OK! ただし条件があります

新巻へもん

ルールと約束

「お邪魔します」

 つば広の帽子とビニール袋を持ったミキが玄関に入って来る。

「いらっしゃい」

「こんにちは。これ母からです。帰省のお土産」


 ミキはビニール袋に入れた何かを渡した。

「いつも悪いわね。お母さんにありがとうって伝えておいて。あら、ごめんなさい。玄関先で。上がってらっしゃい」

「今日はお土産を渡しに来ただけなので」

「そう? それじゃ、冷たい物だけ飲んでって。日が陰ってきたけどまだ外は暑いでしょ?」


「それじゃ、お言葉に甘えます」

 ミキは上がり框を跨ぐと靴をそろえる。それから居間のテーブルに座った。その横を通りながら俺は囁く。

「無理しなくていいのに」

 聞こえているのかいないのか、ミキは澄ました顔だ。


 俺の母親が冷やしたミントティを持ってきてミキの前に出す。ガラスの器に入っているそれは一見涼しげだが、俺に言わせれば人類には早すぎる味だ。

「どうもありがとうございます」

 そう言って、ミキはカップを取り上げると艶のいい唇に当てた。


「爽やかでおいしいです。汗が引きます」

 にっこり微笑むその様はどこぞのお嬢様だ。俺とカードゲームに興じるときに膝を立てている山猿の姿はない。

「あら。うれしいわ。お替りも良かったらどうぞ」

 お手製のミントティを褒められて母親はうれしげだ。


 ミキは1杯飲み終えると暇乞いをする。

「ご馳走様でした。今日は早く帰ると言ってありますのでこれで失礼します」

 俺も部屋に戻って帽子を取ってくるとミキについて家を出た。むっとした空気がまとわりついてくる。


「おい。あまり褒めるなよ。調子に乗って大量に作ったら飲まされるのは俺なんだからな」

「そーお。私は結構いけたけど」


 マンションの玄関を出ると西日の残照が目に痛い。さらに体感温度も上昇した。それでも、外に出てきたのを後悔はしない。今日はやるべきことがあるのだ。流石に母親がいる家ではちょっとできないことをしなければならない。暑いのでのんびりとミキの家に向かって歩き出す。


「絵葉書ありがとな」

「分かった?」

「そりゃ、見慣れてる字だから」

「メールでも触れないし分からなかったのかと思った」

「この暑さとはいえそこまでボケちゃいない」


 絵葉書というのは、ミキが旅行中に送ってきたものだ。俺の机の一番上の引き出しに鎮座している。


「相変わらずキレイな字を書くよな」

「ああ、あの字は絵葉書に映ってたガラスペンで書いたんだよ。なかなかステキでしょ。今度うちに来たら見せてあげる」

「なんだ。あれはThis is a penて書きたいだけかと思った」


「それもあったんだけどさ。なかなか現実で書きそうにないセンテンスだからつい。そーいえばさ、急に夏期講習なんか通い始めちゃってどうしたの?」

「成績優秀な誰かと違って、少しは補修しておかないとマズいと思ってさ。特に英語は壊滅的だからな」

「ふーん。これは私もうかうかしてられないな」

「冗談だろ。俺とミキじゃ頭の出来が違いすぎる」

「そうでもないと思うけどね」


 俺の家からミキの家はそれほど遠くない。まあ、幼稚園から同じところに通う程度に近くなわけだから当然だ。ゆっくり歩いても10分しかかからない。いつもなら、こういう他愛もない会話も歓迎なんだが今日はそうのんびりもしていられない。このままではミキの家についてしまう。


「なあ、アイス食わねえか?」

「え? 何?」

「この間見つけた新商品でさ。かなりイケル」

「まあ、仕方ない奢られてあげようじゃないか」


 コンビニでアイスを買って、すぐ隣の児童公園に移動する。砂場とブランコがある程度の小さな公園だ。この暑さで他に人影はない。丁度木陰になっているブランコに腰を下ろしてアイスを渡す。喧しい蝉の声を聞きながら黙ってアイスを食べた。


「うん。おいしかった。Aランクをあげよう」

 ミキが俺を見て言う。

「それで? 何か話があるんでしょ? なーに?」

 図星だった。


「あ、あのさ。俺達ってこうやってしょっちゅうお互いの家を行き来してるよな」

 ミキは無言でコクリとする。まあ、それは否定のしようのない事実なんだけど。

「それでさ。絵葉書ありがとうな」

 しまった、俺は何言ってんだ。それはさっき聞いたよ、と言われるかと思ったがミキは相変わらず無言で前を見ている。


「なんていうかさ。このまま、この関係がずっと続くといいなと思ってるんだけど」

 ああ、くそ。そうじゃないだろ俺。

「なんかこんなこと言ったらおかしなことになりそうなんだけどさ。俺は、俺は、ミキのことが好きなんだ。つまりさ。えーと、俺と付き合うっていうのはダメ?」


 ついに言ってしまった。ミキが旅行中1週間ちょっと会えないだけで俺はどうにかなりそうだった。そんな中に絵葉書をもらってその字を見たときに俺はやっと自分の気持ちと向き合う覚悟ができた。


 つばに隠れたミキの横顔からは表情が読み取れない。突然の俺の告白に驚いているのだろうか。俺は以前偶然盗み聞きをしてしまってミキにとって一番好きな相手ではないことを知っている。こんな俺が2番目というだけでありがたい事なのだが、正直言って玉砕覚悟だった。


 ゆっくりとミキが俺の方を向く。つばをちょっと持ち上げるとにぃーっと笑った。そして、右手を突き出すと2本の指を立てる。ああ、やっぱり俺は2番目だということなのか。がっくりと肩を落とす俺にミキの声が聞こえる。


「いいよ」

「え?」

「そうか、そうか。やっとその気になったか。うん、うん」

「え? え?」


「ゲームをしているとき以外は考えがダダ漏れなんだよね。ヒロって。いつ、告るつもりなのかなあって思ってたんだけどさ。ということで、返事はOKだよ。ほら、もっと嬉しそうな顔をしたら?」

「ああ、うん」


「ただしっ!」

 ミキが少し大きめな声を出す。

「条件というか、お付き合いをするに当たってのルールを2つ守ってもらいます」

 なんだ、その指はそういうことだったのか。


「1つ。お互いにまだ親の脛をかじる高校生なので、清く正しい交際とさせてもらいます。我慢できる?」

 俺が首をガクガクさせるのを見て、怪しいなあという目をしたがミキは言葉をつづけた。


「2つ。どうしてもやむを得ない場合を除き、別の異性との二人きりの行動はしないこと。もちろんこれは私にも当てはまります」

 今度は力強く頷いた。つーか、俺にはミキ以外にそういうことになりそうな相手はいないのだがな。むしろ人気者のミキの方がその条件を守るのは面倒な気がするぞ。


「ルールを守ると約束できる?」

「も、もちろん。約束します」

「とかなんとか言って、守れるのかなあ」

「なんだよ」

「だって、ときどき、視線がイヤらしいからさ」

 う、うぐ。


「まあ、いいや。ちゃんとタイムリミットまでにきちんと言えたから信じてあげよう」

「タイムリミット?」

「ヒロがいつまでも何も言わないからさ。夏休みが空けても何も言わなかったらどうしようかと思ってたの」


 ミキが勢いよくブランコから立ち上がる。

「さ、遅くなったら、母が心配するから。二人でどこ行ってたのか聞かれるのも面倒だし行こう」

 ミキが俺に手を差し出してくる。


「まあ、とりあえず、これからもよろしく」

 

 


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