暖炉の精霊
陽月
暖炉の精霊
さて、朝ご飯を食べようか。
目の前の机に並んだ朝食を前に、食前の礼を行っているところへ、その客はやってきた。
ドンドン、ドンドン。激しく戸を叩く音がする。
この様な早朝に、他人様の家を訪れるなど失礼だ。無視して朝食を、とも思ったが、不快な音の中で食べても美味しくはない。
「先生、助けてくれ」
その様な悲痛な声まで聞こえてきたら、もはや無視はできなかった。
「はあ」とも「ふう」ともつかない、大きな溜息を一つして、家の主は玄関へ向かった。
錠を外し、ガラガラと戸を開ければ、大の男がへたり込んでいた。ものぐさで有名なジグサだ。
たしか、つい先日、奥方が病に倒れ、医者の元で療養中で、子どもたちも巣立っており、しばしの一人暮らしを謳歌中のはずである。
「先生、すまねえ。助けてくれ」
「こんな朝早くから、どうしたというのです?」
失礼な客だと思いつつも、理由を尋ねる。
正規の客であれば、きちんと応接の間に案内し、しっかり対応するのだが、玄関で充分だろう。
「暖炉の火が消えちまったんだ。こんな寒い季節に火がなきゃ、凍死しちまう」
はあ。ジグサにもわかるよう、あえて大きく溜息をつく。
「わかりました。朝食を終えたら、お宅へ向かいます」
言って、戸を閉めようとしたところ、ガッと両手で締めさせるものかと掴まれた。
「先に帰って待っていてください。ちゃんと伺いますから。それともまだ何かご用が?」
「こんな寒い中、待っていたら、凍え死んじまう。先生は俺を殺す気なのか?」
戸を閉めようとする力と、そうはさせまいとする力。お互いに力を入れているため、自然と口調がゆっくりになる。
「大丈夫です。そうは簡単に死にません」
「朝飯は食ってくれていいさ。その間ちょっと先生
両者の力は、拮抗しているように見えた。
きつい風が一つ、外から玄関の中へ吹き込んだ。
思わず、身震いした隙をジグサが見逃すはずもなく、戸が開け放たれる。
「なあ、先生、寒いだろ。俺を中に入れてくれたって、いいじゃないか」
ジグサがニカッと笑う。
「仕方ありませんね。玄関までですよ。おとなしく、準備ができるまで待っていてください」
せめて、ゆっくりと朝食をとりたかったが、玄関からのジグサの声がうるさく、叶わなかった。
食器を流しにつけ、戸棚から手のひらにすっぽり収まるくらいの小瓶を取り出す。
小瓶を持って向かったのは、暖炉の前。胡座をかき、小瓶は両手で包んで胸の前へ。
目を閉じ、深呼吸を一つして、静かに唱える。
「火の精よ。どうか我の願いを聞き、共に」
音をたて爆ぜたかと思うと、火の粉が一つ、吸い込まれるように瓶に入っていった。
「ありがとう」
礼を言い、太くてずっしりとした薪を一つ、暖炉に
外套を羽織って、玄関まで行くと、暇をもてあまし気味になっていたジグサがいる。
「先生、準備はできたんですかい?」
「ええ。行きましょうか」
「うちまでご案内します」
「案内してもらわなくても、知っていますよ」
小さな集落だ。どこに誰が住んでいるのかなんて、誰でも知っている。
ジグサの家は、冷えきっていた。火が消えて、ずいぶんと経つらしい。
「この暖炉なんだけどさ」
「わかりましたら、燃えやすい細い薪を用意してください。いきなり大きな火は無理というものです」
口調が厳しくなる。
早朝の訪問に腹を立てていたが、火の消えた暖炉を見て、怒りがふくれあがった。
用意された薪を、空気が通りやすいように並べる。持ってきた瓶を取り出そうとして、はたと気づいた。
火が消えてしまった暖炉に、まだ火の精が残っていることに。
途中まで取り出していた瓶を戻す。
「先生、何してんだよ。早く火をつけてくれよ」
「あなたは黙っていてください。静かにしていないと、火はつきませんよ。喋っている暇があるのなら、この後火を大きくするための、太めの薪を用意していてください」
ピシャリと言い放った。
ジグサも、不満そうではあるが、火がないのは困るとばかりに、指示に従う。
右手を伸ばし、組み上げた薪の上に手の平をかざす。
「暖炉に残る火の精よ。どうか種火を我にお与えください」
チリチリと薪が焦げ、煙が出て、そして、火がついた。
消してしまわぬように気をつけながら、少しずつ大きくしていく。
ここで慌ててしまえば、わずかな火は消えてしまう。
暖炉が赤々と燃える。ここまでできれば、薪を切らさぬ限り、火は続くだろう。
「さすが、先生。手慣れたもんだな」
家が暖まってきて、ジグサは嬉しそうだ。
「ジグサさん、あなたは昨日、きちんと暖炉を燃やしましたか?」
なぜその様なことを尋ねられるのかと、キョトンとしたジグサだったが、すぐに胸を張って答える。
「もちろん。火がなきゃ寒いからな」
「どのくらい燃やしました?」
「まあ、消えない程度、に」
睨まれて、最後の方は声が小さくなった。
「いいですか、昼間はどんどん暖炉を燃やすこと。そう言われて育ったでしょう? 子どもだって知っていますよ」
「いや、だって一人しかいないのに、そんなに燃やしても」
「昼間に燃やすのは、火の精にたくさん火を食べてもらうためです。そうすれば、たくさん食べた火を、夜に少しずつ出して、ずっと燃やし続けてくれる。朝に残った火から、また大きな火を作る。竈は暖炉から火を分けてもらう。それが、私達と火の精たちとの
「そんなもん、子どもに暖炉の面倒を見させるための作り話だろう」
ゆっくりと、首を左右に二度振った。
「あなたが昨日、火をきちんと燃やさなかったせいで、ここの暖炉の精は朝が来る前に力尽きた。本当なら、そこで火があるところへ逃げ出すんです。けれど、ここの精は残っていてくれた。あなたはそれに感謝して、きちんと、めいいっぱい燃やしなさい」
何かしら反論したそうなジグサを、目の力で黙らせる。
「いいですか、火の精のおかげで凍えずに暮らしていけることを、心に留めておくのですよ」
自宅に戻り、小瓶に入れていた火の精を、暖炉に戻す。
出かけるときに焼べた薪は、どうにか残っている程度だった。
「なあ先生、あいつはちゃんと燃やすと思うか?」
「さあ、どうでしょうね」
答えながら、薪を暖炉にくべる。充分に熱を持った暖炉に入ると、薪は炎を上げて燃えだした。
「あそこの火の精な、奥さんがすごく大事にしてくれてたから、残ったんだってさ。長いこと火から離れてたら、消えるしかないのにな」
「そうですね」
「あの暖炉に火を戻してくれて、ありがとう」
「いえ」
「もし、あいつが明日の朝も来たら、追い返してくれていいぜ。あそこの精には、うちに来るよう言っといたから」
「来るでしょうか?」
「さあ、どうだろうな」
暖炉の精霊 陽月 @luceri
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