僕は、どうしても時間を巻き戻したいと思った。

幻典 尋貴

僕は、どうしても時間を巻き戻したいと思った。

「やり直せる人生なんてつまらないじゃない」

 彼女の言葉を思い出す。

 時間を巻き戻す事は出来ない。これは世界のルールだ。


 でも僕は、


 葵に出会ったのは去年の秋のことだ。

 坂の上にある公園だから、坂上公園。とても安直な名前のそこに、彼女は居た。

 ブランコの上に漕ぐ事もなく立ち、どこか遠くを見つめていた彼女を人間だと認知するのには、時間がかかった。それだけ、美しかった。

 僕は、夕日を受け真珠の様な淡い光を放つ彼女から目が離せなくなり、

「あの」

 ――つい、声をかけてしまった。

「私?」彼女は振り向くと自分に指を指しそう聞いた。

「あ、すみません」

 声をかけたのは良いが、勇気は持っていなかった。突然気が弱くなった僕は、公園を出て行こうとする。

「別に良いよ」

 背中で声がする。

「え」

「君、いつもここで歌ってる子でしょ」

「そうです、けど、何で」

「この町に君を知らない人は居ないよ」彼女はふふふと笑って言った。その笑い声がとても神聖なものの様に思えた。

 普段ならば恥ずかしいという気持ちが来るのだろうが、なぜかそんな事よりも、僕を知ってくれていることを嬉しく思った。

 いくらか話すうちに、彼女の名前が明野あきのあおいだと言うことを知った。

 世間話とも言えないような雑談を繰り返した後、彼女は突然言った。


「私はさ、明日死ぬの」


 まるで友人に引越しを告げるように、明け透けとしたそれは、刹那意味が分からなかった。

 軽い口調の中に、明らかに重量の違う一文字が含まれている。

“死”、それはどうやっても一つの意味しか持てない。この世界から消えるという事。もう、二度と会えないという事。

「君はさ、タイムマシンが使えるなら、過去に行く?未来に行く?」

 突然の質問。

「僕は、多分、過去です」

「なんで」

「ちょっとだけ、後悔があって」

 それは今考えるとなんて事ない事だが、ずっと引っかかっている事だ。

「私は未来。死ぬ前に未来を一回見てみたい。それに、やり直せる人生なんてつまらないじゃない」

「じゃあ、死なないで、下さい」

「もう決めたの。私は死ぬ」

 前を向いたまま、真っ直ぐと答える彼女の言葉には嘘が見えなかった。

「なんで…そんな」

「私、気づいちゃったんだよね。私が居なくても世界は勝手に回るなぁ〜って」

「でも、…死んだって何にもならない」

 死という一文字をどうしても変えたくて、必死に足掻く。

「そう、何にもならない。だから死ぬの」

「違っ――」

「君さ、不謹慎だよ」ピシャリと一言。

 先ほどまでの夕焼け色の目とはまるで違う、夜空のように冷たい目が、僕を見ていた。

「君に、何ができるの」

「…」

「ほら。中途半端に、止めようとしないで!」

 何も言えずに立ち尽くし、気づいたら真っ暗闇の中だった。そこにはもう、彼女の姿は無かった。


 翌日の夕刊に彼女の名前を見つけた時、僕は全ての感情を失った。

 後を追おうとまでは思わなかったが、生きる気力は無くしていた。

 それまで面識のない僕なんかに、明日死ぬことを告げたのは、やっぱり助けを求めていたんだろう。

 あの時に、僕には何かが出来たはずだった。彼女のあの宣言に対して、別の答え方をしていれば。そんなたらればが、僕を一年間ずっと縛ってきた。

 今日はあの日と同じ夕焼けをしている。雲に色移りした黄色が、あの時の彼女の目と同じ色をしている。

 タイムマシンで過去に遡ることが可能だと言われ始めたのは、今年の3月だ。どっかの研究チームが、量子コンピュータを使って時間を巻き戻すことに成功したのが始まりだった。

 その記事を読んだ時に思い出したのは一人だ。

 彼女を救うことが可能である。その事実だけが僕には大事だった。

 どうやってタイムマシンを作ったかは、僕も覚えていない。それだけ必死だったという事だ。

 一番大変だったのは、現在の記憶を保ったまま、過去にタイムリープするための装置を作る事だった。元の状態に戻す事は簡単だが、そこに現在までの記憶を足すのはとても難しい。

 とにかく、僕はタイムマシンを完成させ、これから過去に戻る。

 ――明野葵を救う為に。




 翌日の朝刊に彼の名が載った。




 ――僕が明野葵に出会ったのは去年の秋のことだ。

 坂の上にある公園だから、坂上公園。とても安直な名前のそこに、彼女は居た。

 ブランコの上に漕ぐ事もなく立ち、どこか遠くを見つめていた彼女を人間だと認知するのには、時間がかかった。それだけ、美しかった。

 僕は、夕日を受け真珠の様な淡い光を放つ彼女から目が離せなくなり、

「あの」

 ――つい、声をかけてしまった。

「私?」彼女は振り向くと自分に指を指しそう聞いた。

「あ、すみません」

 あの時と同じ様に、気弱になった風に振る舞う。

「別に良いよ」

 背中で声がする。

「え」

「君、いつもここで歌ってる子でしょ」

「そうです、けど、何で」

「この町に君を知らない人は居ないよ」彼女はふふふと笑って言った。その笑い声はやっぱり神聖なものの様に思えた。

 いくらか話すうちに、彼女の名前が明野あきのあおいだと言うことを聞いた。

 世間話とも言えないような雑談を繰り返した後、彼女は突然言った。


「私はさ、明日死ぬの」


 まるで友人に引越しを告げるように、明け透けとしたそれを、僕はもう二度と聞きたく無かった。

 軽い口調の中の、明らかに重量の違う一文字。

“死”、それはどうやっても一つの意味しか持てない。この世界から消えるという事。もう、二度と会えないという事。

「君はさ、タイムマシンが使えるなら、過去に行く?未来に行く?」

 突然の質問。

「僕は、多分、過去です」

「なんで」

「ちょっとだけ、後悔があって」

 それはとても大切で、ずっと引っかかっている事だ。

「私は未来。死ぬ前に未来を一回見てみたい。それに、やり直せる人生なんてつまらないじゃない」

「じゃあ、死なないで下さい」

「もう決めたの。私は死ぬ」

 前を向いたまま、真っ直ぐと答える彼女の言葉には嘘が見えなかった。

「それでも、」

「私、気づいちゃったんだよね。私が居なくても世界は勝手に回るなぁ〜って」

 あの言葉。

 全てはここから始まった。

 覚悟を決める。

 死という一文字をどうしても変えたくて、必死に足掻いてきたのだ。

 息を吸う。


「そんな事はない!」

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