8.二つの始まり

二十年前のある日。

 

「行っちまったな」

「ああ、行っちまった」

「突然だったな」


 まだ中学校を卒業したばかりの健介、隆敏、美晴が揃って通りの先を見つめていた。

 先ほどまでここに達雄が居た。引っ越し当日、最後の挨拶を交わすために彼らは達雄の家の前に集まっていた。流石に中学ともなると泣くような事は無かったが、皆突然のお別れに戸惑い、そして落胆した暗い表情で最後の挨拶を済ませた。

 達雄は両親と妹の四人家族だった。十年前くらいにこのニュータウンに引っ越してきて以来、四人は仲の良いチームだった。

 どこへ行くにも一緒。全員が同じクラスになることは無かったが、それでも四人の友情は変わらなかった。

 

 そもそもは、健介と美晴が生まれた時から家が近く、一緒に遊ぶ仲間だった。そこに転校してきた達雄が加わった。転校初日に運悪く当時の悪ガキに目を付けられた達雄をたまたま通りかかった健介と美晴が助けたのがきっかけだった。

 物怖じしない性格だった達雄は、すぐに二人と打ち解けた。転校初日から友達ができたのはラッキーだった。

 隆敏が仲間に加わったのは最後だ。小学六年に学年が上がった時、達雄の隣の席が隆敏だった。妙に馬の合った二人はすぐに意気投合した。学校の休み時間はいつも二人で下らない事を喋っていた。当時、クラスの違った健介と美晴と放課後まで合わない事も度々あった。しかし、いつしか四人が固まって集まるようになった。

 小学六年、そして中学の三年間、四人は濃密な時間を過ごした。


 そして卒業と同時に達雄は引っ越す事になった。

 生活能力のない年齢の達雄ではここにとどまると言う選択肢はなく、嫌々引っ越すことになった。中学卒業と同時にその事を告げられ、その週には引っ越し日となっていた。まるで何かから逃げるように達雄達一家はこの土地から去って行った。

 

 四人にとっては青天の霹靂であっただろう。碌にお別れを言い合う暇さえなく、達雄はこの土地を後にした。



「そうだ、お山の上から俺たちん写真撮って達雄に送らないか!」


 曇った顔で佇んでいた三人の内、健介がいち早く復活し声を上げる。


「お山って、あの神社の裏の?」


 美晴が答える。この土地に昔から住んでる美晴と健介にはおなじみの場所だったが、転校組の隆敏には良く分かっていなかった。


「神社って郊外にある、なんだっけ、淡、なんとか神社だっけ」

「淡嶋神社な、あの裏少し小高い山になっててな、そっからこの街が一望できるスポットが有るらしいんだよ」


 健介が少し上気した表情で興奮気味に答える。


「でも、あそこ立ち入り禁止だろ? 神主のおっちゃんに怒られるぞ」

「大丈夫だよ、どうせ境内に来ることなんてほとんどないんだから、見つかりっこないよ」

「なんでもいいよ、行ってみようぜ」


 隆敏の一言でお山行きが決まる。

 

「カメラどうする?」

「卒業式の時に使った親父のカメラ、多分フィルムが余ってたはず。家から持ってくるわ」

「分かった、それじゃ昼飯食ったら神社前に集合で」

「おっけー」


 行動指針が決まると後は早かった。少年達三人はそれぞれの自転車にまたがるとめいめいの方向に走り去っていく。




 二時間後、三人は神社の裏の獣道の前に居た。


「ここを進むのか?」


 先頭の隆敏が後ろを振り返る。


「そうそう、確かここ抜けたところに見晴らしの良い場所があるはず」

「あるはずって、適当だなぁ」


 げんなりした顔をわざとらしく見せながら、隆敏が先頭だって歩いていく。

 特に整備もされていない獣道を行く事は、少年たちにとってちょっとした冒険だった。

 どこからか小枝を見つけた隆敏は先頭を歩きながら、枝の先で長く伸びた草花を払う。

 美晴はすでに疲れたのか、息を上げながら真ん中を歩く。

 カメラを首から下げた健介は、写真を撮るふりをしながら歩き時折木の根に躓く。


 暫く歩いていると、三人の冒険は唐突に終わりを迎える。

 木々の間から日の明かりが漏れてきた。最後の藪を抜けると、そこには丘の中腹の開けた斜面だった。

 なぜかその場は草木が生えておらず、むき出しの土と砂利が広がっていた。ただ、草木が生えていない分、見通しは良く自分たちの住む街が一望できる絶好のスポットだった。

 

「すっげー、こんなところ有ったんだな!」


 隆敏が興奮気味にまくし立てる。

 

「俺も来たこと無かったけど、これはいい景色だな」

「なんだよ、美晴も来たこと無かったのかよ」

「噂で聞いたことあっただけだよ。ここに来ようとすると神社の神主がすんげー怒るって有名だぜ」

「神社の神主ねぇ」

「学校行事に偶に来てたぞ、よく校長の隣にいた禿げ頭の人、覚えてない?」

「あれ神主だったのかよ。どこの坊さんかと思ってたわ」


 隆敏と美晴が昔を思い出しながら盛り上がる。

 その間、健介はカメラの準備するといって少し離れた場所に行った。


「おーい、ちょっとそこに並んでくれ」


 健介が遠目から声を張り上げ指を指す。

 健介は何やら石の積まれた壊れた灯篭の様なものにカメラを置いてファインダーを覗いていた。

 健介の指さすままに二人はその場所に並ぶ。右、左と位置を調整しながら健介の指示に従う。

 

「なんだ、あの石の置物」

「さあ、お墓とか?」

「やっべ。あいつ大丈夫か」


 益体も無い会話をしながら健介の準備が終わるのを待つ。

 健介はオッケーと二人に声を掛けセルフタイマーをセットする。

 そして慌てて二人の元に駆け寄ろうとしたとき、何かに足を取られ転んでしまう。そしてそのままカメラが置いてある石の積み上げられた何かを倒してしまう。

 

「おい、大丈夫か」


 心配して駆け寄る二人。

 顔を顰めながら、立ち上がる健介は特に怪我などはなさそうであった。


「失敗したわ。あらら、カメラが落ちちまった」


 慌ててカメラを拾い、無事を確かめる。いつの間にかセルフタイマーの時間は過ぎ、シャッターが押された状態になっていた。


「まいったな、一枚無駄にした」


 彼はそう言うと、もう一度撮影をするために近場の崩れた石を積み上げ始めた。

 

「すまんすまん、ちょっと待ってな」

「おいおい、大丈夫か。てか、それ崩れちゃったけど、大丈夫なのかな」


 崩れ落ちた石を指さしながら美晴が不安そうにする。

 

「大丈夫だろ、それっぽく元に戻しておけば」

「適当だな」


 健介の適当さ加減に笑う隆敏。美晴も不安そうな様子は少し和らいだ。


「よし、準備完了。もう一度撮るぞ!」


 セルフタイマーをセットし、今度は慎重に石積みを避けて二人の元に来る。三人で並び、後の街が見えるように少し腰を降ろして写真に写った。シャッター音が響き、無事写真が撮れる。

 三人ではしゃぎながら暫く街を見下ろし、昔話に花を咲かせた。


「そろそろ帰るか」


 気が付くと、日は落ち始め夕日が辺りを照らしている。これ以上ここにいると帰りの雑木林が暗闇に覆われてしまうかもしれない。慌てて雑木林に向かって走り出す三人。特に迷うことなく神社裏に到着すると、境内を伺い誰もいない事を確認しそれぞれ自転車に跨る。

 

「それじゃー現像したら連絡するわ」

「よろしくー」

「頼んだ」


 三人は神社前で別れた。

 恐らくこの日が全ての始まりだったのだろう。これから続く悪夢の。




 三日後、現像された写真を撮りに健介は商店街の写真屋に向かう。他の二人は同じ商店街の喫茶店で席を取って待っている。

 写真屋に入り、現像された写真を確認する。しかし最後に撮った写真が見当たらない。

 その事を不審に思い店主に詰め寄る。


「いや、あの写真は渡せないよ」

「いやいや、それは無いでしょ。撮ったもの全部くださいよ」


 何度かの押し問答の末、足りなかった二枚の写真を受け取る。封筒に入れられて中身は見えなかったが、それぞれあのお山で撮った写真だろう。


「何が有っても知らないからね」


 店主がもうこちらの責任ではないとばかりに、店を出ようとする健介の背中に声を掛ける。

 写真屋の前で封筒から写真を取り出し写りを確認する。まだ数日しか経っていないが、懐かしい卒業式の写真。そして別途受け取ったお山での写真を取り出す。

 

 健介は血の気の引く音、と言うものを初めて聞いた。泡立つようにさーっと全身に鳥肌が立つ。

 そして悟った、何故写真屋の店主がこれを渡そうとしなかったのかと。そしてこれは自分一人では処理しきれないものであると。

 集合場所にしていた喫茶店へ重い足取りで向かう。これは見せない方が良い、そう思いながらも自分一人では抱える事の出来ないモノである事も分かっていた。

 

 

 

 青ざめた顔で健介が入ってきたときは何が有ったのかと思った。現像写真を取りに行ってくると、喫茶店の前で別れた時は特に普通の顔をしていたが、写真を受け取り喫茶店に戻ってきた健介は別人かと思うほど変わり果てていた。

 

「おい、どうした健介」


 正面に座っていた美晴が入り口に立ち尽くす健介に駆け寄る。


「ああ、すまない」


 美晴に付き添われながら四人掛けテーブルに腰かける。隣には美晴、対面に隆敏。

 とりあえず手元の水を健介に渡し飲ませる。注文は? と尋ねたが、首を振るばかりだったので、いつも頼んでいるアイスコーヒーを代わりに注文しておく。

 暫くの沈黙後注文したアイスコーヒーが運ばれてくる。


「それで、どうしたんだ。写真を取りに行ってたんだろ」


 隆敏が健介に対し状況を確認する。

 

「ああ、そうなんだが…」


 口ごもりながら、写真の入った封筒を差し出す。


「何か変なモノでも写ってたのか?」


 美晴が封筒の中から写真を取り出す。隆敏と二人で確認したが、卒業式の写真ばかりで特におかしな写真は見当たらなかった。


「普通の写真じゃないか」

「というか、お山で撮った写真が無いな?」


 受け取った写真を揃えながら美晴が尋ねる。


「お前らに見せていいものか…」

「何言ってるんだよ、あるなら見せろよ」

 

 渋る健介に写真を出すように即す。

 しぶしぶ鞄からもう一つの封筒を出し、テーブルに置いた。


「いいか、これを見たらもう帰って来れなくなるぞ」

「何言ってんだよ、写真ごときで」

「帰って来れなくなるってなんだよ」


 唯事ではない雰囲気を健介から感じ、お互い顔を見合わせる。

 しかし無理やり気分を向上させ、勇気を振り絞り封筒の中の写真を取り出した。


 一枚目の写真は恐らくカメラを倒した時に写したものだろうか、地面の大写しだった。しかしその写真の隅に異物が有った。


 真っ白な手。


 地面から這い出すように生えている真っ白な手が写真の隅に写っていた。


「なんだこれ」

「手、か?」

「人間の手じゃないな、サイズ的に人形か」

「あそこにこんなもの有ったか?」

「いや、目立つからあったら分かりそうなもんだけど…」


 隆敏がもう一枚の写真を手に取った。

 

「ひっ」


 一目見た瞬間、隆敏はその写真を放り出す。

 ひらりと舞った写真は再び裏側を見せてテーブルに落ちる。


「なんだよ、何が写ってたんだ」


 美晴が写真を手に取り、意を決して確認する。

 

 そこには人形が写っていた。三人の少年の周りの地面が埋め尽くされる量の人形。日本人形、フランス人形、ソフトビニール製の人形、ありとあらゆる人形がそこに居た。三人の少年の無邪気な笑顔とは対照的に、無機質な目をレンズに向けて。

 まだ日が高かったはずの空は曇天となり、これから発展していく予定のニュータウンの情景はまるで寂れたかのようにくすんでいた。そして真っ白い靄の様なモノが健介を中心に三人を覆っている。

 

 ちょっと不気味な心霊写真などと言うレベルでは無かった。その写真には何者かの悪意しか感じられなかった。見た瞬間にその悪意に中てられ、背筋が凍る。店内は寒くも無いのに震えが起こる。

 

「おい…」

「これって…」


 言葉が続かない。理解が及ばなかった。

 あの日、あの時、あの場所にこんなものは無かった。

 人形なんて一体も無かった。

 そんな事三人共理解していた。

 しかしこの写真には写っている。

 大量の人形が、悪意の塊が。


「俺の…」


 沈黙の中、健介が言葉を発した。


「俺の家族の知り合いにこう言うのに詳しい人が居るから聞いてみるわ」


 健介はそう言うとテーブル上の写真をすべてかき集めて封筒に入れ立ち上がる。


「変なモノ見せてすまなかったな。また、今度連絡する」


 茫然とする二人をよそに、アイスコーヒー代をテーブルに置くと健介は店を出ていった。




          ※


現在


 二人はお山の上のあの場所に立っていた。


「あの時から健介はおかしくなった」


 秋山美晴が眼下の街を見下ろしながらぽつりと言葉を発した。


「少しずつ、でも確実におかしくなっていった。十年持ったのは僥倖だったのかもしれない」


 絞り出すようにしゃべる美晴の横で、武田隆敏が頷く。


「なあ、知ってるか。あの写真、あの最悪が写っていた写真じゃない方のやつ」

「あの地面が写ってたアレか」

「ああ、あの写真な十年かけて少しずつ絵が変わって行ってたんだよ」


 少し考え込む隆敏。

 

「絵が変わって行ったって、あの隅に写ってた人形の手の事か」

「ああ、あれがな一週間、一か月単位じゃ分からないくらいに少しずつ少しずつ動いてたんだ。十年かけて人形の全身が地面から出てきた」


 隆敏は何も言わない。でも直感的に分かった、あれはそういうモノなんだと言う事が。


「ちょうどあいつが自殺したあの日に、写真から人形が居なくなった」

「居なくなった、か」

「あいつ本当に自殺だったのかな」

「自殺って事になってるだろ、警察の見解だ」


 何度も議論したことだった。二人にとっては過程はもはやどうでも良かった。結論として健介が死んだ、それだけが全てだった。


「なあ、本当にあれで良かったのか?」


 隆敏が不安そうに美晴に尋ねる。


「達雄の件か?」

「ああ、あいつの鞄に人形を忍ばせた。鞄を渡した時に重さが変わってた事にも気が付いて無かったから、そのまま家まで持って帰っちまうだろう」

「うん、それでよい」

「なあ、本当に、本当に達雄をこっちの状況に巻き込むのか。あいつが一人だけ助かったのがそんなに…」


 隆敏は言葉を飲み込む。


「そんな嫉妬とかそういうモノじゃないよ。これはそうしろっていう教祖の、いや、おしろいさまのご宣託だ」

「そうだとしても。かつての仲間をこんな事に巻き込むのは、俺は、俺は」

「分かってる。でもどうしようも無いだろ? これは決まったことだ」


 美晴は懐から一枚のお札を取り出す。

 それは朱で書かれた幾何学模様の上に墨で何やら文字の書かれた不思議な札だ。

 

「四方と上下を札で囲めばそこから出られなくなる」

「あのお札のせいで、いまだに健介の母親は健介の魂があの部屋の中にあると思い込んでいる」

「魂なんてものを閉じ込めるものではないのに、な」


 美晴は深いため息をつく


「あの人形はあの神社から出してはいけないモノだった。だから札で囲った」

「しかしどうやったかは分からないが、少年たちが手に入れてしまった」


 少年達に何が有ったのかは分からない。でも確かに気絶した少年たちん手にはそれぞれ一体、計三体の人形が握られていた。


「男雛は私が、女雛は達雄が、そして三人官女の長柄を隆敏、君に」


 少年達から回収した人形はそれぞれが持つことにした。

 詳しく事情を知らない達雄へは隆敏が帰りの自動車の中で後部座席に寝かされた際にボストンバックの奥へ入れた。

 途中で気が付き、どこかへ捨てて欲しいと願いながら、しかしそれは叶わないだろうと思われた。


「達雄に女雛を持たせたのに意味は有るのか?」


 三人官女の長柄でも良かったはずだ。寧ろそっちの方が被害が少なくなるかもしれない。


「いや、特には。ああ、もしかしたら」


 美晴は健介の持っていたあの写真を思い出す。

 地面から出てきた人形は女雛だった。


「男雛と女雛を遠くに切り離したかったのかもしれない…」

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おしろいさま怪異譚 -達雄の場合- 大鴉八咫 @yata_crow

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