白線を引く

私誰 待文

白線を引く

 「信号が青になりました。右見て、左見て、もう一度右を見て。手を挙げてわたりましょう!」

 園児たちは付き添いの教諭の言葉を聞いたあと、きちんと安全確認をし、それぞれ手を挙げて横断歩道を渡る。帽子の黄色が眩しいばかりだった。

 青年は、その園児たちの姿をビル壁にもたれかかりながら、遠巻きに眺めていた。

 園児たちが横断歩道を無事渡りきったところで、青年もその場を立ち去ろうと動きだしたその時。


 「お前、國枝くにえだシンゴ、だな?」


 と、遠くから一人の男が声をかける。

 声のするほうへ青年――國枝シンゴは目を向けた。

 「そうだが、何の用だ?」

 「そうか……。……やく……ようやく……」

 「?」

 「ようやく見つけたぞぉぉ!」

 男は閑静な住宅地で一人、獣のように吠えだした。

 急に咆哮を放った男の姿に、シンゴは見覚えがあった。

 この男は、以前シンゴが裁判官を務めていた刑事裁判の被告人の一人である。名前は増沢ますざわといった。四件の強盗致傷罪、並びに殺人罪を犯し、判決は無期懲役刑を下された。二度の再審を要求するも判決は覆らなかった。シンゴは当時、目の前で獣のように吠え、判決の無慈悲さを罵る増沢の顔が目に焼き付いていた。

 「お前、俺の事件の裁判官の一人だったよなぁ?」

 「過去の話だ」

 「なんで俺を有罪にしたぁ!」

 「使用した凶器の複数発見、事故現場の目撃証言が多数、並びに事件当日のお前のアリバイが立証できなかった。正直、お前を担当した弁護士が気の毒なほど、有罪は確定的だったぞ」

 「ふざけんな! どいつもこいつも同じようなこと言いやがって!」

 増沢は肩を震わせながら叫ぶ。彼の目は正気を失っており、呼吸は荒く、感覚が短くなっている。その姿はさながら獣そのものだった。

 「だが、それも今日までだぁ……」

 そう呟いた瞬間、増沢の体の周囲が陽炎のように揺らめきだした。そして、増沢の全身はみるみるうちに温度を上げていく。

 「お前も消し炭にしてやるよぉぉ!」

 そう叫ぶと、増沢は全身から橙色の炎を噴き上げ始めた。彼の怒りに同調するように、彼から発生する炎はどんどん勢いを増してゆく。

 シンゴは増沢が炎をまといだすと、一瞬動揺してしまう。しかし、すぐに気を立て直し、臨戦態勢をとる。

 「お前、『法外アウトロー』になったのか……」

 「俺ハ悪魔ト契約シ手ニ入レタコノ炎デ、復讐ヲスルンダヨォォ!」

――この世界では稀に、〈悪魔〉と呼ばれる謎の存在と契約し、人知を超えた力を手にするものがいる。彼らはその超常的な能力を使い、完全犯罪や私欲を満たしていた。彼らの悪行はもはや司法の及ぶところでは無くなり、いつしか彼らは法の外に存在するもの、すなわち『法外アウトロー』と呼ばれるようになった。

 「……だが、そっちのほうが好都合だな」

――そして、この世界での國枝シンゴの使命は、法では裁けない『法外』を自らの手で裁くことである。

 「当時、俺ノ弁護ヲデキナカッタ無能弁護士! 俺ヲ馬鹿ニシタ検察ノ奴ラ! 偉ソウニ俺ヲ裁キヤガッタ裁判長! アイツラハ全員焼キ殺シテヤッタ! 次ハオ前モ含ンダ裁判官ノ番ダァ!」

 地獄から来た修羅のように、増沢は燃えながら怒鳴り散らした。辺りは熱気に包まれる。


 「全ては正当な法の下で起きたことだ。それを不当だと足搔くなら、今度は俺がお前を裁いてやる!」

 シンゴはそう啖呵を切ると、増沢に向かい人差し指を指す。そしてシンゴが指を横に勢いよくはらうと、何もない空間から幅十センチの白線が現れた。

 そのまま、シンゴは白線をリボンのように翻らせ、増沢に向かって振りぬいた。白線は生き物のようにうなり、増沢の体を捕縛する。

 「!? オ前、マサカ」

 増沢の体を締め付けると、そのままシンゴは白線を逆手につかみ、ギリギリと増沢の体を締め上げる。増沢は燃えながら白線に圧迫される。

 「ンンン、ナメンナァァ!」

 増沢はそう猛り、体の炎をより強くした。彼の炎は白線ごと勢いよく火力を増してゆく。

 増沢は文字通り燃えるような瞳でシンゴをぎろりと睨みつけた。すると、彼の炎は導火線のように白線をつたい、即座にシンゴの手元にまで燃え広がった。

 シンゴは白線から急いで手を放す。白線は彼の手を離れると白煙のようにばらけて消えた。

 「見た目に反して技巧派らしいな」

 手に移った火を消し、シンゴは体制を整える。

 シンゴは次に、縦と横に数本の白線を召喚し、網目状にする。即興のネットを形成したシンゴは、その網を増沢の上に思いきり投げつけた。

 ネットは増沢に覆いかぶさるように捕らえ、増沢はまたしても身動きを抑制される。

 「グウ、テメェ……!」

 「抵抗するな。その白線は見た目に反して頑丈だ。ただ燃えてるだけの人間じゃ壊せないぞ」

 増沢が捕縛されている間に、シンゴは白線を複数召喚する。今度は白線を複雑に組み合わせ、即席の剣を作成した。この剣は、白線の即興性と頑丈さを生かした武器の一つであり、シンゴが最も扱いを得意としている武器である。

 シンゴは剣を構え、ゆっくりと増沢に近づく。増沢は網に対し苦戦を強いられている。

 「とどめだ」

 シンゴが剣を振り上げると、増沢は燃えながらシンゴを睨みつけると。

 「カカッタナァ?」

 ニヤリと顔を歪ませ、増沢はさらに火力を上げる。すると、彼を捕らえていたネットも燃える。そして増沢は白線を掴むと、そのまま力任せに引き破りだした。

 シンゴは不意を突かれ、剣を掲げたまま一瞬固まってしまう。増沢はその隙を逃さず、ネットを破くとすぐさまシンゴの懐へ駆け、その勢いのままボディーブローをシンゴに打ちこんだ。

 「ぐっ、ごはっ……!」

 シンゴは致命的な一発をくらい、アスファルト道路に吹き飛ばされる。腹部が燃え、口からは二、三滴の血を吐く。

 「マンマト騙サレヤガッタ」

 増沢が火炎をまとい向かってくる。その体はもはや元人間だとは判別できないほどに燃え盛り、人型の化け物の様相を呈していた。

 「俺、技巧派ダロォ?」

 そのまま歩みを休めず、増沢はシンゴに向かっていく。彼を囲む炎は、橙色から黄色へと揺らめきながら変化してゆく。

 シンゴは俯せのまま、無作為に数十本の白線を引き、目の前に即席のバリケードを作る。

 「燃焼効率を上げ、肉体の限界値を超えているのか……」

 そのままふらつきながら身を立て直そうとする。しかし、その猶予もなくバリケードは燃やされ、無残にも増沢に壊される。

 「逃ガスカヨォ!」

 増沢は勢いをつけ、燃え上がる右脚で倒れているシンゴを思い切り蹴り飛ばす。

 「ぐっ!」

 蹴られた脇腹から生血を出しながら、シンゴは数十メートルほど吹っ飛ばされる。

 「このままじゃまずい……」

 これ以上周辺に被害を及ぼさないために、シンゴは横腹から血を流しながら、人気のいない路地裏へと身を引いた。


     ~     ~     ~     ~     ~


 「飛バシスギタカァ?」

 シンゴを有り余る力で蹴り飛ばした増沢は、確実に殺すため、シンゴを追っていた。

 「マサカ、アイツモ悪魔ト契約シテタトハナァ」

 体中を黄金の炎にまといながら、増沢はシンゴが飛んだ方向へ駆ける。

 「デモ、契約シテ手ニ入レタ能力ガ、『白線を引く』ダナンテナァ。ショボスギテ笑ッチマウゼェ!」

 増沢が悠々と独りごちていると、シンゴが飛ばされた位置周辺へ到着した。

 辺りは増沢がシンゴを見つけた場所よりも人気は無く、車通りも少なかった。

 そして、増沢はアスファルト道の上に不自然な血痕が見つけてくれと言わんばかりに奥の路地へと延びているのを発見する。その道路は車一台分の幅しかないアスファルト道路であり、血液の道標はその道路にも続いていた。

 「詰メガ甘イナァ、オォイ」

 増沢はニヤリと口角を上げるが、その表情は黄金に発火する外見からは見て取れない。増沢は勝利を確信し、路地裏へ歩き始めた。


     ~     ~     ~     ~     ~


 路地を進むと、白線が蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。増沢は、それらをいとも簡単に破壊してゆく。

 最後の白線を壊すと、広い十字路が現れた。そして、十字路に来た増沢の向かい側に、脇腹が血塗れになったシンゴが、塀にもたれていた。

 「ヨォ、元気カ?」

 増沢が火力を増し、シンゴへと向かおうとする。

 しかし、増沢はふと違和感を覚え歩行を止める。

 というのも、シンゴの指先が地面に触れており、そこから白線が十字路の中心の地面に引かれていたからだ。白線は数本あり、それらが等間隔で引かれていた。

 「ナンダァ? コレ」

 「横断……歩道だ。見れば……はぁっ、分かるだろう」

 シンゴは肩で息をしながら返答する。

 「クッ、アッハハハハ! 傑作ダコリャ!」

 増沢は最大級の侮蔑を含んだ高笑いをした。炎が不気味に揺れ動く。

 「『白線を引く』ナンテ雑魚能力デ必死ニ足搔イテ、死ヌ前ニスルコトガ、道路ニ横断歩道ヲ作ル! アーオッモシロォ!」

 増沢はひとしきり笑い終えると、改めて体を加熱させる。

 「気ニ入ッタ。特別ニ遺言ヲ言ワセテヤルヨ」

 増沢が燃え盛る。シンゴはじっと相手を見据えて一言。


 「安全確認をしっかりするんだな……」

 「ツマンネ。死ネヤ」

 増沢は全身を黄金の炎で輝かす。力を漲らせ、シンゴへ一直線に駆けだした。

 殺意を持った炎の人型は、確かにシンゴの姿を捉え向かって行く。そして増沢の体は、横断歩道に差し掛かった。その時。

 「忠告はしたぞ」

 シンゴが呟く。

――すると突然、今まで一台も車が通っていなかった十字路に四トントラックが勢いよく出現した。

 「ナッ!?」

 増沢が一瞬気を取られる。そしてその一瞬、トラックは時速90キロの速さで増沢の体を轢き飛ばし、そのまま消滅した。


 「何ダ、今ノ……」

 シンゴはよろめきながら立ち上がる。

 「〈横断歩道は安全確認をして渡る〉。そんな当たり前の交通ルールを守れないなら、そんな仕打ちも妥当だな」

 増沢は燃えながらシンゴを睨む。

 「俺の力は『白線を引く』だけだが、「白線に関する事象」も能力のうちだということだ。知っておくんだな」

 シンゴがそう言い終わらぬうちに、増沢の体は燃え尽きてしまった。

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