った。


 オフサイドのなんたるかなんて知らない奴が成り立ちについて知っているはずもないと思うのだが、まあ僕みたいに誰かに知識をひけらかす為に調べたことがあるだけと言うなのかもしれない。


「ふーん、じゃあ言ってみろよ。その成り立ちって奴を」


「ああ、多分昔性格悪い奴が今で言うオフサイドのせいで負けたから大きな声で施行を主張したからだろ?」


「違――」


 いや、違わないかもしれないけど!


「多分みんながオフサイド廃止論唱えたからだろ 」


「は? みんなの声に乗っかる奴らなんてどっち道性格悪いだろ」


「お、おう……」


 思わず、その言い切りの良さに気圧されてしまった。

 全く、恐ろしいこと言う妹だ。この切れ味を欲しいとは思わないが、尊敬はする。


 そんな僕の敬意を急激に集めた妹は、


「それは分かるんだよ、ルールってのは性格が悪い奴が作るものなんだから。なんかのルールを作るのは偉い奴なんだから、偉い奴は性格悪いだろ?」


 なんて平気な顔で言ってのけた。


 うん、やっぱ尊敬しねーわ。

 こいつやばい奴だとは思ってたけどこんな頭おかしいこと言う奴だっけ。


「まあお前のその持論は置いておいても、じゃあ結局お前は何が分からなかったんだよ」


「何って、卓球に決まってんだろ?」


 何も決まってないのに居織は馬鹿を見るような目でそう言った。



 『お兄、体育の勉強教えて!』なんて僕の妹、認留居織が僕の腰の上に跨ってこんなトチ狂ったことを言い出したのかは五分前に遡る。


 五分程前、まったりとソファの上で仰向けに寝転がりスマホを弄っていた僕の元にいきなり僕の妹、居織が飛び込んできたのだ。


 中学生の居織は帰宅したばかりだろうに靴も放り出すように脱ぎながら、いの一番に僕の胸元に飛び込んできたのだ――と言えば可愛らしい絵面が思い浮かぶかもしれないが。


 現実はまさかの十四歳にもなってフライングニードロップである。


『けほっ……て、てめえ! なんて事しやがる!』

『あん? うるせえな殴るぞ』


 僕としてはその時当然の反応をし、当然の主張をしたのだが、しかし横暴にも居織は僕に痛烈な一撃を喰らわせたばかりなのにら殴るぞなんて宣う始末。


 そこで僕は遅まきながら居織の機嫌があまり良くないと言うことに気づいた。


 それで『なあ、お兄。お前私になんか言うことないのか?』である。


 え、僕こいつになんかしたっけと僕が即座に戦々恐々としたのも無理はなかった――それで、冒頭に戻る訳である。


 僕が彼女に聞くべきことは『元気なさそうだけど何かあったの?』だったそうだ。


 そうして一言一句間違えず彼女にそう聞くと、「スポーツのルールでわからないことがある」と。


 彼女が不機嫌なのはそれが理由だったのだ。


 勿論、彼女はオフサイドが分からないから凶暴化していた訳ではない。


 居織が分からなかったのは卓球のルール、というより暗黙の了解と呼べるようなものである。


 『スコアが10-0になった時勝ってる側が1点を相手に与える』

 即ち、『完全勝利をしてはならない』というルールだ。


 別段卓球に詳しいわけではない僕でも知っているたまに聞く奴だ――そして居織にはそれがどうしても分からなかったのだ。


 今日の体育の卓球の時間、居織は不運にも卓球部のエースと試合することになったそうだ。

 卓球初心者である居織は(それでも幾分かは手を抜いてくれていたのだろうが)そのエース相手に手も足も出ずに負けてしまった。


 それ自体も彼女にとって腹立たしいことではあったが、しかし居織はそれで僕に八つ当たりするほど人間の出来損ないではない。


 それだけならば居織でも我慢できる――が、


「柏木の野郎後一点で勝てるって時にわざとミスしやがったんだよ!」


 居織が憤ってるのは完敗したことではなく、完敗させてもらえなかったことなのだ。


 スコアが10-0になった時、卓球部のエース柏木さんはわざとミスをし居織に1点を献上したらしい。


 それはただの暗黙の了解で、卓球が日常にあるその柏木さんとやらにとっては、それは当然の所作だったのかもしれない。

 むしろ何か理由があったからしたのではなく、そういうものだからした、というだけの話なんだろう。


 しかし、居織にはそれが許せなかった。


「だってそうだろ? 手抜き以外の何物でもないじゃねーか!」


「手抜き、というか様式美って奴だろ?」


「それが美しさなら卓球は八百長に気高さを見出してるスポーツってことかよ? その一点を与えたことでリズムが崩れて奇跡の十三連続得点が始まる可能性だってあるんだぜ?」


 怒りが再び湧き上がってきたのか居織は烈火の如く怒り出す。


 ……まあ、居織の言うことにも一理あるとは思う。

 真剣味に欠けるというか、人によっては手抜きと受け取ってもおかしくないかもしれない。


 けれど、それは剣道でガッツポーズしちゃいけないとか、唾を吐いたらレッドカードが出るとか、そういう類の話だろう。


「…………」


 僕は少し黙り込んだ。

 そして考える。


 スポーツにおいては必ずしも正々堂々とすることが勝利に繋がらないし、ルールを遵守した方が勝つわけでもない。

 それでも、ただ勝つだけではなくそれこそスポーツマンシップのような物を守りながら勝つ姿勢を僕は美しいと思うし、それでこその完全勝利だと思う。


 そして、それは断じて手抜きではない。


 それを愚かな妹に説くのは簡単だ、完膚なきまでに、不必要なまでの言葉の暴力で蹂躙するのは僕ならば容易にできる――が。


「……? なんだよお兄」


 僕が居織の顔をじっと見つめると、不思議そうな眼差しが返ってきた。


「いや、何にも――そう言えば僕もそう思うぜ、完全燃焼を標語にしている僕には不可解極まりないね」


「おお、お兄がそんな熱い奴とは知らなかったけどやっぱりそう思うか! なら――」


「けれど」


「――なんだよ?」


 今度は僕が居織のお株を奪う話の腰折だ。

 僕と違って今にも人を殺しそうなほどに眉を不機嫌に歪めているけど気にしない気にしない。


「けれど、僕も卓球に詳しくないからそんな暗黙の了解が何故あるのかは知らねーし気に食わねーけど、話を聞く限りでは、お前はそんなルールにイラついてるんじゃないんだろう?」


「あん? 人の話をちゃんと聞けよ、私は暗黙の了解とやらで手を抜かれたから怒ってるんだ!」


「自分の話をちゃんと考えてから喋れよ。お前は暗黙の了解なんかじゃなく手を抜かれて怒ってるんだろ?」


「……? ……! 確かに!」


 相変わらず頭の弱い妹である。


「じゃあ話は簡単だ。お前が怒るべきは暗黙の了解に対してでも、ましてや一点をくれた相手に対してでもない。相手にそんな真似をさせてしまったお前自身だ」


「そうか! 私が怒りに打ち震えるべきなのは不甲斐ない私自身だったのか!」


「ああ、じゃあ何をすればいいかもう分かるな?」


「勿論だぜ! 私は今度は実力で柏木に勝つ! そして自分に克つ!」


 そういうと居織は『こうしちゃいられない!』とばかりに僕の上から飛び降りて何処かへと飛び去っていった。


 何処かで卓球の練習でもするんだろうが――アテがなくて一時間もすれば返ってくることだろう。あいつ馬鹿だし。


 『完全勝利をしてはならない』


 もしかするとこの暗黙の了解を作ったやつも居織の言う通り性格の悪い奴なのかもしれない。


 性格が悪いと言っても自己中心的なではなく打算的、少なくともこれで一週間くらいはこの卓球という競技にのめり込む美少女を一人確保したのだから。


 まあ僕だってこの暗黙の了解に則って居織を立ててやったのだから、偉そうなことは言えないけれど。


 兄というものもまた可愛い妹に完全勝利してはならないのだ。


 一点くれてやるくらいがちょうどいい。

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