逆ルール

沢田和早

逆ルール

 気が付いたら目の前は真っ白だった。俺は立ち上がった。いきなり老人の声が聞こえてきた。


「目が覚めたか。おまえは死んだ」

「俺が、死んだ?」


 ぼんやりした頭で記憶をたどる。

 ああ、そうだった。盗んだバイクで爆走していたんだったな。

 最後に覚えているのはやかましいクラクションとタンクローリーの運ちゃんの引きつった顔。つまり正面衝突して死んだってことか。納得だ。


「で、ここは地獄か。それとも天国か」

「どちらもでない。そしてどちらにも行けない。おまえはまだ若いから異世界へ転移させてやる」

「異世界転移! ヤッタね!」


 ラノベやアニメでお馴染みの異世界か。剣と魔法のファンタジーも悪くないじゃないか。やっぱり怖がらずに一度は死んでみるものだな。


「早合点するな。ヤッタねと素直に喜べるような世界ではないぞ。おまえは幼少の頃より世の中のルールに逆らって生きてきた。幼稚園ではおやつの横取り。小学校ではスカートめくり。中学校では遅刻、ずる休み。高校では万引、恐喝、無免許運転、その挙句がこのざまだ。そんなおまえに相応ふさわしい異世界へ飛ばしてやる」

「おい、待てよ。そんな異世界なら俺は行きたくな……」

「さらばだ!」


 俺が言い切る前に決別の声が聞こえた。白い世界は闇に包まれ俺はまた気を失った。



 気が付いたら俺は街の通りに立っていた。

 初めて見る光景だが珍しくもなんとない。道路、歩道、信号、コンビニ、銀行、ファストフード店。ありふれた都会の市街地が俺の前に広がっている。


「なんだよ、これが異世界なのかよ。転移じゃなくて単に元の世界に生き返っただけなんじゃないのか」


 がっかりだ。

 ムシャクシャしてきた俺はコンビニに入った。ポケットに手を突っ込む。財布らしきものはない。まあ、あったとしても金を払うつもりはないけどな。

 数人の客がレジに並んでいる。この混雑の中なら手早く盗めばバレないだろう。缶コーヒーとパンをポケットにねじ込み、そのまま店を出ようとした。と、


「お客さん」


 店員が声を掛けてきた。やはりこの世界でも万引はルール違反か。


「なんだよ」

「お万引、ありがとうございました」


 店員が頭を下げる。


「はあ?」


 呆気に取られているとレジに並んでいた客に異変が起きた。金を払わずそのまま店を出て行くのだ。店員は彼らにも「お万引、ありがとうございました」と頭を下げている。


「なんだよ、あの店員。頭がおかしいんじゃないのか」


 俺は店を出た。パンを食べながら通りを歩く。何もかも見たことのある風景だ。自動車は左側を走り、人も車も赤信号で止まっている。


「やっぱりこれまでと同じ世界だ。違うのはあの店員だけなのか」


 とつぶやいた瞬間、風景が一変した。自動車は道の右側を走り始め、交差点に差しかかった車は青になるまで止まらないのだ。


「これは……」


 ようやく俺は悟った。俺がルールを意識した瞬間、ルールは反転して逆になるのだ。

 万引を違法だと意識した瞬間、万引は合法になり、交通規則を意識した瞬間、それまでとは逆の規則になる。それがこの異世界のルールなのだ。


「あのジジイ、よくもこんな奇妙奇天烈な世界へ転移させてくれたな。今度会ったら一発ぶん殴ってやる」


 そうつぶやいた瞬間、通行人の姿が一変した。みんな殴り合い始めたのだ。


「しまった。人を殴るのはルール違反。それを意識したためにルールが反転し合法化されてしまったのか」


 見知らぬ男が俺に殴りかかってきた。ひょろひょろパンチを難なくかわすと、ひ弱な男は転んでしまった。


「ボ、ボクを殴ってください」

「な、何を言ってんだ、おまえ」

「殴らないのはルールに違反しますよ。おまわりさんに捕まりたくないでしょう。さあ、殴ってください。非暴行罪で逮捕されないように、さあ早く」


 男は地面に這いつくばったまま俺のズボンの裾を引っ張る。とても正気とは思えない。


「知るかよ、放せ」


 男を振り解いて俺は走った。グズグズしているとさっきの男みたいに殴られたり、殴るのを懇願されたりしかねない。とにかく人のいない場所でこれからどうするか考えよう。俺は互いに殴り合う人々を尻目に通りを走り続けた。


 前方に川が見えてきた。大きな川だ。人影はない。

 俺は河川敷へ下りるとポケットから缶コーヒーを取り出して一気に飲んだ。


「くそ。なんて生きにくい世界だ。俺の気分一つで全てのルールが変わるなんてどうかしてるぜ」


 俺は川を眺めた。ゆったりとした流れが俺の心を癒してくれる。人間関係に疲れたら自然に触れるのが一番だな。この流れの先には海があるのか。行ってみるか。


「えっ!」


 突然、川が逆流し始めた。水は高い場所から低い場所へ流れる、そのルールを意識したために反転してしまったのだ。


「馬鹿な。社会のルールだけでなく自然界のルールまで変わってしまうと言うのか」


 俺はスマホの電源を入れた。三月のカレンダーは三十一日から始まって一日で終わっている。月曜日の次は日曜日だ。時計をアナログ表示にすると秒針は左回りに動いている。


「もしかしたら再度の反転も可能なんじゃないのか」


 俺は現在のルールを意識した。時計は左回り、月曜の次は日曜、月末は一日。さあ、反転してしまったルールよ、もう一度反転しろ。元のルールに戻るんだ。


「駄目か」


 カレンダーも時計も変わらなかった。一度反転したルールは再度反転しない、それがこの世界のルールのようだ。


「ルールを意識するんじゃない。全てが逆になってしまうぞ」


 落ち着け、落ち着け俺。大丈夫だ。時の流れ方が逆になってもその速さは不変のはず。俺にはたくさんの時間が残されている。焦らず落ち着いて考えよう……


「はっ!」


 河川敷にできている俺の影が動いている。とんでもなく速い動きだ。俺は空を見上げた。驚いた。太陽が西から東へ動いている。動いているのがわかるくらい速く動いている。時の流れ方は不変、そのルールを意識したために不変ではなくなったのだ。しかしどうして速くなったんだ。遅くなってもいいはずなのに。


「これは……縮んでいる。俺の体が若返っている」


 手が足が縮んでいく。俺は子供に戻っていく。人間は年老いていくというルールが反転したのだ。なんてこった。ルールの反転法則は成長過程までも逆行させてしまうのか。

 ああ、縮んでいく。小学生だ、幼稚園児だ、赤ちゃんだ。俺はどこまで逆行するのだ。いずれにしても死は免れないだろう。どんな生物にも死は訪れる。それが命あるもののルール……


「しまった!」


 俺は自分が不死になったのを感じた。生物は必ず死ぬというルールを意識したために、それが逆になってしまったのだ。と同時に俺の若返りが突然停止した。受精して四週目辺りだろうか。目や脳が発生し始めた受精卵の状態で、俺の時の逆行は止まってしまったのだ。


「冗談じゃないぜ。今の俺は不死なんだぞ。こんな状態で永遠の時を彷徨さまよわなくちゃいけないのかよ。おーい、誰か助けてくれー」


 そう叫んだつもりだったが声は出なかった。まだ口も舌も発生していないからだ。

 風が吹いた。直径数ミリに過ぎない受精卵の俺は吹き飛ばされて川に落ちると、誰に気付かれることもなく上流へと流されていった。

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