第3話 唇の色、隈の色

 約束の朝、いつもよりも粧し込む自分のことは何故か苦手ではなかった。

 紅を差す手つきも迷いなく、血の気を得た顔にも満足する。決して綺麗とは言えない素顔をこの時ばかりはほんの少しだけ直視できる気がした。


 僕も納得する。

 化粧をするのは僕が女だからではなく、僕が僕を化かしたくてしているのだと不思議と言い切れた。

 どうかどうか、彼に見合う相手になれますように。

 そんな願いを鏡越しの自分に唱えながら。


「…………目、腫れてる」


 今夜の夢を見たくて目を閉じた昨夜、やはりなかなか寝付くことはできずに朝が来た。酷い顔。瞼がぼてりと重い。


 いつもの方がまだ良い。なのにこれからいつも以上の自分になろうとする。背伸びもいいところ。でも無理をするのは何も外見だけではない。

 醜い本音を隠して繕う。


「暗ければバレない、きっと」


 彼と会うのはいつも夜だ。何かの予定と抱き合わせで、数時間だけの逢瀬。そのまま夜ごとくれたのは__


「……あぁ!もう!」


 歪な固形の粉を床に投げつけそうになる。ファンデーションなら隠してよ、汚いところ全部。嘘も全部。見えなくなるまで塗りたくっても不安になる。


 せめて昼間は自分のために使おうと決めていた。流行りの映画でも観て、大丈夫、きっとハッピーエンド。

 それすらもう諦めてしまいそう。このまま眠れなかった夜の分を奪い戻すのも悪くない。



 唇を手の甲で拭った。生きた何かを噛みちぎったように口元が真っ赤に染まった。なんだ、こうした方が美しい。


 ベッドに飛び込む。目を閉じる。彼を思い浮かべる。たったそれだけで体の真ん中が痛くなる。

 僕は彼が好きで、僕がもし彼だったら彼と付き合えたかな。せめて私が代わりに付き合えたらいいのに。そうすれば僕が傷つくだけで済んだのに。このままでは私も僕も報われない。

 分かっているのに。



 なんて怖がっていたことも、彼に会った瞬間に忘れてしまう。キスのひとつで忘れてしまう。




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彩ふ夢の僕と愛 花散里 @chirusato

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