自分ルールではセーフ
たれねこ
自分ルールではセーフ
人にはそれぞれ自分ルールというものを持っている。
例えば、『食べ物を床に落としても三秒以内ならセーフ』、『白線の上だけを歩いて家に帰れたらいいことがある』などだ。
他にも、自分だけのこだわりやジンクスなんかもそれに近いのかもしれない。『靴や靴下は左から履く』、『昨日この道を通ったらいいことがあったから今日も通ってみよう』とかそういうもの。
他にも細かいことを上げていったらキリがないだろう。
さて、前置きはこれくらいにして、とある自分ルールを声高に周囲にアピールする人を実際に見かけたことがあるから聞いてほしい。
それは梅雨に差し掛かろうとしていたとある雨の日のことだった。
その日は朝から強くはない雨が降り続き、時折吹き抜ける強風に傘を差していても雨に濡れてしまうような気持ちの良くない日でした。
学校からの帰り道、傘を差して歩いていて、家の近くの丁字路に差し掛かかろうかという時にその人に出会った。
それは一瞬の出来事だった。傘に打ち付ける雨の音で気付かなかったが風と一緒にすぐ脇を高速で走り抜ける一つの影――黒の合羽を身にまとい自転車に乗る一人のおっさんの姿がそこにあった。
おっさんは雨にも関わらずスピードを出していた。わき道で車一台半ほどの狭い道を疾走するその姿にちょっと危ないなと感じ、内心ではイラっともした。
しかし、次の瞬間その感情は吹き飛ぶことになった。
おっさんは丁字路を高速でカーブしようと試みて、ほとんど減速せずに自転車のハンドルをきった。
その瞬間、おっさんは二輪の自転車で綺麗な全輪ドリフトをかましたのだ。
もちろんそれはおっさんの意図したことではない。丁字路の交点にあたるポイントにマンホールがあった。濡れたマンホールに濡れた道路――滑る要因は整っていた。
おっさんはマンホールで後輪を滑らせ、そのまま絶妙のバランスを保ったまま倒れず滑っていく。
その一瞬のことだが長く感じたその次の刹那、おっさんはタイミングよく自転車のハンドルを離し、見事に着地をする。辺りには雨の降る音をかき消すようにおっさんの自転車のペダルやハンドルの先が道路に擦れる音が響き、停止する。
おっさんはというと、着地した姿勢から背筋を伸ばし、演技を終えた体操選手さながらに両手を上にあげる。
もちろん周囲から拍手も歓声も上がらない。
しばらく、おっさん含めその光景を目撃した自分を含めた周囲の人間の時間が止まったかのように動きを止める。雨が降り続く音だけが聞こえる静かな世界。
その静寂を破るかのようにおっさんの声が響く。
「セ……セーフや!!!! 俺はこけてないからセーフや!!!!」
そう辺りにいる人にアピールをする。おっさんは変にテンションが上がり、照れ隠しも含めてだろうが、近くにいた人に、「なっ? そうやろ?」と同意まで求めだす始末。
そして、おっさんは「セーフやからな」と繰り返しながら自転車を起こし、何事もなく自転車に乗り、去っていった。
おっさんは結局丁字路を曲がらず真っ直ぐに走り去る。
あのおっさんはどこから来て、どこに向かおうとして、結果どこに行ったのか――。
ただひとつ分かることがある。
あれは、アウトだ。
自分ルールではセーフ たれねこ @tareneko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます